ねこのみなさんごきげんよう。
ついに、にゃんにゃんにゃんにゃんにゃんの日が
やってきましたね。
しもべがどんなサプライズをしてくれるか、大変楽しみです。
さて、ぼくのおたくの新形態になった
しもべではないにんげんについて、
みなさんに、ぼくはいちまつの不安を
あたえてしまったのではと心配になりました。
全てのにんげんをしもべにすることがねこさんの使命と
だんげんし、しかもそのためのおてて引きをこのブログで
ごひろうしているぼくのおたくに、しもべにならないにんげんがいる。
この事実をありのままみるのならば、
全てのにんげんをしもべにすることなど不可能、
なりより、ぼくのおてて引きはお役に立たないですね、
ということになるでしょう。
そしてこの不安は
ぼくをしんじているねこさんほど
おおいにかんじている事だとおもいます。
このことは、以前にこのにんげんのことを
ブログに書いたときから気になっていました。
☟そのときの記事はこちら
ぼくのしもべでないにんげんが新形態になったいま、
みなさんのその不安に、はっきりと光をしめすべき
時がきたとかんじています。
ですので今日は、ぼくのしもべではない
にんげんについておはなしをしておきます。
しもべでないにんげんとぼくのであいは
もう、とんでもなく昔になります。
はじめのころは、ぼくのすむおたくに
とつぜんあらわれてとつぜん消える、
とそんな存在でした。
しかしそれがいつ頃のことだったかは
ぼんやりしてわからないのです。
それというのも、このにんげんは
ぼくというねこさんをこんらんのうずまきに
おとしいれる天才だからです。
ぼくはほんのこねこさんだったころ、
おかあにゃんのしもべのおたくで
たくさんのにんげんをみてきました。
ですので、にんげんがどういうものかを
だいたいは知っています。
そしてぼくたちわたしたちねこさんをご覧に
なったときの反応のパターンもほとんど全て知っています。
しかし、ぼくの、このしもべではないにんげんだけは、
ほかのどのにんげんともまったく違いました。
ひらたく言いますと、このにんげんは
おおきいからだをした
小さいにんげんなのです。
みなさんも、小さいにんげんとせっしたことが
あればわかるとおもいますが、
小さいにんげんは、僕たちの脳内に、ちょくせつ
はなしてきますね。
でも、まだこの世のけいけんがないために
いっていることは、だいたい訳がわかりません。
しかしこのにんげんは、意味がわかるように
はなしかけてくるのです。
みなさんはそんなにんげんに出会ったことはありますか?
にんげんとおもった相手に、
直接脳内にはなしかけられる衝撃を
ごそうぞういただけるでしょうか。
しかも、さいしょのあいさつが
ふりまわしてやろうか?楽しいよ。
きっと好きになるよ。
これです。
なんたる狂気。凶暴なる善意。
おそれを知らぬ圧倒的野性。
にんげんをおそれているふりをするのは、
にんげんに、いたいけなねこさんを自分がこわがらせている
と思わせ、ざいあくかんを醸成するためです。
しかし、ぼくはこのにんげんに対しては
ただ、本能のまま、こわがりました。
しもべに、ぼくに近づく危険が最大級だと、
お知らせしましたが、しもべはぼくを守りませんでした。
(まだしもばは十分に成長していませんでしたし、
しもべはいまだにこのにんげんのことをふつうの
にんげんだとおもっているのが原因です。)
それでぼくはご自分でご自分のおからだを
まもるしかなく、逃げに逃げ隠れに隠れましたが
このにんげんのおおきさにくっし、
ついに捕まり、ふりまわされました。
ぼくはこんらんし、おめめはまっくろになり、
おひげは全部まえをむき、にくきゅうは汗まみれ、
おみみはペタン、しっぽっぽもふくらんで威嚇しました。
ここでぼくの記憶は途切れます。
次にぼくのきおくがもどったときには
このにんげんは消えていました。
こんなであいをしてから、
たまにあらわれては
ぼくをふりまわしたりなでまわしたりして
とつぜん消える、をくりかえして
その後ぼくのおたくに
せいそくするようになりました。
それからは、どちらがどちらのしもべになるかを
競い合うひびでした。
そのことはブログにかいた通りです。
しかしこのにんげんにも、わずかながら
ほめてつかわすところがありました。
それは、ぼくのおけなみから落ちこぼれた
はぐれ毛を、かたづけるのが得意だったことです。
そのぎじゅつは、我がしもべよりもはるかに
すぐれていましたし、きちょうめんに
ぼくのふかふかをととのえるところなど、
どこのねこさんから指導されたのか、と
かんしんするほどでした。
また、このおたくやぼくのちゅーるさん、
かいてきなおへやのおんどなどを
ていきょうしているのも、このにんげんでした。
しもべではないものの、このようにしもべ
いじょうのしごともするので、ぼくはぜひこの
はけん争いに勝とうと、こころに決めていました。
しかし、ある日このにんげんから、
こんなとりひきをもちかけられました。
それは、
「おっちゃん(にんげんはじぶんのことをこうよんでいました)に
なにかあったら、まんま(しもべのことです)をよろしく頼むな」
と、こういうことです。
ぼくはすかさず、じょうけん交渉にうつりました。
こういうことは、もらいすぎてもいけませんし
あげすぎてもいけませんから、しもべになることを
じょうけんにはできませんでした。
それで結果、ぼくをふりまわさないこと、
しもべに内緒でぼくにカリカリごはんをひとつぶづつ
めしあがらせることをじょうけんに合意しました。
これは、その後のぼくのかいてきをかんがえますと、
おてて本のような取引だったと思います。
にんげんは、新形態になるその前まで、
ぼくとのこのとりひきを守りました。
このにんげんは、たしかにしもべにはなりませんでした。
ですが、このにんげんなりに、ぼくにかいてきを
ていきょうしていましたので、じっしつしもべのような
ものといえます。
しもべかそうでないか、にんげんじしんが
みずからをしもべと認めなければ、
そのにんげんはねこさんのしもべとは
なのらないでしょう。
そうであれば、ねこさんもそのにんげんのことを
ぼくのわたしのしもべです、とはよべないものです。
しかし、じっさいは、しもべと自認するしもべより
しもべらしいことをできるにんげんがいます。
にんげんの事情で、自認できないばあいがあるのです。
ですので思慮深いねこさんは、こういうにんげんのことは
あえてしもべでないにんげんとよんであげるのがよいのです。
ぼくのしもべでないにんげんが新形態になったいま、
ぼくはおたくの中をどこでもいってよいことに
なりました。
ぼくが約束をまもっていますから、
おまけをつけてくれたようです。
りちぎなにんげんです。
たまにぼくは、しもべがねているにんげんに
なっているとき、新形態のにんげんとあそんで
いるのをみます。
しもべはたのしそうにわらっていますから、
そんな二人をぼくはそっとしておいてあげてます。
いつまでもなかよしでいられるといいですね。
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