なおみってさ

猫と唄って日々の足跡

ワタシと猫

2014-09-16 01:51:15 | 日記
うちには五匹。

猫がいる。
ワタシがいつから猫を好きになったのかは判らない。

ただ、ワタシは小さい頃に近所に住んでいた「チビ」と呼ばれていた白い犬が大好きだった。
野良犬(捨てられた)が迷い込んできて、母に飼いたいとせがんだりもした。

祖母も父も、動物が好きな方ではなかった。
祖母は漁師町に生まれたので、猫は「子猫が生まれたら袋に入れて海に捨てる」と平気で言えたし
幼心に、祖母はひどい人だと思っていた。

16才の頃、二匹の子猫が迷い込んできた。
キジネコと、黒猫。
鳴き声が可愛いし、ワタシと妹・弟で母に内緒でミルクをあげた。

必ず決まった時間に可愛い鳴き声が響く。
姿は見せないけれど、ミルクの皿は空っぽ。

そのうちに二匹はうちに居着くようになった。
車庫にダンボールを置いて、「キジ」と「クロ」と呼んで可愛がった。
ワタシはうちに帰るのが楽しみになった。

「クロ」の体調が急変した。
もしかすると、持病があったのかもしれない。
彼女は母の腕の中で亡くなった。
仲良しだったキジはひとりぼっちになった。

季節は秋から冬になろうとしていた。
母は、飼ってもいいと言ってくれ、メスだったキジは避妊手術をした。
ワタシには動物の避妊手術が必要だという知識がなかったけれど
母は適切な判断をしていたなと今も思う。


猫のノミのかゆさを味わったのもこの頃。
フロントラインがまだ普及してない時代だった。
とにかくグルーミングやシャンプーなど。

名前は13歳で死ぬまで「キジコ」だった。

キジコは、近所の柿木に登ってカラスと言い合いするくらいお転婆な面もあるし
絶対家の中で粗そうすることもなく、
お行儀のいい猫だった。キジコー!と呼ぶと必ず返事をしてやってきた。

母の機嫌が悪いときは、キジコをだっこさせると良くなった。

ワタシは猫という動物の良さしか見えなかった。
デザインを専攻していたので、学校の課題にもキジコを登場させたりした。


祖母もキジコだけは「他の猫とは違う」くらいなことを言い出した。
内心ほっとした。
一度家族で旅行した時、お隣のおばさんにエサなども面倒を頼んだのだけど
電話で「キジコがご飯を食べない」という。
電話口にキジコを呼んで「キジコ!ご飯食べて!」
と声を聞かせたら食べるようになったと言う。

猫に電話の意味がわかるはずはないとおもうのだけど。
彼女は納得したのでしょう。


ワタシは進学で上京する事になった。

荷造りする。
スーツケースの上にキジコがいた。
涙が出た。
タクシーに両親と乗り、祖母と見送るキジコに
「もう、ワタシは出て行くんだ」と実感した。
サヨウナラ。

妹は犬派だった。

妹が飼いきれなくなったポメラニアンが実家に登場。

キジコは、その雰囲気を察して犬に譲った。
犬は手が掛かるのだ。
悪いいみではない。
犬は飼い主を守る 義務を背負っているところがある。
それは愛情というエネルギーを与えてあげなくてはならない。
猫とはまた違うアプローチで。

キジコは弟の部屋でノンビリ寝たり、外で気ままに過ごしていたらしい。
晩年は少し痴呆が出ていた。

最後はパートから母が戻るのを待って
母の腕の中で亡くなった。

母が泣きながら電話してきた。

家に居て、いろんな事を知っていた。
色んな場面が浮かんだ。

あんなに可愛い鳴き声でなかったらどうだっただろう。
クロとはあちらで再会しただろうか。

住居の都合で飼えないので、外の猫の面倒をみたりしていたら
いつの間にかずっと猫を飼っている。

五匹っていうと、みなさん驚く。
でも苦に感じたことはない。
猫は、ちゃんと雰囲気を読める。
読めなかったり、ズボラだったり、傲慢だったり
怠慢だったり、自分勝手なのは人間の方。

彼らは何も持たないけれど、平和主義で柔らかな身体がいつも癒やしをくれる。

もらってばかりじゃ悪いので
ご飯にトイレの掃除、住居を提供しています。








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