昨年の年明けに、トトはエコー検査を受けた。
腹部に小さな炎症が確認され、
IBD(炎症性腸疾患)あるいは
腫瘍の可能性がある
との診断だった。
13歳と半年の、高齢猫に内臓疾患...。
痛みは取り除いてあげなければいけない。
でも、そうした治療は
彼の喜びであるパトロールに
障害を与えるものであってはならない。
「予防」や進行状況確認だけのために
病院通いをしてストレス=苦痛を与え
パトロールが二の次になるようなことは
したくない。
彼の時間が限られているのならば
残された時間を思うように生きて欲しい。
そう思った。
そして、
エイジアをおくるときに
「あの子が食事をとれなくなったとき」
と決めていたように
トトにも別れの判断基準を決めていた。
それは、
トトがパトロールへ出なくなったとき...
トトを迎えた15年前、
南カリフォルニアでの
トトのパトロール場所は
小さな住宅街をめぐる塀や溝だった。
そんなトトを見ながら、
このNYの田舎の様な大自然の中で
パトロールさせることができたら
トトはきっと幸せだろう
と考えたことがあった。
当時は、まさか自分の人生が
こんな展開になるとは
思ってもみなかったのだけれど、
ある意味、引き寄せの法則により
トトに究極のパトロール場所を与える
という願いが叶った結果なのかもしれない。
ゴルフ場での生活が始まると
トトは周囲の自然だけではなく
事務所や機材、そして
お客さんにも興味を示し
皆に可愛がってもらっていた。
ブログをあまり更新できなかった2015年、
犬猫散歩にはトトも参加していた。
それが徐々に回数が減り
年を追うごとに外出時間も減り
移動の距離も短くなった。
そして昨年のシーズン中、
トトは外から事務所の中を覗き込み
私を探しては鳴いて過ごすことが多くなった。
そして今年の春、雪が溶けても
トトはパトロールへ出ようとはしなかった。
玄関先には、いつも
パトロールへと出かけるルーシーの
後姿を見つめるトトがいた...。
トトとその兄弟の
フォスターケアを終えて
彼らを里親会へと連れて行く
車中でのこと。
子猫たちはみな
キャリーの扉にしがみつき
中からこちらに手を伸ばして
大騒ぎをした。
ところが、4匹の中の一匹だけは
キャリーの奥からじっとこちらを見ながら
「どこにも行かない!」
というオーラを放っていた。
それが、トトだった。
私が世話をした4匹の中でも
一番の美猫だったトト。
最初に家族が決まるのはトトだろう、
という私の予想は外れ、
里親会終了後に残ったのはトトだった。
トトは、
ケージの中に設置した
ベッドの裏に隠れて
里親会のあいだ中、
気配を消していたのだった。
こうして、彼は自ら
私の猫になることを決めた。
つまり、私はトトに選ばれた。
私はこの時、
アメリカに来て初めて、
自分の存在価値を見つけたと思った。
そして、トトに尽くした。
トトのために家を買い、
トトのために
エイジア&ケイティを迎え、
私はトトのために生きた。
猫のために生きたい、
と思った。
でも、
そんな「誰かのために生きる」
という考え自体が間違っていた。
自分は自分のためにしか生きられない。
自分のために生きて、そして初めて、
誰かのためにも生きる事ができる。
トトは、
それを私に教えるために
やってきた。
そう思うことで
不思議な安心感に包まれた。
5月10日木曜日の午後、
トトにとっては最後の訪問となる
動物病院へ向かうため
車のエンジンをかけ
助手席にのせた
キャリーの中をのぞいた。
普段のトトであれば
キャリーの扉から私の方を見上げるのに
この時は
キャリーの奥から
じっとこちらを見ていた。
その瞬間、15年前に私を選んだ
あの時の子猫がよみがえった。
あの時、
「どこにも行かない!」
と主張した子猫は
その主張どおり
その身体が寿命を迎えるその時まで
どこにも行かずに、
私の傍にいてくれた。
そして、この15年間
外出したトトの帰りを待ちながら
「どこかで野垂れ死になど
絶対にさせない」
「トトの最後は必ず看取る」
という
私の信念を貫く瞬間へと
向かっていることに気が付き、
全身が震え、涙が溢れ出てきた。
お互いが出会ったその時から
それぞれが抱き続けた思いを
同時に叶える初めての瞬間。
それが、皮肉にも別れの時だった。
トトを見送るときに
心に流れてきた曲は
意外にもこの曲だった。
トトは、アメリカに来て
初めて迎えた猫だった。
日本で教育を受け
社会経験も積んだ私にとって、
アメリカでの生活は
違和感そのものだった。
日々の閉塞感で、潰れそうになった。
一分一秒ごとに、
息を吸うごとに、苦しみが増していく
そんな気がした。
私はここで受け入れられていない、
私は誰にも理解されない、
そうした思い込みが
やがて恐怖に変わり、
私は常に怯えるようになった。
怯えることが習慣になった。
そんな私の傍にいて
その様子をずっと見ていたのが
トトだった。
私の精神が、どんどん崩れていく、
その一部始終をみていたのがトトだった。
トトは完全室内飼育に
するつもりだった。
でも、うちの子になったその日から
トトは外へ出たがった。
動物愛護をかじった私が
愛猫を外に出すなんて
つじつまが合わない。
私はいらだった。
そんな私を横目に
トトは網戸をのぼり、壊し、
家じゅうにシッコをして
外に出ようとした。
出来る限りのことをして、
外へ出ようとした。
私は折れて、
そしてトトは外へ出た。
トトはまるで、
「俺は外へでる。
俺は最高の家猫人生を
楽しむために生まれてきた。
そのために、お前を選んだ。
だから俺は外にでる。
最高に楽しい家猫人生を送る」
と言っていると感じた。
そして、今思えば
それは私へのメッセージ
だったのかもしれない。
物事すべてに対して心配し、
怖がっていた私にトトは、
「外へ出ろ。
お前は自ら望んでアメリカへ来た。
お前がここでやりたいことは何だ。
やってみろ。
お前の人生を生きろ。
その限られた時間を生きるのだ。
怖がることは時間の無駄だ。
自分を信じて飛び込むのだ!
そして、その人生を楽しめ!」
そんなメッセージを
彼はその行動で見せて、
伝えようとしていたのかもしれない。
その証拠に、
トトが遠出をして帰宅が遅くなり
私がひどく心配しても
彼は必ず戻ってきた。
私の心配は無駄なことだ
というかのように
ひょうひょうとした顔で戻ってきた。
この15年の間、
彼はそうして必ず私の元に戻ってきた。
私の心配はどれもこれも
無駄だということを
私に確信させるために
彼は私の元に戻ってきた。
彼は「信じる」ことの大切さを
私に教えてくれた...。
リンゴとデイジー、
そして深紅の薔薇を添えて...
トト、
家の中がガランとしているよ。
しばらく私は君を思って泣くよ。
もう強がったりしない。
とても悲しいから、私は泣くよ。
いつか涙が枯れる日がくる、
その日まで、私は泣くよ。