まず初めに…
私が良いことも辛いことも
文章に書きblogに残す目的は…
「混乱した頭と感情を整理する」
「客観的に自分の現状を見る」
「生きた履歴を残す」
この3つだ。
今回も頭は混乱
心も締め付けられるまま
文字におこしている。
緊急入院から1週間後
10月13日
今後の治療方針を決めるため主治医のところへ。あまりの苦しさに…
抗がん剤治療やめることも視野に入れ
受診した。
リウマチ膠原病科の受診から
血液腫瘍内科へ移動。
血液腫瘍内科へ移動。
予約していたにも関わらず
採血して
かれこれ3時間以上待ち…
遅れている理由を受付に聞くと
「血液検査の一部が未だ出てないようで…」と
「嫌な予感しかしなかった」
やっと呼ばれて
腫瘍内科主治医
「退院後体調はいかがですか?」
私「抗がん剤の副作用もなく幸せな数日間を過ごしています…」と答えた。
それから
主治医の説明はこう続いた。
「前回、Xerox療法が身体に合わずアレルギー反応も出たし、脱水、低血糖、嘔吐症からの緊急入院で休薬し1週間
引き続ゼロックス療法の継続は、心身ともにリスクが高いので、治療方針を変更しようと思っています。」
「その前に、ちょっと言いにくいことではあるが…」といい
腫瘍マーカーのグラフを見せられた。
術後またしても…写真のとおり
術後腫瘍マーカーの数値が上がっていた。
何故…絶句。
手術で摘除しても微小な癌が
残っている可能性が高い…
そして
術後の癌組織検査から
そして
術後の癌組織検査から
DNA検査に回された結果を告げられた。
「BRAF遺伝子異常」
という結果が出ています。と
医師が書きながら説明を始めた。
これはどういう事か…というと…
簡単に言うと
私の癌は
「急速に病状が進行するタイプの癌」
という事だった
私の癌は
「急速に病状が進行するタイプの癌」
という事だった
よって当初予定していた外来での
「術後補助化学療法」から
「緩和的化学療法」に変更する必要があると医師は続けた。
以下の3つの治療法を提示された。
①IRIS療法←TS-1内服+イリノテカン点滴
②FOLFIRI←体内に埋め込んで自動的に抗がん剤が血管に注入される方法
③アバスチン分子標的治療薬
結局、主治医から勧められたのは
「あなたの場合は、弱い抗がん剤では
厳しいので、入院で①と③抗がん治療から開始して、様子を見ながら緩和的化学療法を進めていく事が望ましい」
ということになった。
要するに…
副作用の説明や資料を見る限り
想像するだけで恐ろしい…
一人暮らしの私は
万一の事を考えて入院…
となったのだろう。
来週月曜日→再び造影剤MRI
木曜日→再入院
金曜日から→抗がん剤治療開始となった。
そして続けて…
「これもまた、いいにくい事なんだけど…
MSI検査をすることを勧める…」
結果は、入院時に出てるので説明します…
との事で、専門的すぎてよくわからなかったが
つまり、ここで
又異常が見つかれば
「治療、手術が困難な局所進行、転移固定癌」「リンチ症候群」となるそうで
家族や兄弟への遺伝確率が高くなり…
と聞いた瞬間、涙が溢れて
説明を覚えていない。医療費の負担などの事も含め、とても専門的な内容だったのは確かだ。現実離れし過ぎて言葉も出ない。
勇気を振り絞って聞いてみた。
「私は、この抗がん剤治療をしなければ余命どのくらい持つんですか?」
「私は、この抗がん剤治療をしなければ余命どのくらい持つんですか?」
主治医
「ん…。言いにくいけど…もって6ヶ月位…
あっという間に癌は広がるでしょう…」
「抗がん剤治療がうまくいったら2、3年は
延命されてる方もいます」と
とても言いにくそうに話し
要するに、この状態になったら
確実な事も何の約束もできないのだ。医師は、可能性がある限り手を尽くすといったいった感じだろう。
目の前が真っ暗になった。
今回の入院は、
今回の入院は、
先の見えない入院となりそうだ…
前回のblogで「5年生きたら長生き…」と憶測で書いたが、医師の口からハッキリと
それより更に短くなったと
聞いてしまったのだ。
すぐそこの「死を覚悟」した瞬間だった。
というか…
来週再び入院して
ここに帰ってこれるのか?
また孫と遊べる日が来るのか?
その日から
1週間後の「死」を宣告された様な
気持ちで時間を過ごしている。
これまで
自分は運が強い!運がいい!と
生きてきて…
今回も
奇跡が起こって欲しいと望んでいたが
グラフやDNA異常を見る限り
「私の運も尽きたか…」と心折れた。
グラフやDNA異常を見る限り
「私の運も尽きたか…」と心折れた。
「何故…2年も続けてお腹切って
苦しい思いして…それでも私の癌はダメなのか…」
だけど…私より
もっと辛いのは
娘だろう。いつも病院に付き添い
結果の説明を聞くのは娘だ…
ずっと泣きながら
気丈に
「お母さん大丈夫?」と私を気遣っている。
親一人子一人で
支え合って生きてきた私達だ。
私が弱れば娘がしっかり支えて
娘が弱れば私が支えて…
そうやって生きてきた。
翌日…
姉が訪ねてきた。
そして姉もまた、娘と同じように
幼い頃から2人で
支え合って生きてきた
二人っきりの姉妹だ。
顔を見るなり2人で暫く泣いた。
そして姉が一枚の古い写真を持ってきて見せた
幼い頃から活発で友達が沢山いた姉に比べ
大人しくてどこに行くにも
姉の後をずっとついて離れなかったそうだ。
私にとって一番大切なこと
尊い時間とは
そんな姉や娘たちと過ごす時間だと
去年、癌になってから気がついた。
それまでは
時々
そばに居て当たり前…
いつも頭の中は仕事のことばかり
自分のことばかり…
怒涛の私の人生に娘を巻き込み
苦労ばかりかけた。
大切な家族に
こんな辛い思いをさせるなんて…
そして
両親も早くに離婚し
バラバラに生きている
私達家族は
死んだあと入る墓が無い…。
「私が墓を建てよう」と
咄嗟に思った。
皆んな最後はもう一度
家族になろうと…
去年亡くなった愛猫も一緒に…
気がつくと
姉にそう話していた。
でも、その前に
私は奇跡を信じて
辛くてもこの治療にかけてみようと思う。
応援してくれた沢山の友達と
一番大切な家族の為に。
もし…
途中力尽きても悔いのないように。
楽しめる時間は家族と笑っていよう。
そして
これから同じように
癌で不安の中にあって
戦う人の為に
可能な限りblogを更新しようと思っている。