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生活に活力と希望を・・・。

2020-04-08 10:58:24 | 散策
近辺に咲き乱れていた桜も少し散りかけてきました。
新型コロナの緊急事態宣言も4月8日に出され、外出は自粛するように要請と指示が出ています。自宅の庭と自宅前の水路にでていくらか気分転換をしています。

  

  

  

狭い庭にも春が来て花たちが咲き始めています。
水路には、昨年の暮れに飛来したカモたちが、まだ陽だまりの水辺で水草を漁っています。4月を過ぎるとカモたちは、多分どこかに飛び去ってゆきます。ときたま夏場も残留するカモもいますが、ごくわずかです。
水路にはたくさんのカメが住み着いています。ミドリガメが大きくなったもののようです。誰かが捨てたのでしょう。


映画(邦画) この世界の片隅に 片渕須直監督2016年作品

2020-04-02 09:06:59 | 映画

        
     「周作さん、ありがとう。この世界の片隅に、うちを
      つけてくれて。」
       (「この世界の片隅に」から北條すずの言葉 )

あらすじ
浦野すずは、広島県江波で生まれ育った。両親は海苔の加工業で兄と妹がいる。学校では図画が得意で、家でも漫画風の絵をいつも描いていた。出来上がった海苔を届けに行く途中、籠を背負ったオジサンを人さらいと勘違いしたり、伯父さんの家で座敷童を空想したり、周囲からは、空想好きでボーっとしていると噂されていた。

昭和15年3月学校を卒業した。しばらく家で手伝いをしていたが18歳の時、お嫁に欲しいという話があり、嫌も応もなく承知してしまう。相手は呉の海軍関係の仕事をしている北條周作という人。義母はサン、義父は円太郎と言い、周作と円太郎は朝早く仕事に出かける。慣れない家事に勤しむすずだが、持ち前の呑気さで快活にやった。

周作には径子という姉がいて、黒村家に嫁いでいた。径子が娘の晴美を連れて里帰りに来た。径子ははっきりモノを言う性格でテキパキと家事をこなしす。自分の居る間、すずにも里帰りしたらと言うので、すずも江波に里帰りした。妹は挺身隊で働いていた。兵隊に行った兄の要一からの便りはないのが気がかりである。すずは、広島の町をスケッチして歩いた。

2-3日江波にいて、呉に戻ると義姉も嫁ぎ先へ帰っていた。浮かない気持ちのすずは、丘で一人軍港を眺めていると周作が来た。周作は軍港を見渡して、航空母艦や戦艦大和などを指差して教えた。米や調味料の配給は半分になる。すずは野草、芋、卯の花、イワシの干物など工夫して食事や弁当を作った。昭和19年6月になると町には警戒警報が流れ、商店などは建物疎開した。義姉の実家は下関に疎開したため、夫の居ない義姉は離縁してもらいすずの家に同居した。庭に防空壕を作った。

そんなすずが闇市場へ買いに街に出た際、遊郭の中に迷い込む。遊郭の女の人のお蔭で家に戻れた。そんな様子を知った周作は町を案内しようとすずを呼び出した。すずは昔の同級生と会わないか心配する。すずは「今は周作さんに親切にされているし、お友達も出来ているので、現実の夢からは覚めたくない」と言う。周作は「あんたを選んだのは最良の選択だ」と述べる。そんなすずは妊娠に気づく。

すずの家に水兵になった同級生の水原が一泊させてくれと訪ねて来た。周作は納屋の二階に泊まれてと指示し、すずにアンカを持たせた。すずと水原はその夜思い出話に終始した。昭和20年2月、すずの兄要一は遺骨で帰宅した。遺骨と言っても石コロだった。3月19日、呉の上空に軍用機が飛来した。そして空襲が始まる。近所の17歳の少年も徴兵された。そして遂に周作も法務一等兵曹として海兵団で訓練を受けることになった。

呉は空襲が激しくなった。そこで径子は晴美を連れて下関に避難することに決めた。見送りにすずは行った。その際、切符を買っている時間にすずは晴美を連れて義父の居る病院に行った、その帰り道、空襲が襲う。なんとか助かったが、道路の不発弾にが爆殺して、晴美は死ぬ。すずも右手首を失い、全身やけどを負った。

すずは消防団に助けられ家に送ってもらい布団の中で意識を回復した。家では径子が嘆き悲しみ「あなたが付いていたのに・・人殺し」と混乱したので義母はなだめる。すずの家にも焼夷弾が落ちた。すずは必死で消火する。7月に入り空襲は更にひどくなった。妹が見舞いに来た。「広島に帰ったら」と言う。そんな中、訓練が中止になったと周作が帰って来た。ほっとしたすずだが、「広島に帰る」と告げると周作は「1年半、わしは楽しかったよ」と引き留めるがすずの意志は固い。

義母も淋しがる。義姉は「晴美の死をあんたのせいにして済まなかった」と謝る。「そして気兼ねせんでいてもええで」と好意を示した。そんな話の最中に外では大きな稲光がしてキノコ雲が立ち上った。その夜、周作は「広島では新爆弾が投下された」と話す。8月15日には、玉音放送が流れた。「最後の一人まで戦うのではなかったのか!」とすずは憤慨する。

11月、街には進駐軍が入って、すべて様子が変わった。すずは広島を訪ねたが、両親は亡くなっていて、妹だけがいた。海軍を解体するのが周作の役目で周作も広島に来ていた。「11月でお役御免だ」と言う。そして焼野原の町を二人は歩いた。「初めてあんたと出会ったのはこの橋の上じゃ」と立ち止まった。すずは「周作さん、ありがとう。この世界の片隅で、うちを見つけてくれて」と周作の優しさに感謝した。「広島で世帯を持ってもいい」と周作。
すずは「呉はうちが選んだ場所ですけえ」と二人は、近寄って来た孤児を連れて呉に戻った。

            
感想など
映画の時代は昭和初期で、太平洋戦争に突入した戦時中の話だ。まだ、男女平等や女性の自立は難しく男は仕事、女は家事育児をするのが一般的だった頃の話である。優しい両親に育てられ、慎ましく呑気でボーっとしていると周囲から思われていた女性が、人に勧められるまま結婚し、嫁ぎ先の与えられた環境の中で健気に一生懸命生き抜くと言うものである。作者の意図は、戦時中を描くと言うより、一家族の日常の中に戦争が災いした状況を描いた作品だという。

時代が戦時中は、特異な環境であることは確かである。誰でもが生命の危険にさらされ、戦争と言う過酷な状況を背負わされ、節約を強いられ、自由もなく乏しい物資をやりくりして最低限の生活をせざるを得なかった。主人公は、恋愛の経験はなくただ、お嫁に欲しいと望まれて、嫁いでゆく。相手の顔さえよく分からず、嫁ぎ先の住所も細かく知らず相手方の自宅で婚礼の式を上げる。

お相手は呉港の海軍の法務事務官である。なかなか思いやりがあり、優しい人物だ。お姑さんも優しい。ただ、出戻りとも言える義姉が、対照的な存在として出てくる。義姉は不幸だ。眼鏡屋の若旦那と恋愛・結婚して、店を経営していた。旦那は出征して死ぬ。長男と長女がいて、お姑が店をやっていたが、建物疎開で長男を連れ下関に移る。折り合いの悪い義姉は、長女を連れ離婚して実家に戻ったのだ。その長女をすずが町で不発弾に触れ死なせる。すず自身も右手首を失い重傷を負う。

義姉の長女を死なせた負い目。右手首を失った不自由さ、洗濯も食事作りも一人前に出来ない辛さ、義姉は言う「周りに言われ、知らん家に嫁に来て、言われるように働かされ、あんたも詰らん人生やとも思う」と言いつつ、テキパキとすずを手伝ってくれる。ただ、すず自身は残酷そのものと言ってもいい中で、淡々とむしろ平然と厳しさをものともせずに工夫や環境に合わせてポジティブに生きた姿は、現代の平和ボケした時代に平凡であることがいかに幸せであるかを語りかける。

すずが広島の実家に帰る決心を告げた時、夫の周作は「わしは楽しかったよ。この一年半」と引き留める。以前も「すずさん、あんたを選んだのは、最良の選択だった」と本心を述べている。そんな周作の愛情に満ちた態度や言葉は、自分自身が選んだ道ではなかったすずだが、そこに与えられた環境は申し分のないものだったのだろう。

戦時中のため物資の配給制、やみ市場での物資の高騰、憲兵によるスパイ活動の監視、警戒警報や爆撃機による空襲などの緊張感、防空壕への避難、兄の戦死、次々に出征する若者たち。そしてついには夫周作への召集命令などつぎつぎと戦争の重圧は圧し掛かってくるのだが、不味い食事、ちょっとしたことでの諍い、夫婦の言い争い、間抜けな事での笑い合い、人間らしい生活の営みがほのぼのと伝わってくる。

本作はアニメーションで、戦争の悲惨さを伝えているが、アニメ特有のファンタジックで空想的な一面もあり、現実からワンクッション隔てた雰囲気を醸し出している。北條すず夫婦のラブシーンや愛情表現もどこかナイーブで、ぎこちなく可愛らしいものになっている。そこに純朴さやあどけなさがひしと伝わってくる。戦時中の日常生活も、様変わりした現代とは程遠い世界である。なにか別世界の暮らしをみるようだが、そこには不思議と懐かしさを感じてしまう。それは派手さや奇をてらわない丁寧で堅実な画面構成のせいであろう。傑作とは言い難いが、心に沁み込んでくる優れた作品であった。