猫語のブログ〜ねこさんの、ぼくによる、ねこさんのためのよみもの〜

「猫語の教科書」をだいざいに、しもべいくせいほうほうなど。

N-eko酸としもべ

2023-07-30 | 日記
ねこのみなさんごきげんよう。

ねこさんのえいえんのおもちゃたちが
泣き惑うころになりましたね。
おもちゃたちの末魔に、ねこさんの
三日月のようにとぎすまされたきば、または
ひかりのこなをまぶしたようにきらめくおつめがささり、
あえなくさいごをむかえるおもちゃたちのむねんのなきごえに、
ぼくのおひげのねもとはふっくらしてしまい、
それをみつけたしもべに
つつかれるまいにちです。

さてこんかいは、ねこさんのけんこうため、
ねこさんがしっておかなければならない
えいようそについておはなしします。

なぜねこさんがしらなければならないのか、
しもべにおまかせしておけばよいじゃないか。
ねこさんはひらひらまいおちるほこりを
みつめるのにいそがしいのです、
というおこえがきこえてきそうですが、
そうもいかないのです。
なにせしもべたち人間は
このえいようそを、いまだしらないのですから。

つまり、ごはんやおみず、ちゅーるさんのように
ねこさんがおねんねしているうちに
しもべがよういしてくれるたぐいのものでは
ないということです。
ですのでねこさんはごじぶんでしっておかなければ
ならないというわけです。

ぼくもねこさんですから、このようなことは
たいへんごめんどうにかんじます。
しかしこればっかりは、たいくつでもぜひあきらめずに
およみください、とおねがいするばかりです。

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しもべたちは、ねこさんを吸ったり、
ときには食んだりして
ねこさんをせっしゅしますね。

なぜそんなことをするのか、
としもべたちに問うたならば、しもべたちは
ねこさんのかわいさとめがあってしまったために
ねこさんをおしたいするきもちが、
こころのうつわのなかでおおいなるはんらんをし、
これをおさめるすべといえば
ねこさんをすったりはんだりするしかほうほうがないのです、
とこたえるでしょう。
ねこさんをたべものとおもっているわけではありません、
ともいうでしょうね。

なるほど、たしかにねこさんはたべものではありませんね。
しかし、たべものではありませんが、じつはねこさんだけが
うみだせる栄養素が、あるのもまたじじつなのです。
そしてこのえいようそは、しもべたちにとりこまれますと、
とくべつなはたらきをします。

このえいようそのそんざいのかのうせいについて、
いちぶのゆうしきしゃたちはかんがえはじめているようですが、
いまのところは、もしかしてあるんじゃね?だってねこさんすうとまじこころ
みたされることない?くらいのにんしきで
ほとんどファンタジーのりょういきでかたられているにすぎません。

人間たちのふつつかさにがっかりしてしまいますが、
いたしかたありません。ぼくたちねこさんは、
しもべたちのけんきゅうがすすむのを
おねんねしながらまちましょう。

このえいようそにはすでにおなまえがありまして、
N-eko酸(エヌ・イーコサン)といいます。

しもべたちはしらないにしろ、
いえ、むしろしらないために本能のめいずるままにして
ねこさんにやどっているN-eko酸をひとつぶのこらず、
すいこもうとします。

おなかなおけなみのしじまから
おみみのいちばんたかいところから
うしろのおつむのから
おじょうひんにしゅっとすぼまったおててのさきから
せまさにていひょうのあるひたいから
しもべがすうごとに、またははむごとに
N-eko酸はどんどんうしなわれてしまいます。

しもべはなぜこれほどN-eko酸を
どんよくにほっするのでしょうか。
いったい、N-eko酸のなにが、しもべを
ここまでかりたてるのでしょうか。

そのなぞは、しもべにとりこまれた
N-eko酸がどのようにさようするのかを
しることですべてあきらかになります。

しもべのたいないにとりこまれたN-eko酸は
あれとくっついた、それをひいたりされて、
さいしゅうてきにドンパミンというつぶを
つくります。

このつぶは、しもべの脳にたどりつきますと
ぱかっとはじけまして、
しあわせなきもちをあたえるつぶを
やきあがったにんじんケーキに粉砂糖をふるうように
おしみなくたっぷりとふりまきます。
それによりしもべは、たいそうしあわせなきもちになります。
そのしあわせなおきもちは、
おいしいおさしみをたべたときの
22倍ほどになるそうです。

ドンパミンのはたらきはそれだけではありません。
しもべのやるきをもっさもさにはやすこうかもあるのです。
しもべが、しもべをうしなったようにねこさんをせっしゅするのは
このこうかのためでもあります。
もっさもさにおいしげったやるきでもって
しもべは、よりいっそうたんねんに
N-eko酸をせっしゅしようとするのです。

しかしそれもあるとき転換点をむかえます。
しもべのたいないに、ぱかっとわれた、
かつてドンパミンだったもののかけらたちがまんぱいになりますと、
N-eko酸とドンパミンのかけらたちが
くっついたりはなれたりなにかをうしなったりして
こんどはセロントニンというつぶにかわります。

このセロントニンはもっさもさにおいしげった
しもべのやるきを、しあわせなきもちはそのままに
てきどにかりこむことができ、
しもべはせっしゅをねっしんにするのをやめて
しあわせなおきもちだけをたのしむきになります。

そしてこのセロントニンは、しもべをながいこと
しあわせなおきもちのままにしておくちからもあるのです。

このドンパミン・セロントニン効果を
知ってしまったしもべの本能は
もう、これらのつぶによってもたらされる
しあわせなきもちをわすれることができなくなり、
そのざいりょうとなるN-eko酸のことを
どんよくにもとめるようになるのです。

もうひとつつけくわえておきましょう。

しもべは、ドンパミンやセロントニンとよくにた
つぶをN-eko酸なしでつくることができます。
はたらきもよくにていますし、しもべでない人間たちは
ドンパミン・セロントニン類似物質だけでいきていけます。

しかし、それとこれとはまったくしつがちがうようで、
ドンパミン・セロントニンのもたらすこうかには
およぶべくもない、ということがわかっています。
しもべはごじぶんのこうふくにはめがないので
よりこうふくなるものがあるとしってしまったら
もうもとにはもどれなくなってしまうせいしつがあるため
本能でもってN-eko酸を求めてしまうのです。

しかし、N-eko酸はしもべのためにつくられるものではなく
ほんらいならば、ねこさんのためにひつようなつぶです。

ですので、しもべにすいつくされくいつくされ、
ねこさんにひつような、さいていげんのN-eko酸ものこらない、
はげやまのいちやになってしまったら
それはゆゆしきじたいです。

このような事態をふせぐため
ねこさんはどうしたらよいでしょうか。

ながくなりますので、このつづきは
じかいにいたしましょう。
それまで、ひびきわたる
おもちゃたちのこえをたのしんでください。







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