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生活に活力と希望を・・・。

映画(邦画) 煙突の見える場所 五所平之助監督1953年作品

2020-03-30 14:19:07 | 映画
          
     「家では三本に見える煙突が、川向うでは二本に見えるよ」
          (「煙突の見える場所」から久保健三の言葉)

あらすじ
昭和30年前後の東京下町。北千住のお化け煙突(四本の煙突が見る角度で1-2-3-4本に見える)が、3本に見える場所に緒方陸吉(上原謙)は住んでいる。家は借家で向かい側の法華宗の祈祷所を営む大家から月3千円で借りている。仕事は日本橋の「奴足袋本舗」に勤め、妻弘子(田中絹代)と二人暮らし。家が二階建てなので、二階の二間を独身の久保健三(芥川比呂志)と東仙子(高峰秀子)に朝飯付月2千円と月1千7百円で又貸ししている。二階の久保は税務署の督促係勤務で区内を督促して回っている。また、仙子は上野の商店街のアナウンス係をしている。

緒方陸吉は2年前に初婚で弘子と結婚した。弘子は再婚で、前夫は戦死したという。お互いに愛し合っていた。ある日、弘子が帰宅して緒方の部屋を覗くと陸吉と弘子が抱き合っていた。陸吉と弘子は驚いて、その場を取り繕ったが仙子はしばらく見詰めてしまった。すぐ仙子は二階に上がり、帰っていた久保に「じゃれてるのは見る方もいやなもの。でも、見てやった。愛情なんて情けないものね。私は見られても平気よ」と言う。久保は「残酷だな。下の夫婦に悪いよ」と答える。

陸吉と弘子は仲がいいが、時たま隙間風も入る。弘子は陸吉に内緒で競輪場の両替のバイトをしていた。通帳に積んだ金額を見て「相談もせず」と陸吉は不機嫌になる。弘子の前夫は空襲で死んだと言われていたが「殺したのか」とか嫌味も言う。また職場で「女房が他人の気がする」などと漏らしたりした。ある日、弘子は肉の安売り目当てで、遠回りして帰宅するとき偶然、久保に出会った。そのとき久保は「煙突が2本に見える」と弘子に教えた。自宅近くからはいつも3本に見えていたのだ。そのときお化け煙突は見た場所で本数が違うのだと弘子は気づいた。

その日弘子が玄関に入ると赤ん坊が泣いていたので驚く。夫の陸吉が「どうしたの」と聞いたが「知らない」と答えた。咄嗟に「捨て子よ」と言い放ったが赤ん坊の下に弘子宛ての手紙があった。差出は塚原とあり、前夫だった。「重子はあなたの子です。育ててやってください」とある。そして戸籍謄本が添えてあった。弘子は「警察で相談します」と陸吉へ言ったが、陸吉は自分の持ってる戸籍を見て「二重婚になってる。僕も罰せられる」と警察へ行くことを止めさせる。二階の久保も仙子も赤ん坊の泣き声に閉口している。久保は「緒方さんにも分からないらしい。煙突みたいだ、川向うでは2本に見えたよ」と耳を塞いだ。

赤ん坊は泣きやまない。弘子は寝ないであやしてる。見兼ねた陸吉は自分も抱っこしてあやす。陸吉は「なぜ他人の子の面倒をみなけれならないのか」と文句を言う。弘子と陸吉は口喧嘩になる。喧嘩は二階に筒抜けだ。久保も仙子も寝られない。久保は仙子に「君は僕が好きなのか」と聞く。仙子は「好きな気もするし、嫌いな気もする」という。「じゃんけんで決める」と言い出し、勝負はつかない。そんな騒ぎは緒方たちにも聞こえた。緒方夫婦の喧嘩は極限に達して、弘子は「お世話になりました」と外へ出て行く。それを追う陸吉。その後を久保と仙子も追って行く。川まで来ると弘子は入水し始めた。それを見た久保は慌てて岸辺に連れてきて介抱する。弘子は意識を取り戻し家に帰る。

一段落した久保は仙子に「これは個人の問題ではない。正義の問題だ」と前夫塚原を探すこととした。そんな久保に仙子は「愛している」と言ったので久保は更にやる気を出す。苦労の末塚原(田中春男)を見付けたが、妻の勝子(花井蘭子)に話してくれと責任逃れを言い出す。赤ん坊は勝子が生んだ子だった。勝子が子どもを塚原に押し付けたもので、塚原は親戚に預けたと勝子に嘘をついていたようだ。

一方、緒方家の赤ん坊は高熱を出して危篤状態になる。医者もどうなるか分からないと診断した。そこへ久保が帰ってきて塚原とその妻のだらしなさを嘆く。それを怒る仙子。しかし、赤ん坊は突然、意識を取り戻し元気になった。そんな中、勝子が赤ん坊を返せと緒方を訪ねてきた。緒方夫婦はそんな身勝手な勝子に「返したくない」と追い返す。すごすご帰る勝子。それを見た弘子は気が変わり「可愛いが返してやりたい」と言う。それを聞いた仙子は勝子を追いかけ、赤ん坊は勝子に返した。

そんな事件が一段落して、緒方夫婦の結びつきは一段と固いものとなった。そして久保と仙子の一緒になる約束をしたのだった。

           
感想など
・  この映画は、「煙突の見える場所」に住む一組の夫婦が、ひとつの災難を契機に愛情を確認しあい、それに関わった二階に下宿する二人の独身男女が前向きに結ばれるという話です。そこには4本の煙突が見る場所によって違う本数に見える現象を人間の心の距離感に譬えているようです。

・  人間の疑心暗鬼とか、心の曖昧さ、狡さや身勝手さが描かれ、深刻なテーマですが、どこか風刺的ユーモアに満ちています。周辺には愉快な人達が登場し、旦那は刑法184条を持ち出したり、パチンコの景品を持て余したり、独身男女の決め事はジャンケンで決めたりして笑わせます。

・  東京大空襲で役所の戸籍簿が焼失したところもあるので、戸籍の二重登録もあったのかもしれませんが、緒方陸吉の刑法184条で罰せられるから警察に届けられないというあたりは、あまりにも戦後民主主義に慣れていない庶民の端的な心情かもしれません。

・  芥川龍之介の長男芥川比呂志が出演し、音楽を次男の也寸志が担当しています。映画の内容以上の迫力を感じる音楽でした。芥川比呂志さんは朴訥でよかったし、高峰さんはだぶだぶのズボンをはいて粗末な格好もしましたがやはりお顔は美しいです。上原謙と田中絹代は下町ではちょっと上品すぎる感じもしました。

・  中学生の頃、この映画のポスターを横目に通学したことを覚えています。自宅から直接「お化け煙突」は見えなかったが、歩いて15分もすれば見えたし、北千住の名物だとは知れ渡っていた。ただ、当時はこの映画には関心なく時代劇や活劇を面白がっていたのでとうとう見過ごしてしまった。大人になり煙突も撤去されてみるとやはり懐かしいものです。いつか見たいと思いつつ機会を逃していました。東京下町ものの映画にはいつもシンボルのように出ます。最近、やっと見られました。

 北千住の火力発電所の4本の煙突は、見る角度や場所によって、1本から2本、3本、4本と見えました。そこで周辺の人達は「お化け煙突」呼んで、ひとつの名物のようになっていたのです。大正15年に出来て昭和38年に老朽化して取り壊されました。当時、下町を描いた映画には下町のシンボルのように出ています。「東京物語」「見上げてごらん夜の星を」「いつでも夢を」「女が階段を上るとき」などがあります。

読書(小説) 「キネマの神様」 2008年 原田マハ著

2020-03-22 18:37:07 | 読書
            

                   「ああ、俺は本当に映画が好きだ。
               映画を見続ける人生でよかった。」
         (小説「キネマの神様」からゴウの言葉)

あらすじ
ギャンブルと映画マニアの79歳の丸山郷直(通称ゴウ)は、映画雑誌「映友」が主宰するブログに映画評論を投稿していた。そのおかげで、失業中の娘歩(あゆみ)は「映友」の専属ライターとして採用される。「映友」の経営状態は芳しくなかった。そのためブログに力を入れ、リニューアルを考えていた時、ゴウの映画評論に出ていた「シネマの神様」というタイトルでブログの拡張を図ったところ、それが功を奏し、ブログへのアプローチは延びて、雑誌にも影響し始める。

そんな中で、歩は以前いた会社の後輩清音が、アメリカに住んでいたので、アメリカ版の「シネマの神様」を開設したところアプローチは10倍に膨らむほど盛況になる。
ある日、ゴウが投稿した「フィールド・オブ・ドリームス」の記事に対して、アメリカのローズ・パットというハンドルネームの反論記事が載り、バトルが繰り広げられた。それがますます「シネマの神様」のブログを煽った。

ゴウが足繁く通う、市ヶ谷の名画座「テアトル銀幕」の経営者寺林新太郎(テラシン)は、経営危機から名画座の閉鎖を宣言した。ゴウや歩は、やむなくローズ・パットに対し、相談するブログを掲載し、回答を待つことにした。待つ内にローズ・パットとは、アメリカで著名な映画評論家リチャード・キャパネルであることが判明する。時間を置いて存続を願うという回答と共にトム・ハンクスや著名人から署名入りで存続を願う手紙が殺到する。それによって「テアトル銀幕」の入場者は増えて、存続することができた。

ゴウとキャパネルは、お互いに会うことを約束するのだが、キャパネルは癌で急逝する。
そして、「テアトル銀幕」のキネマの神様感謝祭では、「映友」関係者、ゴウ、歩などが、亡きキャパネルの席も確保して、みんなが一番好きな映画をみんなが一番好きな場所でみんな一緒に見るのだった。その映画とは ?

感想など

l       この小説は出来栄えとは関係ありません。とにかく映画好きな連中が、ブログを介して映画議論のバトルを繰り返し、一喜一憂するということで、ごく身近な話でした。😊 

l       また、名画座の存続やシネコンの話題が絡み、有名作品が実名で書かれ、作者の思い入れの感想が詳しく書かれていて、大いに共感できたのも面白かったのです。

l       映画の神様というのは、ゴウという79歳の映画マニアが、発想したもので「映画館には神がいて、映画という奉納物を見て喜ぶ観客を楽しんでいる」というものです。

l       映画「フィールド・オブ・ドリームス」の評価について、ゴウとローズ・パットの受け止め方の違いは、この映画のもつ面白味でもあるわけです。

l       「ニューシネマパラダイス」「硫黄島からの手紙」「ローマの休日」「カサブランカ」「オールアバウトマイマザー」「トークツーハー」などなどの名画の名前がぞろぞろ登場するのも映画好きにはたまりません。 

l       作者は原田マハさん。1962年生まれ、「カフーを待ちわびて」で作家デビュー。この作品は2007-8年に別冊文藝春秋に掲載され2008年刊行されたものです。
   「リーチ先生」で新田次郎文学賞、「美しき愚か者たちのタブロー」など過去3回直木賞の候補に挙がった。

現在、映画化されていて今年中(2020年12月)に公開される予定です。作品は山田洋二監督で、志村けんと菅田将暉,永野芽郁,宮本信子が出演します。

追記; 4月に撮影開始予定でしたが、3月半ばに志村けんさんは、新型コロナウイルスに感染して入院したようです。70歳と高齢なので心配です。(3月26日)

追記; 4月からの撮影は困難として、志村けんは降板したと報道あり😰 。(3月27日)

追記; 3月29日にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。(3月30日)

                                   


音楽(歌) 青春の輝き カーペンターズ

2020-03-21 13:42:35 | 音楽

            

青春の輝き(I NEED TO BE IN LOVE) カーペンターズ

中年のおっさんだったころ、カーペンターズの歌を聴いて、その独特のスタイルに魅せられ、半世紀あまり聞き続けている。カレンについてはほとんど知らない。だが豊かな声量と感情を抑え込んで、堂々と達観したような雰囲気は、いつどんな時でも自分を慰めてくれる。その中の一曲「青春の輝き」は、好きな人を積極的に愛せなかった自分の過去を悔いている歌である。

YouTubeで聴けます。

歌詞(部分)
「やっと私は気が付いた ただで得られるものはないって ♪
私には愛することが必要だった ♪
分かっている 時間をかけすぎた ♪
中途半端な世界で完璧を求めた ♪
見つかると思っていたのが愚かしかった ♪」
 
カレンの歌の魅力が十分に発揮されているいい曲だ。雰囲気に深みと包容力があって、とこか懐かしさと郷愁を感じさせる。
残念なことにカレンは33歳で拒食症になり早世した。残した数々の歌声は、今でも私を慰めるように歌い続けてくれている。

音楽(歌) 川の流れのように 美空ひばり

2020-03-18 16:59:48 | 音楽

          


川の流れのように 秋元康作詞 見岳章作曲(1988年発表)

 ああ川の流れのようにゆるやかに ♪
 いくつもの時代は過ぎて(略) 空も黄昏に染まるだけ
 生きることは旅すること 終わりのないこの道
 ああ川の流れのようにおだやかにこの身をまかせたい

YouTube が開けます。

 
美空ひばりさんは1937年(昭和12年)生まれだ。横浜の魚屋の娘として生まれ、小さい時笠置シズ子の物まねが得意で大人たちに歌って聞かせた。のど自慢で優勝してから子供ながら天才少女として芸能界で活躍する。
私は小学生のころ「リンゴ園の少女」という映画を見た。その2年前には「悲しき口笛」という映画で爆発的な人気女優となっていた。もちろん主題歌は大ヒットだ。
まだテレビのない頃、ラジオの歌謡番組からは当時の流行歌がいつも流れていたが、その中でいつも人気があったのは、ひばりさんの元気のいい歌声だった。
ひばりさんは、映画でも大活躍だった。
時代劇では娘役からお姫様そして男装の役、1m50cmの小柄なからだをチャンバラでは大立ち回りで、娯楽映画では華麗に見事こなして楽しませてくれた。
私にとって一番印象に残っているのは樋口一葉原作の「たけくらべ」という映画だ。彼女の出演作では最高の出来だと思っている。

その後の活躍は誰もが知っているとおりである。
1988年に最後のシングル曲として発売したのが、この「川の流れのように」だった。1989年に肝硬変でお亡くなりになった。いくらすごい天才でも病魔には勝てない。
私が物心ついたころから30-40年間は、私の耳にはひばりさんの歌が否応もなく聞こえていたのだった。私と共に時代を過ごしてきたのがひばりさんの歌だったともいえる。
「ああ♪ 川の流れのように・・・」のフレーズは、特に情感が込められていて印象的だ。それはひばりさんの最後の歌だったからということもあるかもしれない。そしてまたひばりさんが、この歌のように川の流れに身を任せて生きていたかは計り知れないが、こんな凄い人生は普通の人たちには真似はできない。しかし、この歌を聴きながら人生を振り返った時、このまま穏やかな川のように終わりのない道をどこまでも歩みたいと思ってしまう。
この歌を最近「ラジオ深夜便」という放送で真夜中の寝床の中で聴き、なつかしさに浸ってしまった。

蛇足だが、そんなひばりさんの息子の加藤和也さんが、8億円の負債をかかえて目黒区の「美空ひばり記念館」の売却に迫られているという噂だ。川の流れも、時には氾濫するときがある。ただ、そんな俗世間の話などどうでもいい。ひばりさんの歌は永久不滅に流れ続ける。なんとも言い難いが人間の生きざまとは予測しがたいことばかりだ。 


映画(洋画) 「黄昏」マーク・ライデル監督1981年作品

2020-03-16 18:18:31 | 映画

                             

                             人生は止らない。あなたは大人よ。
                              乗り遅れないで。
          (「黄昏」からエセルの言葉)

あらすじ
黄金色の湖面、湖面の水鳥、岸辺の森と花々。初夏のニューイングランドのゴールデン・ポンドの別荘へ、退官した大学教授で80歳を迎えるノーマン(ヘンリー・フォンダ)と妻エセル(キャサリン・ヘップバーン)が、夏休みを過ごすため久しぶりにやって来る。留守の間に暖炉の上に置いた人形が床に転げ落ちていることに気付くエセルはノーマンに言う。

エセル「エルマー(人形)は初恋の人よ。あなたはエルマーの身代わりだったの」
ノーマン「不治の病で自殺かな」
エセル「やめて」
ノーマン「悪くない方法だ。飛び降りれば火葬場に一直線というわけだ」
エセル「黙って」
ノーマン「いよいよとなったら、わしも暖炉の上に載せてくれ。宙返りで飛び込むよ」
エセル「いい加減にして、死に魅了されたよう」
ノーマン「時々考えるだけだ」
エセル「5分おきよ。他に興味はないの」
ノーマン「ないね」
エセル「それなら、さっさと飛び込んで終わらせな」
ノーマン「お前とエルマーを残して? それはダメだ」 と言うような皮肉めいた会話となる。


後日、一人娘のチェルシー(ジェーン・フォンダ)が、80歳となるノーマンの誕生日に婚約者を連れてきて紹介したいと連絡が来る。チェルシーは、父ノーマンとは折り合いが悪く、しばらくは疎遠になっていた。
婚約者は、離婚歴がある歯科医ビル(ダブニー・コールマン)といい、13歳のビリー(ダブ・マッケオン)という連れっ子がいるとのこと。
80歳になろうとするノーマンは、心臓病の持病のほか、最近は物忘れもひどくなっている。別荘の周辺の道に迷ったりして落ち込んでしまう。

エセル「あなたは、わたしにとって輝ける、頼もしい騎士よ。馬の上であなたの背中にしがみつくわ。どこまでも  二人で行きましょう」と慰める。
ノーマン「馬は嫌いだ。ずいぶん年をとった姫だなあ。なぜ、こんな老いぼれと暮す。?」
エセル「さあ、なぜかしらね」
そして、娘のチェルシーは、婚約者のビルと連れっ子のビリーを別荘に連れてきて、両親に紹介する。
ビルは、ノーマンに積極的に話しかける。
ビル「80歳の気分は」
ノーマン「40歳のときの倍は酷い」
ビル「私は5年前に味わいました。奥様はなんと呼べばよろしいですか」
ノーマン「エセルでいい。舌を噛みそうな名だ。おかげで結婚のとき揉めた」
ビル「旧姓は」
ノーマン「忘れた」
ビル「彼女から、人を言い負かすのが、お好きと聞いています。でも、僕は強がりと見抜けます。あなた   と友達になれなくてもいい。魅力的な人ですから。できればあなたのことを知りたいのですが、今は   難しい」
ノーマン「見事なスピーチだ」と皮肉めいた会話。

娘のチェルシーは、父ノーマンを「クソ野郎」と思っている。父親は威圧的であり、父の期待に応えようとがんばっても褒めてもらえなかった。そんな不満がずっと鬱積していた。そんなチェルシーに対して、エセルは言った。「過去の不満ばかり言って、何になるの。人生を無駄にしないで。愚痴はいい加減にして。あなたは大人。人生は止らない。乗り遅れないで」と・・・・


そんな中で、夫妻はチェルシーから2人共に結婚式と旅行を兼ねて、一ヶ月間ヨーロッパへ行くので、連れっ子のビリーを別荘で預かってほしいと頼まれる。そして2人は旅立つ。
ノーマンは、残ったビリーにボートで釣りに行こうと誘う。ビリーは釣りに熱中して、ノーマンに親しみを抱き始める。ノーマンが以前逃してしまった大きなニジマスを追い求めて、湖の奥の難所まで出向いた時、ボートが転覆して二人は湖面の岩にしがみ付いて助けを求める。帰りの遅いことを心配したエセルは、機転をきかし、2人を救助する。


ノーマンとビリーが仲良しになっているとき、チェルシーがヨーロッパから別荘に戻ってくる。「あの二人は仲がいいのね」とエセルにつぶやく。エセルは「お前は立派な伴侶を得た。わしは鼻が高いよと言ってくれるわ」と言うとチェルシーは「きっとなにも言わないわ。最低の男だから」
それを聞いたエセルはチェルシーを平手打ちする。「その最低の男はわたしの夫よ。彼はあなたを愛している。ただ、言葉でいえないだけ、私達のためなら火の中にも飛び込むわ。彼はもう80歳よ。お友達になるなら早く。彼もあなたを恐れている。さあ、早く話しかけて」と促される。


チェルシー「話があるの」
ノーマン「悩みか」
チェルシー「違う、ただ話がしたいの。普通の関係が築きたいの。父と娘らしい関係」
ノーマン「潮時とみたか」
チェルシー「私、ブリュッセルで結婚したの」
ノーマン「英語を話す相手か」
チェルシー「ビルよ」
ノーマン「あいつか、うれしいよ、超うれしい」
チェルシー「ビリーと3人で暮らすの」
ノーマン「それはいい、よかった」
そんな和解の後、チェルシーとビリーは別荘を去ってゆく。



後日、ノーマンとエセルは湖の岸辺を散歩する。水鳥が湖面を泳ぐ。「つがいだけになったな」としみじみと湖水を眺める。


感想など
1 高齢の夫婦が、湖畔の別荘でひと夏を過ごす。そこへ娘の婚約者と連れっ子が来て、いままで確執していた関係を改善するというもの。この映画の原作が戯曲なので、会話が面白い。また、湖畔の美しい風景(湖水の色と波、ボート、水鳥、森、岸辺の花々)と背景の音楽が叙情性を高めています。


2 才能豊で社会的地位のある頑固な父親と勝気だが付いて行けない娘の反発が、 母親や婚約者の連れっ子等を介して、和解する過程は感激的です。


3 お互いが若いときは、それぞれでやって行けたが、父親の高齢化は自身を気弱にします。娘も新しい人生に向かう将来の不安が付きまといます。婚約者の歯科医は、離婚で傷つき、連れっ子は母親との生き別れという傷を受けています。
 そこには、どうしてもそれぞれが気持ちを寄せ合わせる絆がないと生きてゆけない下地があるように感じます。


4 ノーマンの言葉は、皮肉的な憎まれ口が多いのです。嘲笑なのか、ユーモアなの か本音なのか、ずけずけと言います。娘や婚約者には反感を持たれたようですが、我々第三者には、面白さも感じますね。


5 ヘンリー・フォンダの少し猫背で痩せた体、口をポカンと開き惚けたような表情も 良かったのですが、キャサリン・ヘップバーンの体全体から滲んでくる演技、表情・ 声・しぐさ・動きは完璧でした。


6 「人生は止らない」は、映画のラストも続いているのです。彼等夫婦にも医療や介 護の問題は必然的に迫ります。映画自体は「いいとこ撮り」で終わりましたが、見ていて、水鳥も湖水も涙腺が緩み霞んで見えましたね・・・・・。