字で意味をあらわし、読みもあらわす。
漢字とはなんて便利なものだろう……と思うこともありましたが、
最近、漢字はものすごく危ないものだと思うようになりました。
簡単に言えば、『漢字は呪われている』と思うのです。
そしてそれが弱点であると。
たとえば、この世に漢字しかなかったとして、
カカオで作ってどろどろにしたものを甘く固めて、
バレンタインにもっとも多く流通する、
あのお菓子を漢字の当て字で思いつくままに書いてみてください。
たとえば音を漢字で表して、こう書いてみます。
『貯庫冷凍』(ちょこれいとぅ)
これは音を漢字で表してみただけのものですが、
これを見たら、別のものが伝わらないでしょうか?
たとえば、庫に貯蔵ができて、冷凍してもうまい、と言うような。
このように、漢字は音に対して、
ただの音で返すということができない文字です。
絶対、表現したら『意味を付け加えてしまう』という呪いにかかっています。
カタカナで『チョコレート』と書けば、
『なんか意味はわからないけど、チョコレートという読みのものなのだな』
と思えますが、
漢字で『貯庫冷凍』と書けば、
『たぶんチョコレートは庫に貯蔵ができて、冷凍するようなものなのだな』
と思ってしまうはずです。
ここに、漢字の弱点のひとつがあります。
もうひとつは、たとえば『貯庫冷凍』は、
本当に『チョコレート』と読むのか、という問題です。
『貯庫冷凍』は、
もしかしたら、『ちょっくられいとう』だったのかもしれません。
もしかしたら、『ショコラ レイトウ』かもしれません。
もしかしたら、『チョグラ ヒエゴール』かもしれません。
漢字は一文字一音の原則がないために、
並び方や使い方、時代によって読みが変わり、
その読みの常識がなくなると、読みを復元できないのです。
これが漢字の弱点の二つ目です。
もし、この漢字文化がいつか滅びて、
未来の人が漢字文章を見たとしても、
意味を見出すことはできるでしょうが、
おそらく、読みがわからないでしょう。
漢字はとても危ない文字です。
小説などには漢字の横に読みのルビーが振ってあることも多いですが、
あれは今思うと、とてもすばらしいことだと思います。
古文書や古い文書が読みにくい、あるいは読めないのは、
漢字を使っているせいなのが大きいです。
漢字は決して合理的なものではありません。
公文書などでは後の世にも伝わるように、
漢字には必ず表音のルビーを配しておくべきだと、
古い文書とひたすら対峙して思いました。