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nekomitu日記

ポンコツ日記

抗がん剤の効果と代償

2020-03-24 21:31:00 | 日記
久々の本社出張から熊本に帰ったら
まんまとインフルエンザに感染していた
4クール目の抗がん剤治療が1週間の延期…
私の癌はせっかちなので不安だった
延期している間に又転移…
若しくはデカくなってないか…
インフルエンザも治り…
いざ抗がん剤…今回はCT検査もあるので祈る様な思で待った。当日、いつもの様にイリノテカン、アバスチン、吐き気止め点滴を終え2ヶ月ぶりの造影剤CT検査…結果が出るまで祈っていた
とにかく癌が増えていない様に転移してない様に…と。
主治医に呼ばれ
肝臓の画像をスクロールしながら
説明が始まる。「えーと…これが切除した癌のあとそれと〜ここに小さめのが一つ二つ
ここにこのちょっと大きめの癌が.この丸いやつ分かりますよね…」

「え!又増えたんですか!」と食い気味に突っ込んだ
「あ!いやいや…これは前回の画像ですね」
おいおい!
「で…今回のやつは〜これで〜」
画像を見ながら説明
「ココに前回あった大きめのこの丸いやつは無くなってますね…ほら…そして他のやつも小さくなってますねー」

「わーやった‼️マジですか‼️」
「腫瘍マーカーの数値もまた下がってるので…ふふふ希望が出てきましたねー
このまま頑張って治療を続けて行きましょうねーと…なかなかの演出で
喜ばせてもらった。←主治医に感謝
「先生…このまま運良く腫瘍マーカーの数値が下がって0になることはあるんですか?
「いや…0になる事は無いですね」と即答…それ以上は怖くて聞かなかった…という事で
私に起こっている奇跡は辛うじて
継続中なのだしかしながら…
その代償は外見の変貌として日々襲ってくる。
シャンプーの度にガンガン抜ける髪の毛…
これも、普通なら抗がん剤も4クール目になると
もうツルツルになる頃なのに、未だ辛うじて髪の毛が残っている私は自分の髪の毛が好きで
ちょっと自慢の髪の毛だったから一番辛い
でも頑張るなぁ〜私の髪の毛!
抗がん剤の副作用って新陳代謝が活発な頭髪や体毛、皮膚、爪、粘膜に露骨に現れる…
※以下記録として残す
一回のシャンプーで抜ける髪の毛

爪はだんだんと黒くなり顔は色素沈着が激しくドス黒くシミが情け容赦なく…
これらは抗がん剤の回を重ねる毎に酷く出てくる。皮膚や眼や粘膜は乾燥&超過敏になり
常に保湿しておかなければヒリヒリ痛い
なかなか治らない口角炎と口内炎、味覚障害
全身の痺れや浮腫、リウマチと抗がん剤後の薬大量のステロイド飲用によりパンパンに腫れて浮腫んだ顔鏡を見るのが本当に苦痛…
ちょっとした刺激でも鼻や口腔内などの粘膜から出血する🩸あと…諸々の感染症
4クール目になると色々分かってくる。それでも生きている事がありがたいのだ。感謝

心友

2020-01-09 20:15:08 | 日記
1月6日
私の人生において大きく影響を受けた
「心友」と数年ぶりに連絡が取れた。

中学の同級生が
友達を介して
私の現状を話し連絡をとってくれた。

心友Oくんと私は

もう1人の友達Sくんと3人
中学を卒業してすぐ
共に美容師を志しスタートした仲間だ

Oくんと私は、同じ中学でやんちゃ放題…
常に問題児として名前が上がる2人だった
※本人たちは至って普通だったと思う

Oくんは、転校生だった私に「居場所」を作ってくれた恩人であり…

何より思春期の
人格形成に大きく影響を受けたと言っても過言ではない。

そして…

ある事件の渦中にいた私の
「命の恩人」でもある

彼は、今も美容師を続けているが
私は、20歳で既に免許も取らぬまま
挫折した

電話の向こうの
懐かしい声
話し方…
相変わらずだった
凄く安心する声だ
そして怒涛の質問責め…

癌の病状を繋いでくれた
友達から聞いての質問責めだった
全て直球で聞いてくる。

実に心地よい…
この彼とのコミュニケーションが
昔から大好きだ

笑ったし…
嬉しかったし…


そして、しばし電話で懐かしい声を聴いて笑い合って…数分後
彼からのメールに号泣した。

「出会えた感謝の気持ちを込めて最後に
髪を切らせてくれないか?…」

抗がん剤でもうすぐ脱毛してしまう
話したからだろう。

それから…
2日後に横浜行きが決まっていた
約束の日。
その場所に行くと

「おぉ〜♬久しぶりー」


とニコニコ出迎えてくれた彼は
最後にあった時より
痩せて小さくなっていた…

ここから…
髪を切ってもらってる間
私の質問責め返し…

彼は震災で被災した時
重い大病をし手術したと聞いた。

会えなかった間のこと
思い出話し…

シャンプーしてもらって
トリートメントしてもらって

あっという間に素敵にカットしてもらった♬
この時まで脱毛せず
辛うじて残ってくれていた髪に感謝だ!


写真は娘がこっそり記念に撮影してくれていたもの

こうして会いたい人に会えたこと
そして縁を繋いでくれるひとに恵まれ
私は幸せな人間だ。




ゲノムと2つの奇跡

2019-12-22 22:17:00 | 日記

12月14日
9月の開腹手術前にWOMAN'S VALUE AWARD 2019に
私達の取り組みをエントリーしていた。
そして
全国の総合職を目指す女子学生
就活美人に登録しているキャリア志向の女子学生、約1万人による投票が行われた

ICT部門:優秀賞               
授賞の連絡が来た!

「やった!」

熊本オフィスオープンから
手術までの5ヶ月
とにかく
葛藤しながらやってきた取り組みが
やっと「スタートライン」に立てた!

そう思った。


生きる気力が湧く…
これからまだやれることがある
ほのかな希望を持てた…一日だった。
支えてくれた仲間の顔が浮かんだ。

そして、
12月20日
IRIS+アバスチン療法3回目の点滴の日

身内から「ゲノム🧬治療ゲノム創薬」について可能性があるなら
紹介状を書いてもらったほうが良いのでは?と資料を渡されていたので、点滴前の受診で主治医に聞いた

そもそも…
ゲノム医療、ゲノム創薬というものは、基本的に今治療している
「標準治療化学療法」が効かない効果が期待できない人に対してするもので

今は、まだ
標準治療3回目なので
その段階ではないとおもいます… 

もしも、この「標準治療」で残された可能性のある治療で効果が 
得られない場合は、ゲノム治療について大学病院にセカンドオピニオン
紹介状を書くのは全然OK…
それは患者様の権利なので。

しかしながら
あなたのBRAF遺伝子変異は
肺癌では良く見られるが
大腸癌では
非常に少なく珍しい
大腸癌全体の8%の異変。
急速に癌が進行するタイプ


ゲノム医療も最先端だが
未だ一般的ではないのが現実

言いにくいが、あなたの
「大腸癌のBRAF遺伝子変異」
に効果を発揮する抗がん剤は
残念ながら未だ開発すらされていない。


治験などでほんのわずかされる事もある程度だろう。


主治医はいつもの
静かで優しい口調でストレートに
凹む現実を説明してくれた…

そして、ニコニコと 
「今日も血液検査したら、点滴できそうなので頑張ってやりましょうね〜」と続けた。

あぁ…
わかっちゃいるけどせつないわー
と、看護師さんに励まされながら
いざ…3回目点滴開始





が…。

その2時間後
抗がん剤を点滴中

いつも小走りで移動している
主治医が

息を切らして
小走りで私のベットにかけよってきた。

「腫瘍マーカーの数値!二つとも下がってましたよぉ…やぁ〜ひとまず良かった!」
と満面の笑みでデータを見せてくれた。




わぁ…ホントだ‼️‼️
涙が溢れて号泣した…
ただ涙が溢れて止まらなくて…

ベットで
ありがとうございます…
よかった…よかった…
と何度も手を合わせ泣いた。

あんまり泣くので、主治医は
「うん。うん。」と言い残しそそくさと、再び小走りで消えていった←いつものこと笑

付き添ってくれていた看護士さんが
一緒に喜んでくれて…
励ましてくれた。

次の瞬間

いつも支えてくれる
家族や友達
会社の仲間

いつも誰かのために
陰徳を積んでいる
私にとって大切な人達は
実は…
人の姿をした

「神様」で


そして
その
Powerに守られ、支えられ
本当に奇跡を起こそうとしてくれているのではないか…そう思った。


いつも支えてくれる皆んなの顔が浮かんだ。
抱きしめてくれる温かい人達の顔が浮かんだ


直ぐに伝えたい…
もうベッドの上で
癌が完治したくらいの喜びだった。



4月オフィス開設から3ヶ月後

7月14日の人間ドックで
まだしても腫瘍マーカーの数値が跳ね上がっていた…
しかも去年の手術前の数値より高い…
嫌な予感を持ったまま
仕事への気持ちだけが焦っていた。

8月14日
癌の術後一年目の検査で
一年前の横行結腸癌の取り残しが見つかった。既に多発肝転移しており
既にステージⅣ

9月12日入院、開腹手術で
原発の横行結腸と多発肝転移5箇所を切除

10月13日
術後組織検査からのBRAF遺伝子変異発覚。急速に癌が進行する癌であることが判明

10月29日抗がん剤Xerox療法開始するが3日後脱水症状と低血糖、嘔吐症など副作用酷く緊急入院しばらくの休薬期間を過ごす。

11月21日入院にて様子見ながら
IRIS+アバスチン療法開始
11月25日多発肝転移の再発告知
余命6ヶ月告知

緩和療法として
IRIS+アバスチンを続ける

現在に至る

この次から次に来る
心休まらない現実に
心身共に疲れて…どこか諦めていった…

だけど今は
違う。

私のように完治の見込みがない
手術の対象とならない
進行再発大腸がんの化学療法の目標は、副作用を抑えて治療を続け、
よりよい生活をできるだけ長く送ること。
つまり延命のための治療ではあるが

副作用は我慢しなくて良い
どの副作用がどのようにつらいか、
生活上のイベントのために投薬の時期をずらせるかなど、
主治医に副作用対策や休薬・減薬をよく相談のうえ、化学療法を気長に続けられるということ…

誰にも会えず、家に引きこもり
ぐちゃぐちゃの感情で過ごした日々だったが

現実を、ここに来てどうにか受け入れることができた。


私には
自分らしさを忘れたとき
思い出させてくれる大切な家族がいる
 
笑い方を忘れたとき
笑わせてくれる大切な友達がいる
 
ダメになりそうなとき、
そっと支えてくれる仲間がいる
 
いろいろな人たちのお陰で
今の自分がいる。
  
大切な人たちに「ありがとう」と
感謝を伝えよう。

そう思った。

皆んなが口々に言ってくれた
「奇跡」が本当に起こるかもしれない…皆んなのPowerのおかげで…

未だ油断できない状況ではあろうが
心は穏やかで温かい

これから2週間はS1飲用抗がん剤
を飲みながら年を越す…。


ガッツリ脱毛も始まる。
髪の毛も眉毛もまつ毛も無くなる…

変わりゆく外見にどう向き合っていくのだろう…
でも大丈夫そう思えるまでになった。

















【再発】

2019-12-01 22:49:00 | 日記
11月25日18時〜
入院前のMRIの結果を、
娘同席で外科担当医と血液腫瘍内科担当医から説明を受けた。


結論から言うと…

9月に切除した5箇所の肝臓癌
とは別なところに… 

既に目視できるだけでも
3、4箇所更に癌が出来ていた
再発だ。


いくら進行が早いと言っても…
手術から僅か2ヶ月だ。

早すぎる…
こんなスピードなんだ

私の肝臓はいつまで頑張れるんだろう。


主治医
「言いにくいけれど、この状態だと外科的切除はまず難しい…
この抗がん剤でどこまで抑えられるか…というところです。

幸いにも
この、TS-1内服+イリノテカン点滴+アバスチン分子標的治療薬で
今のところ
大きな副作用も現在出てないので、
この薬でしばらく様子を見ましょう…」

TS-1内服+イリノテカン点滴+アバスチン分子標的治療薬 療法の副作用


「但し、2ヶ月目位に脱毛は確実にありますし、後半に倦怠感や骨髄抑制からの感染症他の副作用も出てくる可能性はありますので注意は必要です。なるべく人混みには行かないように。」

ということで

わかっていたけど

切除不能癌確定

「腫瘍マーカーの数値は血液検査で
毎月診ていき、CTを2ヶ月毎に診ていきます。」

「それで効果が見られない場合は
また薬を変えて…となります。」

「患者さんの中には
この抗がん剤で1年とか2年とか
延命されてる方もいらっしゃいますから希望は持ちましょうね…。我々も最善を尽くします…」


「年末年始くらいは
ご家族でゆっくり過ごせるように
お薬をお休みしましょうか?」と気遣ってくれた

前のblogのとおり
この癌が、奇跡的に消えて無くならない限り、死ぬまで癌と向き合っていくことになった。

出来るだけQOLを下げることなく、いつまで延命できるかってところだ。


あと年内にはツルツル頭確定かな。

私も娘もある程度覚悟できていたので
心静かに話が聞けた。

とは言え…2人深いため息をついた。
部屋を出て「お腹すいたね…」って

話をそらした。


※写真は退院した日に見た病院の前の銀杏

今日で入院から一週間
前回のように懸念された重い
副作用も出なかったので

自宅療養と外来で引き続き治療することになった。<span">

しかし…
入院前と今とで大きく心境の変化があった

入院前は「不安」「諦め」「絶望」
の感情だった。

「頑張ってくださいね!」と言われたら
「頑張ります!」って明るく言っていたが

本音を言うと

次から次に
心休まることない予想外の展開に…
心身共に疲れてしまって…もう頑張る気力を失っていた。

だけど、
今回の入院で、いろんな事を冷静に受け止める事ができるようになって…

些細なことにも
当たり前な事なんて何一つないんだって
感謝するようになって…

天気が気持ちいい!
ご飯の味がわかるー美味しい!
ちゃんと眠れた!
今日は外出も出来た!
って小さな幸せを感じる事ができて…

そして

「生きる意欲が湧いてきた」


これは、もしかすると奇跡が起こせそうな気がすると…笑

私の🧬遺伝子や細胞は
私が「笑って」「食べて」幸せを感じていたら元気になるんじゃないかって思うようになった。

NK細胞頑張れ

そうして気持ちも上がりつつあった

がっ

一つ大事な事に気がついた。

当初は「術後科学的補助療法」の予定だったので6ヶ月の治療が終わったら
髪の毛は生えてくるし〜と思っていたが

「緩和的化学療法」となったので
抗がん剤治療で奇跡的に癌が消えない限り
endlessな訳だ…

となると…一度抜け落ちた髪の毛、眉毛は生えないのね…

何故か急に焦った…

髪の毛があるうちに←多分あと2週間くらい?

オシャレして会いたい人に
会いに行かなきゃ…
そうだ…会いに行こう。

いっぱい笑おう

美味しいと感じるものを食べよう。

こんなふうに前向きに考えられるようになったのも、今回の入院のおかげだし

何より…

支えてくれた
大切な人達のおかげなんだと思う。

ありがとう
ありがとう
何度もベットの中で手を合わせた。



































緩和的化学療法スタート

2019-11-21 17:09:05 | 日記
11月21日再々入院。

前回のblogで書いたように
私の癌は、去年8月
取り残された横行結腸癌から
肝臓へ多発肝転移した
ステージⅣの進行癌。

そして…
組織検査を更に詳しく調べた結果

BRAF遺伝子異常という結果も出たので
急速に癌が進行するそうだ。



このまま
抗がん剤治療しなければ余命6ヶ月と…
宣告された。

2回の手術をしても
腫瘍マーカーの数値が下がらず
肝臓に多発転移した癌は全ては取りきれず
身体の中に癌が残っている状態なのだ。

明日の朝からいよいよ
違う抗がん剤で「緩和的化学療法」が始まる。

これは、「治癒」を目的にと言いたいところだが「延命」のための治療である。

少しでも苦痛を和らげながら
主治医のチームと連携して進めていく。

なので、入退院は頻繁になるかもしれない。



私は、この病気の情報を得るのが怖かったし、実際に見ても不安だけが増幅し、尚且つ専門的すぎて分からなかった。

あとは医師を信頼して
希望を持って

奇跡が起こるようにと…1日でも長く
奇跡が起こると信じて
身体の中にある癌と向き合おうと思っている。

今回の薬は

IRIS療法>TS-1内服+イリノテカン点滴+アバスチン分子標的治療薬

前回のXerox療法の恐怖しかなかってので
かなり覚悟していたのに…

イリノテカンとアバスチンの点滴は
何の苦痛もなく…静かに180分以上の時間が過ぎている。不思議だった。看護師に点滴の名前を確認したくらいだ。

何故?こんなに…
なんともないのはなぜ?

と思って「IRIS療法」の事、
私のややこしい癌の事…

そもそも
正しい情報が足りないから不安だし理解してないから怖いのだ…

そう思って点滴の間
色んな情報を集めたり見たり…
読んだり…
そしてこれ‼️ヒットしたのが奇跡!


この「IRIS療法」は北海道で生まれていて
それに関わった教授の講演動画だった。

食い入るようにこの動画を見て
動画の終盤になると「声を殺して…やった!ありがとうございます!」と自然に感動で涙が出て声を殺して泣いた」
心が凄く柔らかく暖かくなったのを覚えている。

こんなに色んな人達が、死亡率が一番高い私達の厄介な癌のために、日々挑戦して戦ってくれてるんだ!と思った。

そして、私の主治医のチームも
私の厄介な持病【リウマチと線維筋痛症】+癌のために
外科、血液腫瘍内科、リウマチ膠原病科
精神腫瘍科…の専門医が連携して関わってくれている。

最善を尽くし、苦しまなく良いように
色んな薬を併用して苦痛を軽減してくれているのが分かった…。

だから…2日目の今日も
何の副作用も感じず…
美味しく食事ができた。

本当に有難いことだ。

未だこれから出て来るであろうけど
医師を信じて、いつでも泣きついていいんだと…ここに来て思えるようになった。


主治医は「予想される苦痛は、出来る限り取り除けるように色んな薬を使っていきます」と入院前に話してくれた通りだ…

入院当日の夜、
主治医が様子を見に来た時、
「先日のMRIの結果は
月曜日に娘さん同席で説明できるようにしますが、このIRIS治療での方針は変わりません」



「結論から言うと…CTで見て怪しいと思っていましたがMRIで確認したら
やはり肝臓に転移が残ってます」覚悟していたもののショックで泣いたが

色んな情報を見聞きすることによって
私に関わってくださる

色んな人への感謝で胸がいっぱいになった。

私は、この入院までの期間というか…
ここ数年、幸せな
瞬間もたくさんあったが、

怒り、哀しみ、絶望、孤独で
自暴自棄にもなった時間がとても多かった気がする。常に心が締め付けられてる感覚だった。

そして、自分の感情に蓋をして我慢することが当たり前になっていた。

そんな溢れ出すほどの「負の感情」によって自分の心と身体を傷つけ


私の遺伝子は、そんなダメダメな
私を守ろうと
必死に支えて頑張ってくれたのに

私自身が自分の感情を
雑に扱ったばかりに

もう無理だって!

異常を起こしたんだろう。

生き急いだせっかちだから
癌もせっかちな癌細胞なんだろう…
そう思った。

肝臓への転移は
前回の検査から
わずか6ヶ月の間で
肝臓へ多発転移していた。

自分の中で、そんな身体の異変が起きて
癌細胞が転移した瞬間…

不思議なことに

何かが身体の中で
粉々に壊れたの分かった日があった。


そして自分の愚かさに嫌気がさして
全てを終わらせたいと思った出来事があった。

きっとあの時、取り残された横行結腸癌から、リンパを経て…肝臓へパーンって散弾銃で撃たれたみたいに
多発転移したのだろう。

確かに身体に感じたことのない
異変を感じたのである。

今年4月の出来事だ。

心は形がないから傷つかない…
私は昔blogに書いたことがある。

心は傷つかなくても

信じていた人からの
その場しのぎの嘘や裏切り
耐えがたい屈辱からのダメージで

挙句…極度の人間不信となり…

もう
誰も信じない…
誰も頼らない
誰にも会いたくない。
何度も石のように心を強張らせた。

相手が優しさと思っていても
そこに本当の意味で
血が通ってないのなら
深く傷つく事があるんだと。


※写真は知人から送られてきたもの※

そうして「大丈夫!何でもない!」と
自分の感情をごまかしてばかりいると

細胞や遺伝子が私の代わりに傷つくんだな…


という結論。

だから私の遺伝子は
「そんな生き方をやめさせようと癌になって教えてくれたのだと」思った。


友達からもらった本にもそんな事が
書いてあった。

なので入院前の私の心境はというと…
心の8割は
諦めに似た絶望しかなく…
自分の苦しみや絶望に支配されていたんだ。

今は、病院のベッドで🛌とても穏やかな気持ちだ。

治療を乗り越えるというより
上手に癌と向き合いながら生きる。
何がしたいか?自分に問いかけた。





まずはこれだな。「エンディングノート」を書く。
そして、身体が動くうちに
部屋の断捨離をやって






この言葉の通り過ごしていこうと思う。
この言葉は主治医側も
大切にしているとある医師が講演で話していた。

何があっても娘や家族や仕事仲間が
困らないように…「最悪に備えよ。

そして、
毎日朝日を浴びて、深く深呼吸して
笑って…楽しい時間を過ごし
希望を忘れず「最善を期待する

残された時間が
あとどのくらいあるかわからないけど…

私の遺伝子が喜ぶ選択」をしてあげよう。そう思っている。


これが「心的外傷後成長」ということになるのかなぁ…って思った



ちょっとばかりジタバタして
もがいたけど…ちょっとは強く成長したんだろう。





まずは延命13ヶ月‼️これが希望!
13ヶ月あったら結構色々できる