こんばんは。
これは、単にわたしの考えで、わたしだけがこれで納得しちゃってるので、特にご自身が悩んでる解決策には何もならないと思う。
わたしは、小さな頃から、とにかく、事故に遭うし、事故に巻き込まれもしてきた。最近では、ひとの事故に巻き込まれることは少なくなった。ひとが事故になりそうな時、その場にいないようにしているからだろうと思う。
と、書くと酷いやつだね。
事故ってさ、起こりやすい時、場所、空間があるんだよ。そこの3点を詰まないように、してるんだけど、まあ、とにかく、自分のことはおざなりにしてる性質なので、自分のことに限っては、この3点が揃う空間へ、どういう訳か誘導しちゃうし、詰まないと思っても詰むんだよ。
結構、上手くいってても、自転車で転んで、長患いするとかね。
自転車乗るのをやめてもさ、他人の脆弱性には、殊の外気を遣ってて、自分の脆弱性には無頓着なんだよ。
この歳まで来てさ、思うわけよ。これ、自分の脆弱性に無頓着ってだけじゃなくて、もはや、もう、事故に遭いやすいって、個性なんだなと。
人には細かく細かく、気をつけろって喧しくてさ、肝心の自分が、バナナの皮に滑るタイプ、いるじゃん。
つうか、めんどくさいんだよね。あの3点積バナナの皮を避けて歩くのがさ。ただそれだけだと思うんだよ。
人間、そこまで集中力ございません。わたしは、仕事に熱中してるので、目の前のことに熱中してたら、玄関にバナナの皮が落ちてても気づかんわ。
滑るわ。んで、事故るわ。誰のせいでもないわ。結構、バナナの皮が落ちてる時間に限って、急に玄関通るわ。そういう人なんです。
バナナの皮が落ちてて滑っても、もうどうでもいいんです。めんどくさいの。
なんか、事故で闘う人もいる。昔からすごいなと思ってきたけど、子供の頃から、被害者は自分でも、謝って逃げて帰るタイプなので、揉め事に費やす体力は、今はもっとない。権力闘争や上昇志向も、めんどくさいの。
好きなこと、好きにやれればいいし、できなくなったら、できないなりにやれるように考えるので精一杯。
やれることは狭まってきてるからこそ、やりたいことをやれる内に、楽しく暮らしたいのよ。
3点積もってバナナの皮が、テレポートしてきても、きっと、避けない。
たださ、バナナの皮に滑っちゃった後、ここからはオカルトなんだけど、運がいいんだよ。痛い目に遭うと、運が良くなるの。人は、それ見た時に、身内でも嫉妬するわ。
多分、社会の為に、わたしは、バナナの皮に滑ってる、そういうお間抜けさんが、ちょうどいいのかも。
辛い目に遭って、苦しいでしょう、やりきれないでしょうと言われても、
申し訳ないほどに、今は全然なんとも思わない。ああ、バナナの皮がきた、程度。死にかけても、ドクターストップになっても、メンタルに響かない。
代わりに絶対「死なない」っちゅー苦行を、強運として保持しております。
秋って、不用意だと喘息になるのよね。三途の川渡っても、戻ってくる保障付きだから、その時は辛いと思う。でも、終わりかけによく眠れて、スッキリしちゃう。
人にはここまで来ると、もう理解できない間抜けだと思うけどね。
どこにでもテレポートしてくるバナナの皮を気にして、怯えて、悲しんで、生きていくつもりはございません。
むしろ、バナナの皮が来てもいいように、仕事を回す。
多分、どっか根本間違ってるけど、バナナの皮で「神風」吹くんだから仕方ない。
それを実は利用してるんだから、しょうもない。わたしはそういうひと。
朋