もの想う鷲 (A thinking eagle)

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日本の政治経済的課題 (その10)

2007-09-30 21:18:41 | 政治・経済関連
日本の政治経済的課題 (その10- - -課題1(脱税大国ーその2/5))

丁度運の悪いタイミングで、日本の脱税大国の縮図が、最も象徴的に出てきました。皆様の多くの方が、ご存知かと思いますが、立花隆氏のインターネット記事の "メディア ソシオ-ポリティクス(http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/)" の第116回(政界を大混乱に巻き込んだ阿部首相電撃辞任の真相) 及び 第117回(週間現代が暴いた”阿部スキャンダル”の真相) に出ています。 政治家は殆どの人が同じ穴の狢だと思います。庶民より遥かに多額の脱税をしていると思います。庶民の目が厳しくなり、徐々に隠せなくなってきたと言うのが現実だと思います。早く法律を公正で簡単にしていく一方で、脱税には厳罰(脱税額の5倍以上)を課し、日本の隅々から脱税を排除し、税収を増やし、道州制を採用し、トータルとして、今より遥かに小さな政府にして、中央、地方の政府の出費を減らし、Primary Balance(税収で国政と地方政治を賄う)を達成して、国債を減らして行かなくてはなりません。それでもPrimary Balanceが達成出来ない場合は、消費税値上げも止むを得ないと思いますが、消費税値上げは最後にすべきです。前書きはこの位にして脱税大国(2/4)に進みます。著者は続けます。

”1988年迄、所得税システムは、利子収入を優遇して、貯金の奨励策を含んでいた。納税者は、既に述べたように(日本の政治経済的課題 (その9)で既述)、35%の分離課税を利子収入に関して支払う選択が出来た。しかし一銭も支払わずにすむ方法があった。これが ’マル優システム' であり、小額の貯金に関して税を免除するものであった。各人は、利子に税金を払うことなく、任意の銀行で300万円まで貯金できた。
また、郵便貯金を1口座、利子に税金を払うことなく、300万円まで貯金を持てた。彼はまた自身が働く会社の株を購入するべく500万円まで基金として会社に貯金し得た。そして自身の家を購入するべく、利子に無税で500,000円の郵便貯金を持ち得た。合計すれば、11,500,000円の、利子に無税の、貯金が持てたのである。これが ’マル優システム' で、郵便貯金は1口座、300万円まで貯金を持てたので、その利子を報告する義務は無い。法規制は、'一人の国民は無税の郵便貯金を1口座で300万円までの貯金を持つことが出来る' というものであったが、それを実施する方法がなかった。印鑑と偽名で多くの郵便局の支店で一つづつ口座を持てた。誰も貯金者の身元をチェックしなかった。各郵便局支店は個々に経理処理をしたので、都会では、貯金者は大胆に自身の名前を使って、貯金している多くの支店で  ’マル優システム' の私の唯一の口座ですと言って、多くの利子に無税の ’マル優システム'  の口座を持っても、通用したであろう。何故なら都会の人たちは ’隣は何をする人ぞ’ で少し離れたところでは人も名前も判らないからである。1987年日本には23,673の郵便局が有り、そのうちの20,000の郵便局が銀行と同じ業務を行っていた。日本の郵便局の貯金システムは世界の中でも最大の、300兆円の貯金を持つ '銀行' である。日本の最大の銀行である第1勧業銀行は425の支店を持っている。郵便局の貯金システムは日本の全ての地方銀行を全部合計したよりも、多くの支店と貯金額を持っている。それは13の都市銀行を合計したのと同じ額の個人貯金を持っている。’法律では誰も2つ以上の’マル優システム' の利子に無税の口座を持ってはならない’ となっているのに、日本の人口の124,000,000人(しかも口座を持つ資格のある成人はそのうちいくらであろうか)が、400,000,000の’’マル優システム' の利子に無税の口座があったのである。この様に1人が多くの’マル優システム' の口座を持ったのは、貯金による利子への税を避けるために、使用されたと考えるのは間違いである。郵便貯金は利子が安かったので、貯金を一つに纏めて大銀行に預けて、利子を貰い税金を払った方が、利子に税を払わない多くの’マル優システム' の口座を持つよりも、得なのであった。利子に税を払わない多くの ’マル優システム' の口座を持つ主たる理由は公表出来ない収入を蓄え隠す為である。大蔵省(現在は財務省)は人々に税金を払わせるのに関心をもつ唯一の省である。しかしその努力はしばしば妨害される。郵便システムは郵政大臣の管轄下にあり、大蔵省から独立している。日本では大臣といえども、自身の省の仕事でも、他の大臣にこうせよと言うことは出来ない。首相ですら法律を作り出すことは出来ない。1982年大蔵省の管轄下の国税庁が貯金の口座所有者を調査すると提案したが、郵政大臣がその様な情報を郵便局が開陳するのは違法であると言い、国税庁の提案を妨害した。妨害を受けた国税庁は、引き続いて貯金者の身元を確認すべくグリーンカードを発行し貯金をする時はいつもそれを使うことを提案した。貯金はグリーンカードに基づいて確認しようというのである。この提案も妨害された。最近では、大蔵省の税務委員会が証券取引を含む全ての金銭取引の口座において身元番号を使うことを提案した。各口座は氏名と住所の両方で身元確認をするという提案である。この提案も実現しそうにない。 この ’マル優システム' は1988年に廃止になり、その代わりに、郵便貯金口座からの利子には、20%の源泉徴収税がかけられる様になった。ただし源泉徴収は貯金者の匿名性を維持しているので、郵便貯金は依然として脱税の安全な隠し場所となっている。
大抵の政治家は脱税に関して良く精通し、関心も深い。郵便貯金システムによって徴収された基金は政府の公共工事の為の安い融資となる。大臣達は誰がそれを受けるか決定する。約18,000の地方郵便局長の仕事は父から子供に引き継がれて行き、多くは1870年代から続いている。これらの郵便局長はその地域の権力を持つ個人であり自由民主党の政治家と密接な関連を持っている。多くの国会議員は ’郵政族’に属し、郵便局の利益をライバルの利益から守り、その見返りに多くの献身的な努力を得ている。結局、郵便局長は、誰が多くの違った口座にお金を塩漬けにしているということを良く知っている。郵便局長達は、議員たちの保護に対して公正な見返りとして、彼らの国会議員の友達の為に政治的に献身してくれると期待出来るのである。また彼らは選挙の時には、選挙民に投票を勧誘してくれるのである。” と。

”Shoup教授は裕福な経営者からの反対にも拘らず富裕税を提案した。SCAPが去った後、この富裕税は廃止された。キャピタル・ゲインは収入でありそれ故に課税される。しかし貯金者を励まして貯金させ産業界に安い融資を提供する為に、株式市場の証券取引に関するキャピタル・ゲインを日本は例外として扱った。課税されるのは、1年間に30の株取引をする人、あるいは会社株120,000株以上を売った人だけが課税された。このキャピタル・ゲイン税は1989年まで実効があったが事実上殆ど実績を上げられなかった。毎年このキャピタル・ゲイン税を申告したのは100名以下の人であった。これは驚くには当たらない。日本の法律では、名義株主が代理をしている本人の名を明らかにすることを義務付けてはいない。顧客が要求通りに払ってくれれば、顧客が誰であろうと、stock-broker(証券会社)には構わないのである。取引き口座を開くのに、いくら多くの偽名を使っても構わないのである。日本人は氏名と住所と辿られるのではなく、誰が誰を知っている というネットワークを通して辿られるのである。大きなstock-broker(証券会社)は金持ちの重要な顧客を助けて、その多くの支店で多数の取引口座を設けさせていたのである。株式市場でのキャピタル・ゲインに効果的に課税することが出来ないから、人々は配当をつぎ込んすぐ同一株を買い増す。配当は源泉徴収され、税金が高いので、そうする方が得であり、また会社も成長が早く、会社の株も早く値上がりする。それが株主に帰ってくるのである。これが他よりも東京証券取引所の株価の(price/earning) ratio ((株価/1株当たりの会社の利益)の比率)が高い一因である。アメリカやイギリスでは稼ぎの80%もの配当を払う会社があるのに日本では慣例的に利益の25~30%の配当である。個人にとっては配当を使いたいという誘惑よりキャピタル・ゲインの早い株にしがみ付きたいという誘惑の方が大きいのである。キャピタル・ゲインの脱税で逮捕された例は少ししかない。1988年のある日本の経済雑誌の観察によれば、’1987年度の株取引に関する脱税の件数は前年の3件から23件に増えた’ という記事が出ている。その中で、ある実業家の起訴の例が論じられており、それによると、彼は1983~1986年の間に27億円のキャピタル・ゲインの申告をしなかったというのである。彼は31の証券会社に404の取引口座を持っていた。彼の逮捕は1988年の初めであり、リクルート・コスモスの事件の2~3ヶ月前であったが、もしリクルート・コスモスの事件がなかったなら大きな事件として世間を騒がせたであろう。政治家達は、彼らは屡、受益者であったから、株の取引に関してのキャピタル・ゲインの税を真剣に施行しなかった。違法なキャピタル・ゲインは彼らにとって重要な基金であった。1989年の税改正の一部として、証券取引からの申告されたキャピタル・ゲインは26%の税を受けることになった。しかし納税者は彼が売った株の総額に1%の源泉徴収税を払う選択権が与えられた。キャピタル・ゲインが4%以上ならばこのほうが税額が少ないので、大抵の人は後者を選ぶだろう。重要なのは、後者は株取引をしていることを税徴収の当局に知られずに済むのである。政治的な腐敗のに必要な匿名性が維持されたのである。したがって、この税の改正も人々が不正蓄財をするのを減らすことはなかった。"

”Shoup教授の法人に対する税システムは単純であった。法人の種類や大きさに拘らず、最大35%の税が各会社の純利益に課せられた。会社は課税所得から資本財の正常な償却費を控除できた。土地や其の他の資産は周期的に再評価されその価値が上がった場合には、キャピタル・ゲインに対して税を課された。これは当然のことであったが、日本の当局者は経済の発展を制御する為に便利な税制を望んだ。SCAPが帰ってすぐ彼らは一般の税率を42%に上げた。内部留保よりは配当には低い分割税率であった。1980年代後半には実質税率は53%であった。高い税率が全ての会社に適用されたのではない。小さな会社は低い率であった。1953年~1960年代の半ばまで、石油化学の製造と輸出からの収入は税を免除された。大きな控除は、投資を刺激した。予算を特別な基金、例えば、将来のボーナスの支払い、リスキーな行動、不良債権、返品での損失、価格変動、日照りなどの為に使えば、それらは、課税所得から控除出来た。これらの無税の準備金は会社が直接に貯めることを奨励した。1970年初頭には、特別の控除が税収を10%減らした。また土地と其の他の資産の再評価は中止された。

会社は土地を売り、キャピタル・ゲインを実現した時にキャピタル・ゲイン税を払う。しかしながら、株は、現在所有している株を取引した場合は、常に再評価される。このような処理はその古い保有株に新しい価格を確立するが、この問題は、会社のために株を保有する特別な ’特金’ ファンドを使うことによって骨抜きにされた。このシステムの効果は莫大な広さの未使用の土地を棚上げにする結果となった。これも日本の株式の
(price/earning) ratioを上げる一因になっている。1970年代の半ばまで、これらの特別の救助策とともに法人税も徐々に下げられていった。その故に大会社への税負担は減った。しかし第1次オイルショックに見舞われ国家予算が実質赤字に陥った時には、会社は政府の最も容易な目標となった。法人税は上げられ多くの救助策は廃止されるか減らされた。多くの雑多な救助策や控除の全てが廃止されてしまった訳ではない。省エネルギー、公害対策、と開発を支援する為に特別な対策は残された。1987年までに特別な処置の為の損失計上、控除や税の優遇処置は半分になり税収の5%になってしまった。会社が蓄えをする元手がなくなったわけではないが、減ってしまった。”と。
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日本の政治経済的課題 (その9)

2007-09-17 01:38:55 | 政治・経済関連
日本の政治経済的課題 (その9- - -課題1(脱税大国 - その1/5))

著者の精細な研究は前回の1990年で終っていますが、最後に述べている日本の資産インフレの評価はかなり甘かったようです。当時の日本の資産の高値ぶりは、土地だけを見ても、現在の2倍近く(29,000円/坪)、アメリカの100倍でした。従って日本全土を売れば、アメリカが4個買えるという異常振りでした。こんな状況が続くわけはなく、皆様もご存知のように、この間に湯水のように貸し付けた銀行は、多額の不良貸付を持つ結果になり、同時進行していた製造業の空洞化や、デフレ経済の下で、その収拾に15年を要したのでした。その間、株式は低迷し、日経株価指数は2003年には7,600円にまで落ち込みました。 国債残高は166兆円(1990年末)から499兆円(2005年末)に増え,政府が国債を乱発して事態収拾にあたった様を物語っています。この資産インフレに警鐘を鳴らした人は、政界、財界、学会、マスメディアにもいなかったと思います。影で儲けた人は、冷静に事態を観察しながら、黙って儲けを増やすことに専念したのかもしれません。著者の言う、前回の最後のところで触れました ”全てを持つ1/3の日本人” のことです。実際の”全てを持つ日本人”は遥かに少ないと思いますが。

前回までの8回で、著者の日本歴史の政治経済的な概説と1945年~1990年末までの日本の政治経済情勢の時局の詳細な分析を見てきましたが、世界各国が相互に密接に絡み合った現在の政治経済的な情勢がよくわかります。アメリカは豊かな資源と、独創的な人々に支えられ豊かな国民所得の基に世界をリードしていますが、政治的には、嘗ての独立当時のような優れた政治家が姿を消し、豊かな財源を浪費、迷走している様子がよく見えました。自由競争とGlobalizationの理念のもとに世界をリードしていますが、多くの問題を起こしています。ヨーロッパは、自由を庶民が支配階級から勝ち取った過去の豊かな歴史を持ち、また絶えざる抗争の中で多くの激しい戦争を経験した苦い経験を生かすべく、戦争をなくするという目標に向かって、Robert Schumanの唱えた、United States of Europe、を達成するべく着々と目標に向かっています。壮大な夢に向かって進むヨーロッパ連合(European Union)は、2007年で加盟国は27ヵ国に達し、将来の地球国家への夢を感じさせる道を歩んでおり(キリスト教という共通の宗教を持っている優利な点は有りますが)、日本もヨーロッパ連合を参考にして、アジアでの政治的経済的な統合の試みをリードするような役割をして欲しいと思います。しかしながら、国家としてはまだまだ多くの問題点を持ち、それをまず修正しなければならないと思います。国と地方の債務は約810兆円(国債残高547兆円地方債263兆円)、これは日本の国民所得(GDPまたはGDI)540兆円の150%に相当します(ビジネス社発行の森木亮氏著の”日本は破産する”から)。これはECに加盟できる条件の2.5倍の国の借金です(ECに加盟する為には、国債残額は国民所得の60%以内でなければならない)。もう破産寸前の状態の様です。このような多額の借金をどうして返済できるのでしょうか?金利が5%(これが正常な利子率です)ならば、税収がすべて、利子で消えてしまうのですから。

今回は著者の述べる日本の最大の問題点- -脱税大国- -について考えて見ます。これは1990年までの記述ですからその後の改革で少しは修正されてはいると思いますが、未だ大部分は変わっていないと思います。(私は門外漢ですからその後の改革については、残念ですが言及する力がありません。ご了承下さい。)
著者は言います

”1949年4月、Carl A. Shoup教授の率いる7人のアメリカ人が、崩壊の瀬戸際にあった日本の古い税制を調査すべく日本を訪れた。同年8月に提出されたShoup Mission の報告書はそれ以後の日本の税制の基礎となった。アメリカ人はボストンティーパーティ以来 間接税を嫌ってきた。したがってShoup派遣団の提案が、税収の大部分が 消費よりは収入と利益に対する税から来る様に計画したのは少しも驚くには当たらない。納税者の所得が高ければ高いほど税率が高くなる、累進的所得税システムは、一般的に、低所得の納税者に最も重くなる、間接税よりもより公正であると見られている。しかし累進的所得税システムは、消費に対する税に
比較して2つの欠点がある。消費税をとる店の数以上に課税すべき所得を持つ人の方が多い、ということと、取引がその取引の航跡として記録やしるしを残すところで、あるいは納税者が信じがたいほど正直である、ところでのみ所得税は有効である、という2点である。現金が殆どの取引で使用される日本では、これらの2点は利かないのである。また日本人は信じがたいほど正直でもなかった。Shoup派遣団に公正を期すれば、彼らは現在大抵のヨーロッパの国で行われている付加価値税と同じ線上の付加価値税も提案した。これは地方政府の費用を賄う為に指示された。Shoup提案の残りの部分は幅広いベースの中立的なシステムであり、そこでは税
率は低く免除は少なく小額であった。結論としてShoup派遣団は1980年代のイギリス、アメリカ、ニュージーランド、や世界各地の供給側の改革者達が理想としていた種類の税制を日本に与えたのである。全てのShoupの提案はSCAP(Supreme Commander of Allied Powers)に受け入れられ、日本政府によって1950年に制定された(付加価値税は延期されたが)。Shoup派遣団が作り出し、SCAPが日本に課した税システムは革命的であった。アジアの国で現代的な税制を持っている国は無かった。未だ嘗てこれだけの多額の課税が消費にではなく収入に課されたことはなかった。これだけ多くの人々が直接に政府に対して税を払うことを期待されたことは嘗て無かった。中国式の文字システムと現金を使うアジアの国で税の責務を決めるのに、書かれた記録にこんなにも頼る税制を持った国は嘗て無かった。SCAPは1952年に去った。彼らが去るや否や、日本人は税制をいじくり始めた。Shoup派遣団の提案した素晴らしい税制は、日本の政治家達の目的に合うように歪められた。
すなわち、政治家達は彼らの支持者の為に、多くの、各種の救助策や控除を提供して、愛顧を買った。
官僚は活動を規制し彼らが選んだ線に沿って産業発展を制御する為に税をいじくった。
Shoup派遣団は5ヶ月かけて単純で、実際的で、優雅で、公正な税システムを日本に与えた。それ以来日本人は数百万のman-hourをつぎ込んで、その税制を、複雑で、非実際的で、奇怪で不公正なものにしてしまった。その混乱を解きほぐす作業はやっと始まったばかりだ。” と。

勿論1950年から1970年にかけての脅威の成長はこれらの政治家や官僚の税制をいじくったことによって達成されたという面は確かにあると思いますが、これからこの歪をなおして、単純で実際的で公正なものにして行かねばなりません。
著者は続けます。

”Shoupの単純な税制は虐殺された。彼のシステムは、全ての収入源から全ての収入を、キャピタル・ゲインも含めて、加算して、単純な個人的な控除を控除して、残った額に対して、2,3の段階の累進率にし一番上の率もそんなに高くならない様にして、課税するのであった。日本人はこれを、収入の種類 と 国、県、市の段階によって、16の異なるシステムにしてしまった.通常の収入は、雇用所得、年金、営業収入、利子と配当、キャピタルゲイン、木材産出による収入、ギャンブルから得た収入、等の10の異なった種類に分割された。 それぞれの収入は、それぞれの控除を受ける。営業費用は各タイプの収入別に定義されている。課税所得は各
タイプの収入別にそれぞれの控除を差し引いて別々に計算される。個々の課税対象収入は合計されて課税対象額となり、個人的な控除が差し引かれ、累進課税率が適用される。1989年までは、所得の段階は15段階あり、これに対して累進的税率が10.5%から70%まで上がっていく。この計算が中央政府に対する所得税責務である。同じ所得が県税と市税を受ける。県税は2%、3%、4%の率である。市の所得税は7段階で3%~12%である。段階や控除は、中央政府、県、市とそれぞれ異なる。3つのタイプの収入はこのシステムには統合されない。すなわち、賞金やギャンブル、退職金、材木収入である。各々は別々の税処遇を受ける。
例えば木材収入は、収入の1/10に対して累進的税率をかける。その税額を5倍にしたものが合計税額である。。
納税者は利子と配当は通常の課税所得から外す選択が出来る。この場合は35%の一律税率であり、累進税率の高い高額所得者に有利である。日本の税単位は、配当収入を除いて、個人であって、家族、言い換えれば世帯ではない。上述のような税制の為に、納税者は収入を、自身から、家族構成員に、1つのカテゴリーから他のカテゴリーへ、とシフトして控除を最大限にし、税率を最小化する。営業収入から控除する項目ごとの費用の控除は特に寛大である。それと対照的に雇用収入に対しては、少しの低い標準の控除しか許されていない。一方雇用収入が営業収入に転換出来る会社のステータスは容易に取得できる。有限会社は10,000円の払い込み資本で設立できる。組合や無限責任会社は払い込み資本無しで設立できる。その結果全ての小さな店の経営者、専門職の人、自身を雇っている人は、このような会社を設立している。それによって彼らは寛大な営業支出を控除する事が出来るだけでなく自身と、妻と、他の家族構成員に雇用収入を支払うことが出来るのである。そして彼らは彼らの収入のそれぞれに標準の控除を得るのである。最後に家族の収入の各々に累進税率が適用されるのである。その結果は、当たり前なのだが営業費用は莫大になりえる。巧くやれば、小さな会社は一銭も会社として税金を払わなくて済むのである。1985年には、日本の半分以上の会社が赤字であった。”と。
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