日にち薬

瀬戸内寂聴さんの言葉をタイトルにいただきました。
以前は「デルタ」をメインテーマに。今後は・・?

思いを語るのは難しい

2007-06-01 00:26:10 | いろ色
 最近、ほぼ毎日ブログを更新しているが、見られないようにしている記事が多い。

 閲覧不可の設定が可能なので、公開しないほうがいいと思える書き込みは公開していない。


 この、「公開しないほうがいい」の意味を考えてみると、その基準ってどこにあるのだろうかな、と思う。


 先日の少年団のバド大会のことも閲覧不可にした。自分で読み返してもあまりにひどい。事実ではあるがその事実が許せない。


 人に見せたくないなら書くなと言われそうだが、閲覧不可にして見せていないのだから私の勝手。どうしても書いておきたいと思う感情があるのだ。
 でも、一応、分別のある中年として冷静さを失ってはならないと、最低限のブレーキを自分でかけている。


 このブレーキをかける感情は誰でも日常的に起こりうること。

 でも事実を公開できないことはどうも自分でも納得がいかない。本当のことを世に伝えられないのはなぜ?


 なんか、思春期を迎えた血気盛んな若者みたいだなあ。


 松岡大臣の報道を見ていると、本当のことを話せないことがつらかった、と思える。
 自分の感情だけを基にした話ならブレーキをかけたほうが結果的にいいことが多いのだろうが、事実を基にした話にブレーキをかけなければならないのは、なぜなんだろう。

 
 企業倫理や個人のモラルの低下などが言われているが、じゃあ昔は良かったのかというと決してそんなことはないと私は思う。

 企業倫理において昔のほうが良かったのなら、全国の公害病は起きていないし労働争議もなかったと思う。

 個人のモラルが昔のほうが良かったというなら、いわゆるマナーという言葉がこの世に誕生していないはずだ。


 情報の質も昔よりは絶対良くなっていると思う。質の悪い情報がありふれているが昔は情報の絶対量が少なかったのだから。


 真実を語れないのは、感情の問題?
 メリット、デメリットの計算の結果?何にとってのメリット、デメリット?


 つまらんのう。
 つまらんから語れないんだな。面白さもくだらなさも正義も不正義も全て、自分だけに関っているのでつまらないということか。

 そう、世に関る話であれば、世にとって面白い話ということなんだな。
 周りの人に関る話なら、周りの人にとって面白い話ということだから、結局は自分の問題なんだなあ。




 つまらん。

 というオチです。
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