多くの農業関係の議論を見聞きしていると、農業という漠然とした括りで話されている事が多く、ほとんどが結論の出ない、なんとなく落としどころを見つけたという感じで終始している。政府の有識者会議などはこんな感じです。
農業といっても、穀物・野菜・果樹・畜産・花木など多岐にわたり、さらにそこから細分化されます。
それらはすべて背景が違うので、問題解決の為には一つ一つ丁寧に議論しなければいけません。
例えば代表的な穀物である、米・麦・大豆・そばなども栽培環境や地域の特性やマーケットのニーズが異なりますので、ある地域では正しくても他の地域では合わないとか、消費者(国)にとっての重要性が異なるということは多々あります。
農業予算に関してもどのような目的で使用するのかを、もっと丁寧に議論し、実効性のある政策に反映させる必要があります。
税金を使うのですから、農業の為 ではなく、納税者(消費者)の為 でなくてはなりませんが、実際は農業予算だから農業の為に使うと、政府関係者も農業者も本質を見失い、それって納税者(消費者)や国の為になるのだろうか?と疑問のつくことに多くの税金が浪費されています。これは農業に限ったことではありませんが、農業は特にひどいと感じています。
長年にわたり農業者が抱える苦悩や農業政策が迷走している根源はここにあるような気がしています。
農業は命の根源ですから、「国家の責務は国民の生命、財産、そして国益を守ること」という基本を外れた政策に対して、消費者も農業者も異論を唱えなければならないのですが、なんとなく見過ごされて、寄り合いなどで愚痴を言っているだけでは何も変わりません。
日本の農業をさらに良くするためには、農業の本質から議論を構築する必要が高まっていると感じています。