
こんにちは。
私ってのは、割と、父方母方両家の霊媒的な存在であったんですよ。失せモノとか、子供ながらに聞かれると、その場にありましてね。それで得意げになったつもりもないんですが、自分ではそういうモノが当たり前だと思ってきたんですね。
ある時、やはり小学生の低学年の時、あるお兄さん方がニコニコ笑って飴を上げるから、あそこへ行かない?と言われた時、瞬時に自分の中に「X」がついたんですね。「急いでいるからごめんなさい。」って言って逃げ出した。結局、他の同級生が釣られて行って、そして、その子は暴行に遭った。
家全体の中では、父はやはり極力そういう事から私を避けようと思うんですが、それでも「家」の抽選のはがきを出しに行かせた。そして、失せモノの万年筆の場所を聞いたりとか、割と活用していた。
急に、変な所に潜って探してくるので、親は途中で「こいつが皆、隠したんじゃないか」と言ったけれど、程なく疑いは晴れた。割と皆普通に聞いて来てた。
災厄のエネルギーが流れている時は、遠慮なくジャックされて、そっちに傾いてしまう。危険な目も多かったけれど、生死に関わる事だと、今行っちゃいけないって事の方が大きくて、父は最後まで、ぐずぐずする私に渋い顔だったんですが、主人は、それを私の災厄のパラメータ崩しとか、色々考えて、かなり素直に、その面を利用しています。
交通事故にも遭いやすかったし、人一倍、大きな災厄に巻き込まれる事も多かった。自分の好奇心があるからと思われがちだが、災厄の場合は、好奇心どころではない。もはや、全く想像がつかない時に、災厄は来る。
で、割と私をかすってくる。
今思うと、割と家中の災厄をひとりで背負っていたんだなとは思うんですけれどね。幼い頃からごく普通に、見えないモノが見えて、ごく普通にやってきた。故に、ごく普通な感覚なんですけれど、これに憧れる人が時々いるんですよ。私と同じ目に遭いたかったら、遠慮なくどうぞと思う所は大きい。なんせ、感覚過敏で鬱になっている暇さえもはやない。「余命を知っても平気でいられるところ」までこぎつけなきゃならない。
割と、その翌年のお告げってのも聞かれた時が子供の頃にある。どうなのと。そういう事を割と日常、皆で私自身を使ってきた経緯はあるし、何と言うか、私自身もそれ自体が、「みんなに普通にある感覚」だと思いこんできた。けれど、自分の特化した分野だけ、聞いてくるのだと思った。
災厄が多すぎて、母は、私の身代わりを作った。奇妙な身代わりとする方法を教えられた。結果的に、最初の一体目はあっという間に手足がもげた。その時、母が凄まじい顔をしていた。次の2体目は、主人が来た時に首がもげた。結局、それまでの間、一体目から2体目までは、死ぬほどの災厄に遭いっぱなしだった。
ミーディアムって、霊媒って凄くもてはやすところがあるじゃん。だけれど、普通の感覚の人にしては、普通なんだよ。ごく自然に、失せモノを探し、ごく自然に、何かをする。当たり前すぎるとさ、何だか、それを、「凄いお力」と言われると、笑っちゃうんだよね。予知とかしたがる人が多いけれどさ、あんまり当たる確率が多すぎると、もうどうでもよくなるんだよね。
だって、どうあがいても、吉凶を占って、凶が出たら、吉に変える事の方が大事なんじゃないのかな。まず、予知を完璧にしようと思うのもいいけれどね。大体の透視出来る人って、もはや、割と小さい頃からそういう感じでね。コツさえ教えれば、出来るようにはなるんだよ。途中から様々なイベントで、感覚過敏になってしまい、振り回されてきた人は、振り回されても、精神力が強いし、出来れば、普通の人生がようございましたって言う人の方が多い。
そういう面で、自分はすげーだろって言う人程、「そーですか、ハイハイ。」と思う事は多いよ。どこの家庭でも、割と頻度高く生まれる事が多いよ。それと、異様に精神年齢が高い。
所謂、己の幼稚さを隠して、上から目線で、負けず嫌いで一生懸命周りを振り回しているような段階の人は少ないよ。こういう人って圧倒的に呼吸が浅い。
で、精神年齢が高い人って、ほんと様々な事に自分の身を置いて、悩む訳。時々方角も分からなくなる。けれど、良く考えると、何故にミーディアムである事が、何の利益を人にもたらすのか、また、ミーディアムであるが故に自分で悩む事が多く、孤独感を覚える人が多い。まぁ、どこに行って話をしても、大体、私らの会話って、DQNだからね。
なんでそんなとこに?とか、どうして今日?とか、もはや聞くだけ面倒じゃないの(笑)。けれど、そういう事が多すぎて、かと言って病的にその事に固執しない人。そういうのが、ミーディアムなのかなと思いますけれどね。
病的に固執したい人は、それにて、経済利益、精神利益(賞讃)が欲しい人だから、何かこっちがやらかすと、激高してくる性格破綻者が多い。メールを読むと、その文章の中に、「自分が優れているって言ってください」って臭いが臭う。そうでもない人は、元々、自分の中でバランスを考えて、あれこれ四苦八苦して、その分だけ、修養を積んでいるから、そういう事は言わないよ。
今までの世界の中にごく普通にいたんだと思うけれど、否定されてきた人は多い。また、本当に精神力とのバランスを実力を持つ人は少ない。実力が「暴力」になる人の方が、多すぎる。まぁ、そんな事で、ミーディアムあれこれですが、私はごく普通に日常で、その面を出しているんで、今では、よく「うわぁ、こんな事があったよ。良かったねぇ」って場所に出会わす事が多いんですが、
自分の所為とか思った試しもないし、まず「有難い」と思う事にしている。
朋
PS:自分だけではなしえないこと。それを理解しておくべきだね。
私ってのは、割と、父方母方両家の霊媒的な存在であったんですよ。失せモノとか、子供ながらに聞かれると、その場にありましてね。それで得意げになったつもりもないんですが、自分ではそういうモノが当たり前だと思ってきたんですね。
ある時、やはり小学生の低学年の時、あるお兄さん方がニコニコ笑って飴を上げるから、あそこへ行かない?と言われた時、瞬時に自分の中に「X」がついたんですね。「急いでいるからごめんなさい。」って言って逃げ出した。結局、他の同級生が釣られて行って、そして、その子は暴行に遭った。
家全体の中では、父はやはり極力そういう事から私を避けようと思うんですが、それでも「家」の抽選のはがきを出しに行かせた。そして、失せモノの万年筆の場所を聞いたりとか、割と活用していた。
急に、変な所に潜って探してくるので、親は途中で「こいつが皆、隠したんじゃないか」と言ったけれど、程なく疑いは晴れた。割と皆普通に聞いて来てた。
災厄のエネルギーが流れている時は、遠慮なくジャックされて、そっちに傾いてしまう。危険な目も多かったけれど、生死に関わる事だと、今行っちゃいけないって事の方が大きくて、父は最後まで、ぐずぐずする私に渋い顔だったんですが、主人は、それを私の災厄のパラメータ崩しとか、色々考えて、かなり素直に、その面を利用しています。
交通事故にも遭いやすかったし、人一倍、大きな災厄に巻き込まれる事も多かった。自分の好奇心があるからと思われがちだが、災厄の場合は、好奇心どころではない。もはや、全く想像がつかない時に、災厄は来る。
で、割と私をかすってくる。
今思うと、割と家中の災厄をひとりで背負っていたんだなとは思うんですけれどね。幼い頃からごく普通に、見えないモノが見えて、ごく普通にやってきた。故に、ごく普通な感覚なんですけれど、これに憧れる人が時々いるんですよ。私と同じ目に遭いたかったら、遠慮なくどうぞと思う所は大きい。なんせ、感覚過敏で鬱になっている暇さえもはやない。「余命を知っても平気でいられるところ」までこぎつけなきゃならない。
割と、その翌年のお告げってのも聞かれた時が子供の頃にある。どうなのと。そういう事を割と日常、皆で私自身を使ってきた経緯はあるし、何と言うか、私自身もそれ自体が、「みんなに普通にある感覚」だと思いこんできた。けれど、自分の特化した分野だけ、聞いてくるのだと思った。
災厄が多すぎて、母は、私の身代わりを作った。奇妙な身代わりとする方法を教えられた。結果的に、最初の一体目はあっという間に手足がもげた。その時、母が凄まじい顔をしていた。次の2体目は、主人が来た時に首がもげた。結局、それまでの間、一体目から2体目までは、死ぬほどの災厄に遭いっぱなしだった。
ミーディアムって、霊媒って凄くもてはやすところがあるじゃん。だけれど、普通の感覚の人にしては、普通なんだよ。ごく自然に、失せモノを探し、ごく自然に、何かをする。当たり前すぎるとさ、何だか、それを、「凄いお力」と言われると、笑っちゃうんだよね。予知とかしたがる人が多いけれどさ、あんまり当たる確率が多すぎると、もうどうでもよくなるんだよね。
だって、どうあがいても、吉凶を占って、凶が出たら、吉に変える事の方が大事なんじゃないのかな。まず、予知を完璧にしようと思うのもいいけれどね。大体の透視出来る人って、もはや、割と小さい頃からそういう感じでね。コツさえ教えれば、出来るようにはなるんだよ。途中から様々なイベントで、感覚過敏になってしまい、振り回されてきた人は、振り回されても、精神力が強いし、出来れば、普通の人生がようございましたって言う人の方が多い。
そういう面で、自分はすげーだろって言う人程、「そーですか、ハイハイ。」と思う事は多いよ。どこの家庭でも、割と頻度高く生まれる事が多いよ。それと、異様に精神年齢が高い。
所謂、己の幼稚さを隠して、上から目線で、負けず嫌いで一生懸命周りを振り回しているような段階の人は少ないよ。こういう人って圧倒的に呼吸が浅い。
で、精神年齢が高い人って、ほんと様々な事に自分の身を置いて、悩む訳。時々方角も分からなくなる。けれど、良く考えると、何故にミーディアムである事が、何の利益を人にもたらすのか、また、ミーディアムであるが故に自分で悩む事が多く、孤独感を覚える人が多い。まぁ、どこに行って話をしても、大体、私らの会話って、DQNだからね。
なんでそんなとこに?とか、どうして今日?とか、もはや聞くだけ面倒じゃないの(笑)。けれど、そういう事が多すぎて、かと言って病的にその事に固執しない人。そういうのが、ミーディアムなのかなと思いますけれどね。
病的に固執したい人は、それにて、経済利益、精神利益(賞讃)が欲しい人だから、何かこっちがやらかすと、激高してくる性格破綻者が多い。メールを読むと、その文章の中に、「自分が優れているって言ってください」って臭いが臭う。そうでもない人は、元々、自分の中でバランスを考えて、あれこれ四苦八苦して、その分だけ、修養を積んでいるから、そういう事は言わないよ。
今までの世界の中にごく普通にいたんだと思うけれど、否定されてきた人は多い。また、本当に精神力とのバランスを実力を持つ人は少ない。実力が「暴力」になる人の方が、多すぎる。まぁ、そんな事で、ミーディアムあれこれですが、私はごく普通に日常で、その面を出しているんで、今では、よく「うわぁ、こんな事があったよ。良かったねぇ」って場所に出会わす事が多いんですが、
自分の所為とか思った試しもないし、まず「有難い」と思う事にしている。
朋
PS:自分だけではなしえないこと。それを理解しておくべきだね。
朋さんの存在、このブログの存在、プライスレス。でございます。
くぐりぬけて今まで生きてきて下さってありがとう。
聞かれると勝手に答えてるって言うか、「誰か」が勝手に私の口を使うんですよね~
最近は、自分で何か言ってから、
「って、今の誰よ」
とか
「人の口を勝手に使うな!」
とか文句を言うようにしています(苦笑)
周りに人がいるときは、もちろん心の中で
そういえば、最近そういうの減ってきたような気が。
はっ
あるいは、単に他人に同情なり共感しなくなってきただけかもしれませんが
弥栄(いやさか)による言祝ぎありがとう。
>くぐりぬけて今まで生きてきて下さってありがとう。
すいません、昨今、ちょっと超人ぶりに疲れ果てましたわ(笑)。けれど、私のやってきた事は、皆がやってきた事。そして疑問は一緒。なるほどですわね。
ありがとう
すずさま
>もしかしてあまり無防備にならないように心がけている成果がここに
それは、「症状における自覚」が変わってきたからじゃないのかな。昔、拝見した時は凄く自覚が少なかったし、なんでこういう事に過剰反応するのか、分かって無かった事が多かった。捉え方が具体的な対処方法に結びついていなかったと思ってた。
でも、今じゃ、時々、日記でさ、「あーあ、アスペンでも飲んでおくか」って開き直っているじゃないの(笑)。その開き直りが、良かったんじゃないんですかね。
あっごめん、こんなことまで書いて、失礼。けれど、あなたの後続車両に、伝えてほしいんだよね。意識と自覚一つで、症状はどうとでも収める方法があるとね。
ありがとう。