日にち薬

瀬戸内寂聴さんの言葉をタイトルにいただきました。
以前は「デルタ」をメインテーマに。今後は・・?

自慢話

2007-06-29 23:59:20 | いろ色
 少年団内で共に子どもの指導をしてくださるお母さんがいる。お母さんといっても私よりは幾分若い。息子が少年団にいて、母も一流のプレーヤーなのでお手伝いをお願いして、引き受けていただいているというの状況だ。

 これまでも何度も話し合う機会があったが、私と何人かの指導者はこのお母さんに対し「勝利主義」「実力主義」「強者優先」・・・こんなイメージを抱いている次第だ。

 私は「平等主義」「機会均等」「弱者優先」と、福祉の心にあふれた理想を掲げる指導者だ。
 自分でもすばらしい!と思うのだが、自分で自分をすばらしいと思うことがどれほど危険なことかもよくわかっているつもり。


 自分で自分を崇拝することが独善的なあるいは独裁的な、さらには自己中な考えや行動を生む。
 そういう人物が実際身近にいたのでなおさら注意をしつつ、これまでもこのお母さんの考えにも多少なりとも心配りをしてきたつもりだった。


 そのお母さんから今日、日頃の活動に対するねぎらいの言葉を言われ、「勝利主義」の活動を理想と思っていないこと、われわれの考えをわかっているしそのように行動したいと思っているような意味の言葉を伝えられ驚いた。

 何があったのかよくわからないが、節目の大会を終え、一安心したというところか?



 昨日は職場の飲み会があり、上司と語りまくった。
 現状の職場体制が満点ではないにせよ、その上司がこれまで経験したことのないいい環境でいい人物に囲まれ仕事ができている、というような言葉をいただいた。

 部下としてありがたくうれしい限りの言葉だったが、少年団にせよ仕事にせよ、社会人として生きている以上、その行動は組織の中の一員として行うことが多い。

 組織の中で行動するときには、考えが異なろうとも目標を共有することができれば、たいていの人物と互いにどこかで折り合いをつけられると思う。


 前段で使った、「弱者主義」とは実は正しい表現ではなく、私としての理想は弱者を強者にする、できなくとも努力を続ける、ということであって、結局は強くありたい、勝ちたい、ということに他ならない。

 そのお母さんにせよ私にせよ他の指導者にせよ、「子どもに強くあって欲しい」という思いは同じわけであり、そのための手法に多少の違いがあるだけのこと。これまでも意見の相違はあっても少なくとも私は不満を感じたことはなかったが、その手法の違いを子どもたちがどのような印象を受けるのかだけが不安だった。



 
 国会は本日オールナイトのようだ。自民党にせよ民主党にせよ目標は同じところにあるはずだ。
 その目標があまりに稚拙で短絡的、短期的だからどちらの政党も信用できないのであって、きちんと考えを伝え行動をしてくれれば国民はおのずと判断と下すと思う。
 社会保険庁のひどさも結局のところ目標を見失った組織のなれの果てなんだろう。そういう意味ではミートホープの会社としての行動の方が理解しやすい。

 テレビを中心としたマスコミのヒステリックな報道がいやでいやでたまらない。 彼らもまた情報という海の中で羅針盤を失い、目標とするべき方向をいまだに見つけられずに、目の前に見える「話題性」と「視聴率」といった蜃気楼を追いかけ続ける漂流者なのだろう。

 国会も国会議員も国も、美しい日本という目標を掲げたはいいが、それがどの方向にあるのか見つけられずにいる漂流者だ。

 そんな漂流船にいやでもしがみつかなければならない国民は不幸だし、自分のその一人だ。
 だが少なくとも私はそんな社会の中で自分の居場所と方向性を見つけられたと思える日々を送っている。
 夢も目標もスケールはえらい小さい。狭い中での目標だが、地に足をつけていると実感できていることが、結局私の幸せなんだろう。
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