中学2年の甥っ子がいる。
厳しい叔父として私は認識されているという。
その甥っ子が、中間(?)テストでクラス36人中最下位だったという話を聞いた。
母親(妹)は、「何度言っても勉強しないから」と愚痴をこぼす。一方で私は妹に言う。「おまえだって勉強しなかっただろ」と。
そうなのだ。口で言って実行するなら誰も苦労しないのだ。
私の持論は「子どもの現状はその9割が親の責任」だ。
親が子どもに対して不満なり不安なりあるとするなら、それは親自身が原因である、ということだ。もちろん、子どもがすごいことをしたというのならそれもまた親のおかげと言うことだ。
●子どもが勉強しないのなら、それは子どもがしないのではなく親がするための努力をしていないと言うこと。
●子どもが勉強にせよ運動にせよ、何かが苦手というのなら、それは子どもが苦手なのではなく、親が苦手を克服するための努力を怠っている、ということ。
●子どもの性格を決めるのは親の性格であり、子どもの行動を決めるのもまた親の行動。
というように私は考えているし、相手が誰であれこういったことを主張している。子どもがいないから言える主張なのかな・・?
甥っ子が生まれた際に、妹に強く言っていたことは「本を読んであげろ」。
文字を自分で読めるようになったら「子どもと一緒に読め、声を出して子どもに読ませるようにしろ」。
一定年齢が経ったら「勉強の時はテレビを消せ、ゲームを中断させろ」というようなことを言ってきた。
だが実行された形跡はない。テレビに至っては「私が見たいから」といい出す始末。それじゃ子どもだって見るさ・・・。
同じなのだ。言葉で言っただけで行動するなら苦労はしない。
妹にはこれまでの14年間で、子どもの勉強に関しては何を言っても無駄ということはわかったので、この分野だけ自分が担当することにした。
かつても同じようなことをやろうとしたが、狭いアパート暮らしでは難しかった。自分が食事をしている間は勉強の場所が確保出来なかった。
それじゃあ、と、甥っ子の元に行こうとしたが、自分のスケジュールがあまりに厳しく、夜遅くの時間となってしまうため、年に数度しか出来なかった。
今は引っ越しによりスペースに余裕が出来て、自分が食事をしている間でも勉強する場所を確保出来る。
ということで、水曜日の夜8時~と土曜日の夜7時~の週2回を甥っ子の勉強時間とすることにした。
勉強する教科も内容も甥っ子に選ばせる。私は隣で答えに対してレクチャーするという形。
楽なようだが、勉強している間はずーっと付きっきり。結構めんどい。
始めて1ヶ月が経ったが、理科などで私自身、答えがわからなくて悩んだりした。それ以外の教科では今のところ苦労はしていない・・・。
勉強時間はテレビを消すため、日本シリーズを見ることが出来なかった
第2戦と最終戦となった第6戦はこの勉強のために見れなかったのだった。
まあ、しょうがないが・・・。
一度だけ3時間勉強をやったことがあったが、甥っ子は完全に集中力を切らしてしまったので、今は2時間以内に終了するようにしている。
甥っ子も大分、勉強に慣れてきたようだが、ただ、勉強をするのは私の住む「この場所」であって、自分の自宅は勉強する場所では無いようだ。
私のレクチャーをいつまで続けるか決めていないが、新学年になるまでは継続しようと思う。何とか自宅勉強を行うようにさせるのが今後の課題。
先日、縁あって恵庭市の子育て関連の行政施策を知ることが出来た。
「絵本」を出産と同時にプレゼント。子どもに対して家庭で「絵本の読み聞かせ」を行わせようという試みだ。
保健師が乳児検診などの際に、読み聞かせの方法などをレクチャーする。
もちろん、家庭だけではなく図書館などを中心にボランティアなどによる「絵本の読み聞かせ」会を積極的に行う。
学校に通学するようになったら、学校の教育メニューの中に本の読み聞かせや自主的な読書を行うようなメニューを行っていく、など。
自分が考える子育てや教育の方法に近いことをやっていてうれしくなった。
「子どもは親の所有物ではない」という考え方がある。
この表現で正しく伝わるのかわからないが、親の責任はもちろんあるし重いものだと思うが、親が全責任を負うのではなく、少しだけ地域も含めた社会の責任があると思うのだ。
子どもを育てる、ではなく、子どもたちを育てる、という考えで地域も社会ももう少し子育てや教育に関わるようになった方がいいと思う。
自分はスポーツ少年団の指導をしているが、始めた当初はそんな考えは全くなかったが、子どもが成長する姿を見て、自分にも責任の一端はあると実感するようになった。
子どもは、同年代の友達や、年上のお兄さんお姉さん、下級生の男の子女の子との関わりの中で過ごすのが絶対に楽しくて幸せだと思う。
その周りにいる大人たちのことも見ているから、大人もしっかりと、正しく、そして正直に接していかなければならない。
いずれ社会へ出て行く子どもたちなのだから、社会との関わりを無くして成長は見込めないだろう、と思う。
どのように社会と関わるかは親次第だが、義務的に関わらなければいけない社会活動、そして選択することのできる社会的活動を地域や行政が用意してあげるべきと思う。
恵庭市は、市民ボランティアの活動がとても大きいし、ボランティアで対応出来ない部分を行政が行おうとしているのかな、と思う。
恵庭市は市長選挙を控えている。新聞でも出ていたが、現職に対抗する候補としては「最強」という元道議会議員だそうな。
子育て・教育という、効果があるんだか無いんだかわからんものに、行政として制度と金を用意した市長はとても勇気があるし、一般的に行政は老人向けの施策が多い中でとても革新的なことを行っていると思う。
いろいろ問題もある市長のようだが、個人的には再選してほしいなあ、と思っていたりする。
厳しい叔父として私は認識されているという。
その甥っ子が、中間(?)テストでクラス36人中最下位だったという話を聞いた。
母親(妹)は、「何度言っても勉強しないから」と愚痴をこぼす。一方で私は妹に言う。「おまえだって勉強しなかっただろ」と。
そうなのだ。口で言って実行するなら誰も苦労しないのだ。
私の持論は「子どもの現状はその9割が親の責任」だ。
親が子どもに対して不満なり不安なりあるとするなら、それは親自身が原因である、ということだ。もちろん、子どもがすごいことをしたというのならそれもまた親のおかげと言うことだ。
●子どもが勉強しないのなら、それは子どもがしないのではなく親がするための努力をしていないと言うこと。
●子どもが勉強にせよ運動にせよ、何かが苦手というのなら、それは子どもが苦手なのではなく、親が苦手を克服するための努力を怠っている、ということ。
●子どもの性格を決めるのは親の性格であり、子どもの行動を決めるのもまた親の行動。
というように私は考えているし、相手が誰であれこういったことを主張している。子どもがいないから言える主張なのかな・・?
甥っ子が生まれた際に、妹に強く言っていたことは「本を読んであげろ」。
文字を自分で読めるようになったら「子どもと一緒に読め、声を出して子どもに読ませるようにしろ」。
一定年齢が経ったら「勉強の時はテレビを消せ、ゲームを中断させろ」というようなことを言ってきた。
だが実行された形跡はない。テレビに至っては「私が見たいから」といい出す始末。それじゃ子どもだって見るさ・・・。
同じなのだ。言葉で言っただけで行動するなら苦労はしない。
妹にはこれまでの14年間で、子どもの勉強に関しては何を言っても無駄ということはわかったので、この分野だけ自分が担当することにした。
かつても同じようなことをやろうとしたが、狭いアパート暮らしでは難しかった。自分が食事をしている間は勉強の場所が確保出来なかった。
それじゃあ、と、甥っ子の元に行こうとしたが、自分のスケジュールがあまりに厳しく、夜遅くの時間となってしまうため、年に数度しか出来なかった。
今は引っ越しによりスペースに余裕が出来て、自分が食事をしている間でも勉強する場所を確保出来る。
ということで、水曜日の夜8時~と土曜日の夜7時~の週2回を甥っ子の勉強時間とすることにした。
勉強する教科も内容も甥っ子に選ばせる。私は隣で答えに対してレクチャーするという形。
楽なようだが、勉強している間はずーっと付きっきり。結構めんどい。
始めて1ヶ月が経ったが、理科などで私自身、答えがわからなくて悩んだりした。それ以外の教科では今のところ苦労はしていない・・・。
勉強時間はテレビを消すため、日本シリーズを見ることが出来なかった
第2戦と最終戦となった第6戦はこの勉強のために見れなかったのだった。
まあ、しょうがないが・・・。
一度だけ3時間勉強をやったことがあったが、甥っ子は完全に集中力を切らしてしまったので、今は2時間以内に終了するようにしている。
甥っ子も大分、勉強に慣れてきたようだが、ただ、勉強をするのは私の住む「この場所」であって、自分の自宅は勉強する場所では無いようだ。
私のレクチャーをいつまで続けるか決めていないが、新学年になるまでは継続しようと思う。何とか自宅勉強を行うようにさせるのが今後の課題。
先日、縁あって恵庭市の子育て関連の行政施策を知ることが出来た。
「絵本」を出産と同時にプレゼント。子どもに対して家庭で「絵本の読み聞かせ」を行わせようという試みだ。
保健師が乳児検診などの際に、読み聞かせの方法などをレクチャーする。
もちろん、家庭だけではなく図書館などを中心にボランティアなどによる「絵本の読み聞かせ」会を積極的に行う。
学校に通学するようになったら、学校の教育メニューの中に本の読み聞かせや自主的な読書を行うようなメニューを行っていく、など。
自分が考える子育てや教育の方法に近いことをやっていてうれしくなった。
「子どもは親の所有物ではない」という考え方がある。
この表現で正しく伝わるのかわからないが、親の責任はもちろんあるし重いものだと思うが、親が全責任を負うのではなく、少しだけ地域も含めた社会の責任があると思うのだ。
子どもを育てる、ではなく、子どもたちを育てる、という考えで地域も社会ももう少し子育てや教育に関わるようになった方がいいと思う。
自分はスポーツ少年団の指導をしているが、始めた当初はそんな考えは全くなかったが、子どもが成長する姿を見て、自分にも責任の一端はあると実感するようになった。
子どもは、同年代の友達や、年上のお兄さんお姉さん、下級生の男の子女の子との関わりの中で過ごすのが絶対に楽しくて幸せだと思う。
その周りにいる大人たちのことも見ているから、大人もしっかりと、正しく、そして正直に接していかなければならない。
いずれ社会へ出て行く子どもたちなのだから、社会との関わりを無くして成長は見込めないだろう、と思う。
どのように社会と関わるかは親次第だが、義務的に関わらなければいけない社会活動、そして選択することのできる社会的活動を地域や行政が用意してあげるべきと思う。
恵庭市は、市民ボランティアの活動がとても大きいし、ボランティアで対応出来ない部分を行政が行おうとしているのかな、と思う。
恵庭市は市長選挙を控えている。新聞でも出ていたが、現職に対抗する候補としては「最強」という元道議会議員だそうな。
子育て・教育という、効果があるんだか無いんだかわからんものに、行政として制度と金を用意した市長はとても勇気があるし、一般的に行政は老人向けの施策が多い中でとても革新的なことを行っていると思う。
いろいろ問題もある市長のようだが、個人的には再選してほしいなあ、と思っていたりする。
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