ここ最近(数年?)見たいと思えるテレビ番組が少ない。
本日もひどかったなあ。夜の7時以降に世の人々は一体何をご覧になっているのでしょう。
【独女通信】独男に蔓延する「何もかもが面倒くさい」病とは?
これを読んで、ああ自分もそうかもなんて思ってしまった。
テレビがない時はネットをやり、ネットも飽きたなと思う時にはPS3やっている。
時には彼女を連れて食事にも行くし、洋服も買う。だが、彼女がいなければ買っていないかもしれん。
仕事にはユニクロを上下セットで着ていくし、昔は絶対にできなかったジャージお出かけもぜんぜんできるようになった。
なんといってもおしゃれを意識したわけではない「ボウズ」だし。
年取っただけと自分で思っていたけど、世の流れもそういうもんなのかな?
日経BPonlineの記事。男だけじゃなく女も同じ、と言う話。
ただ、どちらにせよ、おでこが広くなるとか加齢臭とかお尻が下がるとか、肉体に訪れる年齢の証拠はどうにもならないと思うところです。
体力的にも疲れやすくなっているが、精神的にも疲れやすくなっている。
人のせいにするようで、あまりよろしくないと思うが、自分が一生懸命燃えても若い人はついてきていないように感じるし、年上が来られるとうざくてかなわん。
まあ、多少うざくても、何の反応もないよりはましなのかもしれない。ただし、熱い上司のその熱さの根拠は何もない。
問題が起きた時に上司が「だからこう言ったんだ!」と語る口調が大嫌い。何も言っていないのがわかるから。
そんなときに「じゃあなぜこんな事態になったんですか」と聞くと「上がしっかりしとらんからだよ!」とか「当時の判断ミス」だとか言う。そして私が熱くなる・・・・。ふざけるな、と。
疲れる、ほんと。馬鹿らしくて。
いくら言っても理解できない上司たちは事が起きないと問題を理解できない。
予測と備えを軽視しすぎだよ。
当時の判断ミスというのは、当時は最善の判断として実行されているものがほとんど。その時にきちんと予測と備えをしていなかったという言い方もできるわけだ。
だが現実は予測と備えをしている人間の言葉をあんたも含めた当時の幹部がつぶしてきたのだろう?と言いたい。
マニュアル化を良しとすることで満足し、人格や個人の考えを軽視する。
考えない人間を育てているくせに、「何もできない」と文句を言う。
せめて私は自分の後輩たちにこんな先輩・上司として見られたくないと思い、言うべきことを無駄だと思いつつ言い続ける。自分に許されている“できる”行動をするようにしている。無駄だと思いつつ。
そうしなければ、行動したという証拠を残せないから。
事が起こった時には「私はこう進言したんだが彼らはこういう判断をした」と実績付きで言いたい。
だが、そういうことにも疲れてきているのが現実。だって無駄なんだもの。
私の考える予測と備えなんか、上の連中はおそらく「たわごと」としてしか受け止めていない。
信頼されていないからだろうなあ。だが、信頼されてもおそらくは彼らは私の勧める行動はしないだろう。
だからこそ、未来につながる子どもたちがかわいくてしょうがない。彼らに対する行動や言葉は、無駄と思えない。すべてが彼らの将来に生きてくると思っている。実際には何の役にも立っていないかもしれないが、それでもいい。役に立っていなくとも、それ自体もまた彼らのためになっていると思えるのだ。
上の連中に伝える言葉は時間の無駄に他ならない。いや、無駄という表現は適切ではないな。
意味がないのだ。どんな考えも備えも行動も意味がない。そう感じてしまう。
テレビのつまらなさは、実は判っているのだ。視聴者としての自分にも原因があると。
テレビをテレビとして楽しんでいた頃と比べると、精神的な状況も考え方も、ネットに代表されるようにテレビ映像に対する環境も大きく変化をしている。
楽観的に考えることができなくなって、低いレベルで現実的に生きようとしている自分。それが仕事もテレビもつまらなくしている。
少年団がなければどうなっていただろうなあ、俺。
本日もひどかったなあ。夜の7時以降に世の人々は一体何をご覧になっているのでしょう。
【独女通信】独男に蔓延する「何もかもが面倒くさい」病とは?
これを読んで、ああ自分もそうかもなんて思ってしまった。
テレビがない時はネットをやり、ネットも飽きたなと思う時にはPS3やっている。
時には彼女を連れて食事にも行くし、洋服も買う。だが、彼女がいなければ買っていないかもしれん。
仕事にはユニクロを上下セットで着ていくし、昔は絶対にできなかったジャージお出かけもぜんぜんできるようになった。
なんといってもおしゃれを意識したわけではない「ボウズ」だし。
年取っただけと自分で思っていたけど、世の流れもそういうもんなのかな?
日経BPonlineの記事。男だけじゃなく女も同じ、と言う話。
ただ、どちらにせよ、おでこが広くなるとか加齢臭とかお尻が下がるとか、肉体に訪れる年齢の証拠はどうにもならないと思うところです。
体力的にも疲れやすくなっているが、精神的にも疲れやすくなっている。
人のせいにするようで、あまりよろしくないと思うが、自分が一生懸命燃えても若い人はついてきていないように感じるし、年上が来られるとうざくてかなわん。
まあ、多少うざくても、何の反応もないよりはましなのかもしれない。ただし、熱い上司のその熱さの根拠は何もない。
問題が起きた時に上司が「だからこう言ったんだ!」と語る口調が大嫌い。何も言っていないのがわかるから。
そんなときに「じゃあなぜこんな事態になったんですか」と聞くと「上がしっかりしとらんからだよ!」とか「当時の判断ミス」だとか言う。そして私が熱くなる・・・・。ふざけるな、と。
疲れる、ほんと。馬鹿らしくて。
いくら言っても理解できない上司たちは事が起きないと問題を理解できない。
予測と備えを軽視しすぎだよ。
当時の判断ミスというのは、当時は最善の判断として実行されているものがほとんど。その時にきちんと予測と備えをしていなかったという言い方もできるわけだ。
だが現実は予測と備えをしている人間の言葉をあんたも含めた当時の幹部がつぶしてきたのだろう?と言いたい。
マニュアル化を良しとすることで満足し、人格や個人の考えを軽視する。
考えない人間を育てているくせに、「何もできない」と文句を言う。
せめて私は自分の後輩たちにこんな先輩・上司として見られたくないと思い、言うべきことを無駄だと思いつつ言い続ける。自分に許されている“できる”行動をするようにしている。無駄だと思いつつ。
そうしなければ、行動したという証拠を残せないから。
事が起こった時には「私はこう進言したんだが彼らはこういう判断をした」と実績付きで言いたい。
だが、そういうことにも疲れてきているのが現実。だって無駄なんだもの。
私の考える予測と備えなんか、上の連中はおそらく「たわごと」としてしか受け止めていない。
信頼されていないからだろうなあ。だが、信頼されてもおそらくは彼らは私の勧める行動はしないだろう。
だからこそ、未来につながる子どもたちがかわいくてしょうがない。彼らに対する行動や言葉は、無駄と思えない。すべてが彼らの将来に生きてくると思っている。実際には何の役にも立っていないかもしれないが、それでもいい。役に立っていなくとも、それ自体もまた彼らのためになっていると思えるのだ。
上の連中に伝える言葉は時間の無駄に他ならない。いや、無駄という表現は適切ではないな。
意味がないのだ。どんな考えも備えも行動も意味がない。そう感じてしまう。
テレビのつまらなさは、実は判っているのだ。視聴者としての自分にも原因があると。
テレビをテレビとして楽しんでいた頃と比べると、精神的な状況も考え方も、ネットに代表されるようにテレビ映像に対する環境も大きく変化をしている。
楽観的に考えることができなくなって、低いレベルで現実的に生きようとしている自分。それが仕事もテレビもつまらなくしている。
少年団がなければどうなっていただろうなあ、俺。
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