川の流れのように 秋元康作詞 見岳章作曲(1988年発表)
ああ川の流れのようにゆるやかに ♪
いくつもの時代は過ぎて(略) 空も黄昏に染まるだけ
生きることは旅すること 終わりのないこの道
ああ川の流れのようにおだやかにこの身をまかせたい
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美空ひばりさんは1937年(昭和12年)生まれだ。横浜の魚屋の娘として生まれ、小さい時笠置シズ子の物まねが得意で大人たちに歌って聞かせた。のど自慢で優勝してから子供ながら天才少女として芸能界で活躍する。
私は小学生のころ「リンゴ園の少女」という映画を見た。その2年前には「悲しき口笛」という映画で爆発的な人気女優となっていた。もちろん主題歌は大ヒットだ。
まだテレビのない頃、ラジオの歌謡番組からは当時の流行歌がいつも流れていたが、その中でいつも人気があったのは、ひばりさんの元気のいい歌声だった。
ひばりさんは、映画でも大活躍だった。
時代劇では娘役からお姫様そして男装の役、1m50cmの小柄なからだをチャンバラでは大立ち回りで、娯楽映画では華麗に見事こなして楽しませてくれた。
私にとって一番印象に残っているのは樋口一葉原作の「たけくらべ」という映画だ。彼女の出演作では最高の出来だと思っている。
その後の活躍は誰もが知っているとおりである。
1988年に最後のシングル曲として発売したのが、この「川の流れのように」だった。1989年に肝硬変でお亡くなりになった。いくらすごい天才でも病魔には勝てない。
私が物心ついたころから30-40年間は、私の耳にはひばりさんの歌が否応もなく聞こえていたのだった。私と共に時代を過ごしてきたのがひばりさんの歌だったともいえる。
「ああ♪ 川の流れのように・・・」のフレーズは、特に情感が込められていて印象的だ。それはひばりさんの最後の歌だったからということもあるかもしれない。そしてまたひばりさんが、この歌のように川の流れに身を任せて生きていたかは計り知れないが、こんな凄い人生は普通の人たちには真似はできない。しかし、この歌を聴きながら人生を振り返った時、このまま穏やかな川のように終わりのない道をどこまでも歩みたいと思ってしまう。
この歌を最近「ラジオ深夜便」という放送で真夜中の寝床の中で聴き、なつかしさに浸ってしまった。
蛇足だが、そんなひばりさんの息子の加藤和也さんが、8億円の負債をかかえて目黒区の「美空ひばり記念館」の売却に迫られているという噂だ。川の流れも、時には氾濫するときがある。ただ、そんな俗世間の話などどうでもいい。ひばりさんの歌は永久不滅に流れ続ける。なんとも言い難いが人間の生きざまとは予測しがたいことばかりだ。