次に咲くのはきっとこれ。黄色のチューリップ
今週中に、お義母さんの家の家財を業者に処分してもらう。2年間、住む人のいなかった家。お義母さんは、着物好きだったことを思い出した。箪笥にぎっしり詰め込まれた着物や帯の中から使えそうな物を選んで持って帰った。
来月から、お茶のお稽古が再開される。ピンクや赤の着物は、お茶の先生のお宅に持っていく。若い人たちがもらってくれるかもしれないから。
手前の茶色い着物は、お義母さんが私の長女の結婚式に着ていたものだと思う。もう10年前のことだが、名古屋までよく着物で行ってくれたものだ。
この羽織は外国人ゲストにあげよう。
北海道のアイヌ人形も救い出した。結婚した年の夏休みに二人で北海道を旅行した。その時、現地から送った物。
香炉と棚も救出
これはNG。ワシントン条約違反。
夫が置きっぱなしにしていた本も処分される。
今夜はお嫁さんが残業をする。保育園のお迎えを頼まれた。
隣接する公園のサクラ
おかずも届けた。チキンピカタとポテトサラダ。
ドライブ・マイ・カーがアカデミー賞「国際長編映画賞」を受賞した。以前は「外国語映画賞」と称されていた賞。1970年に「外国語映画賞」を受賞したのは、ヴィットリア・デ・シーカ監督の「ひまわり」だった。あの美しいひまわり畑は、キエフから南へ500キロメートルのところで撮影されたそうだ。
「ひまわり」は戦争に引き裂かれた愛がテーマで、わかりやすい映画だった。映像も音楽も美しく、涙をこらえることができなかった。「ドライブ・マイ・カー」は、主人公(西島秀俊)が妻の死と向き合っていく話。村上春樹の原作をそのまま映画にしたら、退屈な映画になっていたと思う。「サーブ900」を運転する主人公の専属運転手(三浦透子)も自分と向き合うようになる。故郷の北海道に西島さんと行く場面は、印象的なシーンになっている。また、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を多言語劇にするというのは、濱口監督のアイディアだろう。最近、青空文庫で「ワーニャ伯父さん」を読んだ。ロシア革命の前のロシアの田舎が舞台だった。人生に失望したワーニャが最後にこのように言う。「ああ、やりきれん。僕はもう47だ。仮に、60まで生きるとするとあと13年ある。長いなあ!どう生きていけばいいんだ。」私はもう67になってしまった。どう生きていけばいいんだ?
今日のアカデミー賞の授賞式には、三浦透子さんは出席されていなかった。あの映画は、三浦さんでなければ成功しなかったと思う。