今日の朝、エイジアさんを火葬にだしました。
お世話になっている動物病院には火葬施設があるので、安心して任せることができました。
エイジアさんとお別れを決めたのは、本当に急でした。
月曜日の朝、エイジアさんがゴハンを食べていないことに気が付いたのがきっかけです。
エイジアさんが日曜日まで時間をかけながらも食べていたはずのゴハン、そのゴハンに舌先で上下に何度もタッチするのですが、全く呑み込めていないことがわかりました。
土曜日の夜から異常にお水を飲むようになったことは気になっていたのですが、今思えば飲んでいたのではなくて口の中を濡らしていたのかもしれません。
エイジアさんの顎にできた腫瘍は、歯茎を肥大させるだけではなく、舌下で膨らみ、舌を押し上げて、上顎にまで及ぼうとしていました。
そして、月曜日の朝、ときおり喉から変な音を発し、喉が狭まっているようにも思えました。
またお水を舌先でパシャパシャとはじくときに、時折お水が鼻にはいり、むせるような雰囲気の時もありました。
窒息などは絶対に避けたい。
そう思いました。
お別れを決断する要素は二つと決めていました。
エイジアさんがゴハンを食べられなくなったとき。
そしてもう一つは、一人でひっそりと逝かせないこと。
私には一人、お犬様・お猫様のことで常に相談しあう友人Rさんがいます。
サンディエゴに住む友人Rさんには、ガンと診断されてたあと、何度も奇跡を起こしては再発・闘病を続けたお犬様「チビちゃん」がいました。 でも、もう余命わずかという段階になり決断ができなかったそんなとき、チビちゃんは彼女が仕事に出ている間に一人でひっそりと庭で亡くなったそうです。 彼女はチビちゃんを独りぼっちで逝かせてしまったことで大変長く苦しみ、そして今でも後悔しています。
エイジアさんの病気を報告したときも、決断を先延ばしにしたら一生後悔すると言われました。
その彼女の言葉はいつも私の頭の中にありました。
そして、窒息という不安が頭をよぎった月曜の朝、動物病院へ電話をしました。
予約の電話をしたあと、嗚咽がこみあげてきて、自分でもびっくりするほど大きな声で泣いていました。
どれくらい泣いていたのかは覚えてません。 ただ、エイジアさんを送り出す午後2時半までにやらなければいけないことがたくさんあることに気が付き、掃除・買い物・部屋の片づけにと、ものすごい勢いでとりかかりました。
ほんの九十分の買い物から戻った時、フロアでちょこんと座っているエイジアさんの口元から今までとは様子の違う雰囲気でヨダレが流れていました。
まるで一時間刻みでエイジアさんの様子が変化しているように思えて、怖くなったことを覚えています。
そして車で動物病院へと向かうとき、いつも助手席に乗せるキャリアの中のエイジアさんは、私の方へ顔を向けずに、お尻を向けたまま、ときおり天井を見上げるようなそぶりはみせるのですが、ほとんど身体を動かそうとはしませんでした。
急な予約だったので、初診の時から診てもらっていたD先生には空きがなく、代わりの先生が担当してくれる予定だったのですが、D先生が時間を割いて担当してくださいました。 そして、しばらくすると初診の時からD先生と一緒にエイジアさんを見てくれていた助手のJ君も、私服姿で現れて、一緒にエイジアさんを看取ってくれました。
エイジアさんの目をのぞき込みながら、エイジアさんの頭を撫でながら、「エイジアちゃん、おやすみ、エイジアちゃん、おやすみ」と声をかけるなか、エイジアさんは深い眠りについていきました。
病院では絶対に泣かない、そうエイジアさんと約束したので、涙目にはなりながらも、お世話になったD先生、助手のJ君、そして病院のスタッフに笑顔でお礼を言うことができました。
なんだかエイジアさんが私に力をくれているような、そんな気になりました。
エイジアさんの亡骸と一緒に帰宅する車中でも、エイジアさんを失った悲しみよりも、「もっともっと強くなりたい」という気持ち、こうした出来事や将来への不安に打ち勝つ勇気が欲しい、そんなことばかりで気持ちがいっぱいになりました。
今こうして昨日の出来事を書き留めながら、家の中が驚くほどガランとしていることに気が付きます。
猫という小さな生き物だったエイジアさんの、その存在がどれほど大きかったかを思い知らされます。
明日からまた新しい仕事が始まります。
いままで経験したことのない職種です。
でも、不思議と前向きな気持ちでいられています。
それはきっと、エイジアさんを悔いなく送り出せたこと、そして妖精になったエイジアさんが、いつもそばにいて、その優しさで包み込んでくれるような、そんな気がするからかもしれません。
エイジアさん、いままで本当に本当にたくさんの愛をありがとう。