直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

神道古文解読のすすめ

2020年05月10日 | ちょこのひとかけ


日本の神社などは『神道』にもとづいています。

神道というのは字の通り『道』ですから、
そこに属するものには『道』のコトワリ、
すなわち『道理』というものが存在します。

でも、この道。
長い時間が経つ間に、横に別の道を作られたり、
本来ある道を捻じ曲げられてしまったりして、
今では元の形がとてもみにくくなってしまいました。

日本においては、今わかっている限り、すくなくとも三回、
神道の『道』は大きく変更されてしまっています。
現在ある神道は明治に変えられた『明治神道』です。

明治神道の前の神道を『旧神道』。
旧神道の前の神道を『古代神道』とし、
わたしは古代神道を調べています。

古代神道と明治神道は、
神道の常識、信仰の根幹がまったく異なります。

明治神道には別段くわしくないので断定はしませんが、
明治神道では、たとえば『オオヤマツミ』は
主に山とかかわりがある神様とされ、
それ以上でもそれ以下でもないとされているはずです。

ほかにも、氷川神社系列ではスサノヲを祭りますが、
それはそれでほかに意味はなく、
単にスサノヲを祭るだけのはずです。

そうした、今ある表面上のことを表面的に見るのが明治神道です。

一方で、古代神道は神様や神社を表面的には見ず、
神様のルーツを受け継いでいくことを重要視します。

たとえば、先にも述べた、『オオヤマツミ』。
現在では、主に山とかかわりがあるとされますが、
古代神道では山とはまったく関係ない神様です。
信仰されていた場所も今の場所とはことなります。
それは『なぜ』でしょうか。

たとえば、先にも述べた、いわゆる『スサノヲ』。
『なぜ』氷川系列の神社で祭るかわかりますか?

たとえば、スクナヒコナ神。
今の伝説では国を作った小さな神様と言われますが、
本来は小さくない神様でした。
あるときに小さくされ、その後飛ばされてしまったのです。
それがいつか、それが『なぜ』か、
もともとはどこをルーツとする神様で、
どこへ飛ばされたか、わかるでしょうか?

たとえば、住吉大社。
とても有名な神社ですが、もともとの神社の名前は異なります。
本来は、なんという神社だったかわかりますか?
本来どこにあった神社かわかりますか?
『なぜ』別の場所にあったかわかりますか?

たとえば、多くの神様たちと関わる高天原。
なんのことを示しているかわかりますか?
本来、なんと読むものなのかわかりますか?
『なぜ』そう読むかわかりますか?

たとえば、浦島太郎のお話。
あれは何を述べるものかわかりますか?
あれは『なぜ』、あんな話になっていると思いますか?


こういう『なぜ』が、古代神道では全部説明されています。
繰り返して言いますが、神道とは『道』です。
今、たとえで述べたものすべてが、古代神道という一本の道の上、
ひとつの『道理』に基づいて存在しているのです。
それを大切にすることこそが、古代神道だと言ってもいいかもしれません。

でも、新しい明治神道や、旧神道は、
古代神道の道理を壊し、切り捨てて、神道を形骸化させました。
住吉大社や出雲大社、神宮といった大きな神社でさえ、
自分たちが祭る神様の本来の姿もルーツも語りません。
形骸化させた外見だけを祈るという偶像崇拝みたいなものが
古代神道よりのちの神道です。


今祭られている神様と、古代神道で語られる神様の姿、
神社の姿があまりにかけ離れているので、
神道関係者は、神様や日本の歴史に関わるものを
自分たちだけで寡占して、
一般人にはわざと違えたものを示しているのだと考えていましたが、
どうもそうではないようです。

神道関係者だといっても、多くの人は日本の歴史どころか
神様の情報も知ってはいないのだ、ということがわかりました。

なぜそんなことが言えるのかといえば、
例などはいくつも挙げられますが、先に出した話で述べれば、
住吉大社のもろもろがわかりやすいでしょう。

古代神道の常識からすれば、
住吉大社は『すみよし』などとは読みません。
常識読みでは別の音を出し、その音は違う地名をさします。

その根拠となるものがご祭神で、
男三神は現在の住吉などにはまったく関わりのない神様です。
男三神は、もともとどこの神様だったのか、
男三神は、もともとなんの神様だったのか。
それを考えれば、今の住吉大社のあり方は
異様だとしか言いようがありません。

神道の道、道理さえ知っていれば間違えようもなく、
信仰心があるなら、あえてゆがめて偽の姿を出す意味もないのに、
なぜ本来とは違う姿にしているのか。

住吉大社だけでなく、
たとえば別の神社では、かつては正しい鳥居のタイプだったのに
新しく立て替えたときにタイプを変えてしまったという事例も見受けられます。
何百年と正しい鳥居を持っていたのに、なぜ現代になって
鳥居の形を変えてしまったのか。

それらの説明をつけるには、
『道理を知らないから』と考えるしかないのです。


多くの人々が、神道の解釈を誤っているというのを
もっともよく示す例は、『八百万の神』という言葉です。

いま、『八百万の神』という言葉を使う人は、
たぶん『日本すべての神さま』『日本のもろもろの神様』
という意味を込めていることだと思います。

……が。
『八百万の神』という言葉に、本来そんな意味はまったくない
ということをご存知でしょうか。

本来の『八百万の神』という言葉は、
『やおよろずの神様グループ』という、
特定の神様グループだけを表す言葉です。

たとえるなら、『海グループの神様』
『地面グループの神様』などというグループと同じ感じで、
『やおよろずグループの神様』です。

たとえば、もし、神無月などに『八百万の神様』が集まると
言ったとしても、えびすさまはそこに加わりません。
なぜか、と言えば。
それは、えびすさまが『やおよろずの神様グループ』に入っていないからです。

日本には『八百万の神様』がいるなどと言いますが、
えびすさまは『八百万の神様』の神様なのでしょうか?
ほかにも、いわゆるスサノオは、『八百万の神様』でしょうか?
いわゆるアマテラスは『八百万の神様』でしょうか?
いわゆるイザナミは『八百万の神様』でしょうか?
いわゆるイザナギは『八百万の神様』でしょうか?

もし、神道に詳しいという人や、現代の神道に関わるという人がいるなら、
『八百万の神』というのが何を指しているのか聞いてみたいところです。
上記ちょっとあげた神様は、『八百万の神』に含まれるのか否か。
なんの神様が『八百万の神』に含まれ、
なんの神様が『八百万の神』に含まれないのか。
それはなぜか、根拠はどこか。
たぶんこれが、神道の理解を測るもっともわかりやすい問いでしょう。

古代神道では道理にのっとっていて簡単に説明できる話を、
今の人はどう説明するのでしょうか。


神道のゆがみといえば、ほかにも、たとえば日本の妖怪とされる牛鬼。
牛鬼は、現在では妖怪の一種のように考えられていることでしょう。
その牛鬼を倒した伝説の有名人もいるほどです。
……が、その話、単なる絵空事ではありません。

牛鬼はもともとは妖怪などではなく、古代神道の神様でした。
古代神道では大きな事件として説明されているできごとののち、
神様が落とされて、鬼にされてしまったのです。
それを祖にもつ氏子や、信仰を持つ人々を牛鬼として、
殺してしまう人々がいたのです。


さらには、今はおとぎばなしとされている、浦島太郎の話も。
中身を知らない人からすれば、
『何が言いたいのかわからない』、
『あれは時間の流れが違うというSFの話だ』
などと思うかもしれませんが、意味はとても簡単です。

実は、浦島太郎の話はもともと、古代神道では有名な、
神様のエピソードなのです。
意味がわかるかわからないかは、
知っているか否か、知っていて思い出せるか否か、だけ。
オチはいくつか種類がありますが、神道の常識さえあれば、
本来の終わりはどれだったかも、簡単にわかります。


でも、一部の権力者が神道をゆがめ、
神様の名前も神威も奪ったせいで、
多くの神様は正しい姿を奪われ、
地に足もつかないふわふわとした存在にされてしまいました。

名前を奪うこと、名前を奪われること、
言葉の魂、言霊を失うことがどれだけ恐ろしいものかは
わかる人もいることでしょう。

たとえば、自分が他人から、本名でなく、侮辱を含んだ
蔑称で呼ばれ続けたら?
それを続けられて、穏やかな心でいられるでしょうか。

今の神様のほとんどは、旧神道や明治神道で名前を奪われ、
違う名前を与えられています。
簡単に言えば、名前を変られて、呪いで縛られているということです。

でも、神様や神社の本来の姿は、
まだ神社や神道関連の文書の中に残っています。
わたしはそれらを集め、読み、解読して、
神様の本当の名前、本当の姿を返し、
古い時代のこの国の歴史もほじくっていたのですが、
一人でやるにはもう時間が足りませんし、
解読できる文書もそれほど増やせません。

いまさら気づいたことでは、神様の名前や姿を返すというのは
少人数で知っていればいいのではなく、
大勢に広めて納得してもらうことが必要だったのでした。

わたしにお金や人徳があれば、
神道関連文書の読み方などを 知りたい人に伝え
有志で縁起などを集めて解読や分析などして
成果をまとめて人の目に触れる場所に出すなどの
手段もとれたかもしれませんが、どちらも縁遠く。

今のわたしができることとして、
神道関連文書などの古文を読める程度の、古文の解釈法をまとめ、
古文を読んで来なかった人にも、読んで使えるようにしておきました。

古文の解釈というのは、だれでも気軽に簡単に行えるものではありません。
『解釈』用の専門的な知識と、考え方などが必要になるのです。

『解釈』用の専門的な知識と、考え方などを持っていないまま
古文を考えようとしたらどうなるかと言えば
現実世界を見れば結果は明らかです。

たとえば神社には、
神社の名前さえ間違い、
祭神の名前さえ間違い、
祭っている神さまそのものさえ間違う
というところさえある始末です。
厳密な古文解釈法を使わなければ神道系の古い文書は読めません。

もし、どこかの神社に所属していたり、
何がしかの神さまの氏子だったりする人がいるならば、
まずは解釈法を身につけて、自分の氏神さまが
ほんとうに正しい読みで、正しいルーツで語られているかを
確かめることからはじめてみるといいかもしれません。

その神様の名前は、本当にあっていますか?
その神様の性質は、本当にあっていますか?
その神様は、どこに所属し、どこを本拠地としていたか、説明できますか?
古代神道では神様のルーツや本拠地は大体説明しているはずですから、
歴史のある古い神様ならそれらがきちんと説明できるはずです。
その説明ができないのなら、今の姿は間違っています。

いろんな人たちが、せめて自分の氏神さまの情報を集め、分析し、
取り戻した本来の姿をまとめてさらに分析していけば、
それぞれの神様の姿も、歴史も、
一人でやるよりも早く、精度も高く、見られるようになると思うのですが
残念です。

いつかきちんと古文を解釈できる人が増えて、
神様のあるべきすがた、本来の名前が取り戻されますように。


●古文書解読のための、基礎の基礎の方法


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