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生活に活力と希望を・・・。

華麗なるギャッビー (バズ・ラーマン監督2013年作品)

2020-10-30 16:59:05 | 映画
                  {彼は途方もなく希望を抱いた男で、他には知らない」
               (「華麗なるギャッビー」からニック・キャラウェイの言葉)  
        
                           
あらすじ
ニック・キャラウェイ(トピー・マグワイアー)は、アル中と不眠、不安症で「パーキンス療養所」で治療していた。主治医から「思い出でも何でも文章に書くと癒される」と助言され、過去を回想して書き出した。

1922年の夏。当時のNYは空前の好景気で、株は高騰し、モラルは低下して狂乱の時代だった。大学では作家志望だったが、ウォール街の証券会社に入った。そして郊外のウエストエッグにコテージ風の家を証券の勉強する予定で借りた。対岸には従妹のデイジー・ブキャナン(キャリー・マリガン)が邸宅に住んでいた。夫はトム・ブキャナン(ジョエル・エドガートン)といい鉄道王の跡取りで、大学の学友だった。

引っ越し後ニックは、ブキャナン邸を訪ねた。デイジーから親友のプロゴルファーのジョーダン・ベイカー(エリザベス・デビッキ)を紹介された。デイジーとジョーダンは、トムに愛人がいることを薄々知っている様子だった。そんな中、トムはNYに用事があるとニックを誘い出かける。ところが途中の石炭捨て場の中の自動車修理工場に寄った。そこのジョージ・ウイルソン(ジェイソン・クラーク)の妻マートル(アイラ・フィッシャー)を連れ、夫人のアパートに行き、マートルの妹を含め、6人で飲めや歌えのどんちゃん騒ぎで酔いつぶれてしまった。

翌日、目覚めると自宅にいた。自宅の隣にはジェイ・ギャッビー(レオナルド・デカプリオ)の邸宅がある。ギャッビー邸では週末ごとにパーティが開かれていた。そこからニックに招待状が届けられた。ニックがパーティに行くと会場はカーニバルさながら来客は、億万長者・知事・遊び人・映画スターなどが乱痴気騒ぎしている。そのうちにニックはベイカーと会う。そしてギャッビーが親しみをみせて話しかけてきた。

翌日、ギャッビーはニックをランチに誘った。自分は膨大な遺産を引き継ぎ、オックスフォードダ大学を出て軍隊では勲章を貰ったと話す。そして賭博師の友人が経営する地下酒場へ案内した。そこで偶然トムに会う。そのあとベイカーに会い、ニックの家でお茶会をやりギャッビーとデイジーを再会させてほしいと頼まれる。デイジーとギャッビーは結婚前に好い仲だったが、ギャッビーが従軍したあと鉄道王トムと結婚してしまったのだという。

ニックはそんな仲介を好意で引き受けた。何も知らないデイジーはお茶会に来て、そこでギャッビーと再会する。お互いに緊張で固まっていたが、そのうち親密さを取り戻し、過去の手紙や写真を懐かしむ。後日、ギャッビーは、デイジー夫妻をパーティに呼んだ。デイジーの夫トムは、ギャッビーの正体を調べるとつぶやく。その後、パーティはなくなり、デイジーが内緒でギャッビー宅を訪ねる。デイジーは家に帰りたくないとまでいう。

ギャッビーはニックに今後のことを話した。駆け落ちではなく5年前にもどしてデイジーとこの家で暮らしたいというのだ。そしてデイジーに「トムを愛していない」と言わせるのでベイカーとニックに立ち会ってくれという。そして当日、ベイカーとニックとギヤッピーは、トム家に行きテーブルを囲んだ。トムはデイジーとキャッピーの仕草から異変をキャッチしてここでなくホテルで楽しく話そうと外へ出る。

みんなはNYのホテルへ行く。ギャッビーはデイジーに「トムを愛していないと言ってくれ」と促す。トムはギャッビーに「お前は証券の操作師で密造酒を売るペテン師だ」更に「お前とは生まれが違う」と侮蔑する。それに対しギャッビーは「黙れ!」と凄い形相で掴みかかったが思い直した。居た堪れなくなったデイジーは帰ると言い出したのでギャッビーは車に乗せてNYを出た。途中の石炭捨て場の自動車修理工場前に来た時、トムの愛人のマートル夫人が飛び出してきたためギャッビーの車は夫人を跳ね飛ばし、そのまま走り続けてしまった。

後からトム達の車が来て事故を知った。夫人の旦那ウイルソンはギャッビーが間男だったと誤解したためトムは「そうだ」と嘘を付いた。デイジーは、自宅に戻ったためギャッビーは外で待ったが来ないので自分の家に帰る。翌日、プールで泳いでいるギャッビーをウイルソンが銃で撃ち殺し、自分も自殺した。警察はトムの供述どおり、ギャッビーの不倫とひき逃げと判断した。ギャッビーの葬儀にはニック以外誰も来なかった。それらすべてを書き上げてニックは「ギャッビー」とタイトルを付けた。

感想など
愛してやまない女性は従軍中に裕福な男性と結婚してしまった。ギャッビーは帰還してから闇雲に働き5年後、財を得て女性の住む対岸に御殿を構え週末パーティを開き女性が訪ねてくれるのを待つ。そして隣人を介して女性と再会する。二人は愛を確認し合うが夫はそれを察する。女性が夫を愛していないと告白することを躊躇している内に夫の謀略でギャッビーは殺される。ギャッビーは息途絶えるまで女性が駆けつけてくれるのを信じて待つというもの。

以前記事にした映画「ベストセラー」に登場したF・スコット・フィッツジェラルドの傑作「グレート・キャッピー」を映画化したもの。1920年代の大恐慌直前の狂乱の好景気を背景にロングアイランドの豪華な保養地と隣接する石炭捨て場の貧困地区を舞台に展開。主人公は極貧階層出身で、密造酒製造で富を築いたが自分は上流階層出だと偽り、女性に対して見栄を張るのだが、女性の夫は調べて主人公が下層階級の出身だと暴露する。

愛された女性とその夫はまさしく上流階級の人間だ。だが、夫は不倫をし、乱痴気パーティを好み、平気で嘘をつき、罪を他人になすり付ける最低の人間だ。愛された女性も夫に愛想尽かししたいのにできない優柔不断さとその場から逃避しようとする軽薄さ、夫の自動車事故からの責任逃れするなど俗人である。彼等の裏表の全部を知っている友人は、洗いざらいすべてを語ることもできないのが実情だ。彼の眼には、「彼は途方もなく希望を抱いた男で、他には知らない」とむしろ追っかけ男の気品と純粋性を称賛する。

女性に来てもらいためのパーティは空振りだったが、隣人を介してギャッビーは女性と再会を果たす。再会の場面が面白い。人は真剣になればなるほど滑稽に見える。また、女性が夫に「愛していない」と決意を告げる場面の混乱状態がまた面白い。結局、女性は言い出しきれずに場所を変えようとまで言い出す。そんな板挟みの状況がきわどく描かれている。

ただの不倫でなく、また駆け落ちで逃避するのではなく、正々堂々と完全に女性を取り戻したい。5年間の過去をなかったものにしたい。ギャッビーの愛は完全無欠な夢を希求したもので、妥協は一切なく、女性の心情も全然疑わす、信頼しきっていて、迷いは一切ない。ただ、妻が夫に「愛していない」を直接言わせようとすることは非常に残酷なことである。現代なら弁護士同士の交渉話になることである。

映画は、愛する追っかけ男を「最後まであきらめないアメリカンドリーム」に重ね合わせているのかもしれない。また貧困地区には、眼科医エックルバーク博士の廃墟の看板が登場する。女性の夫が愛人をひき殺した様子をすべて見ていたわけだ。犯罪は隠蔽され、冤罪のまま追っかけ男は、参列者が誰もいない葬儀を行った。パーティに群がった追っかけ男の邸宅は静寂そのものだった。

映画は豪華で展開もよく出来ていて面白かった。ニックもデイジーもギャッビーも適役と思えたし、熱演していたと思う。しかし、ニックの彼は途方もなく希望を抱いた男で、他に知らない」の主張には同感できなかった。キャッピーは独善的だし、完璧を求めすぎた。ニックが称賛したアメリカンドリームとは、先住民族を何百万人も虐殺し、黒人奴隷によって繁栄し、ベトナム戦争を正義だと介入し、現在はアメリカ第一主義を唱えている独りよがりの夢想主義なのかもしれない。