私たちは誰もが幸せになる権利を持っている。無人駅は車椅子を使う私たちにとっては非常に使いづらい、幸福追求権を妨害するものである。だとしたらそれをどのように変えていくかを考え、行動すれば良いだけである。とんでもないところに莫大なお金(軍事費、原発、大量消費至上主義)が回っている現実にひとり1人が覚醒して欲しい。そんな中、友人の行動は無人駅をなくしていこうというだけのシンプルな問題提起なのだ。
その駅がなぜ無人なのか考えたことはあるのだろうか?
こういう主張がまかり通れば、無人駅が有人化するのではなく、駅そのものが廃止されることが容易に想像できるが、それでいいのだろうか?
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