株情報と時々音楽鑑賞文今日の写真を

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

10月21日 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテットN響 シューベルト/交響曲 第1番6番

2022-10-23 09:54:28 | 都響・指揮大野 東京響 ・」指揮広上

指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット     19時35分 

                                     2F/R16・11・3200円

ブロムシュテット指揮、第二弾、聴いてきました‥楽しかったです。
僅か、31年(1797‐1828)の生涯が・・生誕から31年と194年活き続けている、音楽は素敵・・

1,6番を聴き、シューベルトを見直す・・1番から5年経過して6番が・・音楽創造の発展が素晴らしいと感じます・・1番はハイドン、モーツァルトの影響が音型からも・・ベート-ヴェンの影も・・でもメロディーラインは16歳にして個性が表れている・・歌・・こころ・・が感じられる

6番 5年間で変化が・・1楽章から冴えてる・・明るいし、作曲に苦悩が無いし・・つぎつぎと 創造性、想像性が発揮し・音型の変化 変化が・全曲を通じ・・身も心も 快活に・・自筆譜には大ハ長調と、自信家で・・7年後8番ザ・グレートへ

【曲目】
シューベルト1797‐1828/交響曲 第1番 ニ長調 D. 82・1813・16歳
シューベルト/交響曲 第6番 ハ長調 D. 589・初演1828・1818・21歳

シューベルトの死後1ヵ月後の1828年12月14日にウィーン楽友協会主催の音楽祭で初演が行なわれた。元来、シューベルト自身は第8番(『ザ・グレート』)の演奏を希望していたが、あまりにも演奏至難だったために拒絶され、替わりに本作品の楽譜を提出し、演奏された。その時の指揮はオットー・ハトヴィヒが行なった。

シューベルトの楽曲一覧 - Wikipedia

 

フランツ・シューベルト - Wikipedia

 

1815年には、学業、サリエリの授業、ウィーン生活の娯楽にもかかわらず、多くの作品を生み出した。『交響曲第2番変ロ長調』(D125)が完成し、『交響曲第3番ニ長調』(D200)もそれに続いた。また、『ト長調』(D167)と『変ロ長調』(D324)の2つのミサ曲(前者は6日間で書き上げられた)、その他『ミサ曲ヘ長調』のための新しい『ドナ・ノビス』(D185)、『悲しみの聖母』(D383)、『サルヴェ・レジナ』(D379)、オペラは『4年間の歩哨兵勤務』(Der Vierjahrige Posten、D190)、『フェルナンド』(D220)、『クラウディーネ・フォン・ヴィラ・ベッラ』(D239)[注釈 2]、『アドラスト』(D137、研究により1819年の作曲と推定)、『バイデ・フロインデ・フォン・サラマンカ(サラマンカの友人たち)』(D326、会話の部分が失われている)5曲が作曲された

  死の前日に部屋の壁に手を当てて「これが、僕の最期だ」と呟いたのが最後の言葉だったという。

遺体はシューベルトの意を酌んだフェルディナントの尽力により、ヴェーリング街にあったヴェーリング墓地の、ベートーヴェンの墓の隣に埋葬された。1888年に両者の遺骸はウィーン中央墓地に移されたが、ヴェーリング墓地跡のシューベルト公園には今も2人の当時の墓石が残っている

Schubert: Symphony No. 1, Sawallisch & SKD (1967) シューベルト 交響曲第1番 サヴァリッシュ

Schubert: Symphony No6 Solti CSO シューベルト 交響曲戴6番 ショルティ シカゴ響

シューベルト/交響曲第8番ハ長調「ザ・グレート」◇小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ

シューベルトを歌曲の作曲家と見ていた自らの認識を覆すその作品に驚愕した。シューマンはぜひこれを演奏したい、楽譜をライプツィヒの盟友メンデルスゾーンに送りたいとフェルディナントに懇願し、ようやく許可を取り付けてメンデルスゾーンのもとに楽譜が届けられたという。

1838年3月21日、メンデルスゾーンの指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によって、この交響曲は初演された。シューマンは初演には立ち会えず、翌年の再演でようやく聴くことが出来た。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 10月21日 大引け 日経... | トップ | 10月22日 指揮:ジョナサ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

都響・指揮大野 東京響 ・」指揮広上」カテゴリの最新記事