日にち薬

瀬戸内寂聴さんの言葉をタイトルにいただきました。
以前は「デルタ」をメインテーマに。今後は・・?

空気を読む

2007-08-07 23:59:44 | いろ色
 中学生の子どもたちの会話を聞いていると、時々女の子から男の子に向かって
「空気読めよ!」
という言葉が聞こえてくる。

 うーん、「空気を読む」って実際のところなんだろう?

 ここんとこ最近のお笑い芸人には必須の能力のような気がするが、「空気を読む」とは言葉の裏にある気持ちを理解せよ、という解釈でいいよな・・・。
 言葉がなくとも気持ちを察すること、とでも言うのかな?


 中学生を見て思うのだが、今の20代前半以下の若者にも結構重要視される能力ではないだろうか。


 だからといって、最近になって生まれたものでもないとも思う。絶対に大昔からこの日本にはそういう感覚が存在したはずだ。
 私が子どものときも表現こそ違った気がするが、「空気を読む」能力は必要だったと思う。「ニブイ」とかってそういう意味が込められてなかったかな?

 少なくとも自分は「ニブイ」人間で、「空気の読めない」人間であったし今もそうだが。
 だから空気を読むことが必要だと感じた瞬間から話さなくなる。一番手っ取り早く一番自分に適した対応法なんだな。


 
 若い人たちの間で「空気を読む」ことが重宝されているのならば、それは若い人たちがそういう環境で鍛えられているということなのだろう。
 「空気を読む」ことができる人は”嫌われない”人間ということなのかもしれないし、人に合わせることが得意なのではないか、と思う。

 たまたま私の環境では男の子が「空気が読めない」子なのだが、世の中の現実はどうなのだろう?
 
 昔で言う「一匹狼」のような人間は変人扱いされる時代なのではないだろうか。 最近はわからないが一時期は子どもの間で、友達の多い子がモテル、と聞いた。

 そういう環境で鍛えられた子達の社交技術は、かなりハイレベルな気がしてならない。そして、そういう子はめったに本音を言わなそうとも思うのだ。


 本音で語ることはせず、そういう気持ちや考えは「読む」必要があるのならば、私は若い人たちとは付きあえない。
 私は自分ではおとなしいほうだと思っているが、実は強引で押しの強い人間なのかな、と今は思う。

 でも、

 言葉で語ることが人間の本質だし、アメリカやフランスには「空気を読む」という言葉すら存在しないと思うのだが。



 中学生の会話で出ていた「好き」という感情は絶対言葉で伝えるべきだと思うし、そう伝えた。あの子たちも同意した。

 結局、あれなのかな、言葉には口にするべき言葉とそうでない言葉が時と場合によってあるということなんだよな。
 その判断力は経験で身に付くというよりも持って生まれた才能ということなんだろうか?
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