唐突だが、私は自分の世界観を持った人が好きです。それは独特な感性であれば尚更魅力的です。
私自身も自分の世界観は大切にしているし、豊かな人生を送る上で「感性」も大切にしている。
私は、どうにも自分の感情が扱えなくなると、音楽に浸る。その時々の感情に合った音楽を聴く..。
音楽逃避
音楽は決して裏切らないし、どんな時でも私の感性を癒してくれるからだ。
何か楽しい事や人と会って気を紛らわす事は基本的にしない。
若い時から人に相談したり、頼ったりする事はどうにも苦手で、大音量の音楽の中に身を置いき、自分を浄化していた気がしている。
音楽に酔うって感じだ。
酒は全く飲めないが、音楽に酔い朝まで過ごした事も多々あった。
そんな自分の感性を理解してもらいたいとも思わないが、その中に同じような感性で一緒に居てくれる人は心地よい関係が築ける。
音楽だけではなく、季節ごとの風の匂いや空の色、雲、星、花、鳥の声、水、身体に染み入るように感じる瞬間、そこに色を感じて生きてる事の幸せを感じる。だからこそ、自分の感性や世界観といったものはとても大切にしたいと思っている。
私にとっては、どんなブランド品や高価な物より大切なものだろう...。
話は変わるが、
私は、人の声も「音」として捉える癖がある。だからとても気になるし好き嫌いがある。
男女共に声の大きい人、声が高い人、早口で喋る人、叫んだり怒鳴ったりする人は、どうしても敬遠しがちになる。これは、若い時からだそうだった。
その事が理由で、度々喧嘩した事すらあるくらい苦痛に感じる事がある。
だからだろうか、TVは付けていても音は限りなく小さくしている。雑音としか捉えられないからである。特に、某お笑い芸人や、女性がギャーギャー騒ぐ場面が出てきたら、途端にTVを消すので
いつも笑われる。
好きな音楽は、音響の良いところで大音量で聴く。これは人の声やTVの音とは違って、音に包まれている感じがする。これはとても心地よい。
またまた話は変わるが...
私は「世界観」を語る上で大切にしている想い出がある。
それは、過去にとても好きだった人の事.,。
その人は、私の世界観や感性をいちいち説明しなくても感じ取ってくれているのがわかった。同じ物を美しいと感じたし、好きだと感じていた。生まれて初めてそんな男性に出会った。
魂が共鳴する感覚だった。
生い立ちが似ていたからかもしれないと思ったが、それだけでなく、その人の内面から滲み出る空気感、声、話し方、笑い方、全てが心地よかった。
それは、
とても好きな音楽に出会った時の高揚感というか、ときめきのようなものに似ていた。
掛けてほしいと思っているタイミングで、まるで心を見透かされてるように、欲しい言葉を掛けてくれる人だった。不器用だけど「有難う」と「ごめん」は、とてもストレートに言える人だった。
こんな厄介な性格の私の心に、寄り添ってもらえていた気がした。
結局、その人とは、手に軽く触れる程の関係で、結ばれる事はなかったが、もう二度とあんなに魂を揺さぶられる人に出会う事はないだろうと思っている。とても男気があって温かくて誠実な人だった。
そんな、純粋で精神的な心の繋がりを重視した関係を、プラトニックというのかもしれない。
だけど、いくつになっても私が求めているのは、そんな感性と世界観なんだと改めて思う。
互いの世界観を感じつつも多くを語らず、傍にいる事に心地よさを感じて、ただ手も繋いで季節の変わり目を感じて歩く..。そんな関係を求めているんだと...。
こんな風に、理屈じゃない、安易に説明できない
そんな感性や世界観を持った人って、孤独とか、言い様のない闇とか、愛とか、欲求とかが心の中に混沌と渦巻いていているけど、
そんな事、表に出さず生きている人なのかもしれない。
今夜外は、豪雨と暴風、雷...まるで空が壊れていくような地鳴りのような不気味な雷鳴
本当は、一人心細くて泣き出したい衝動に駆られたけど、こんな夜も音楽は寄り添ってくれた。
他に何も要らないと思えるこの感性をやっぱり大切にしたい...。そう思った夜だった。