こんばんは。
霊能者と言うものは、案外なってみると、誰にでもなれる者ですが、なった後が大変です。
理由ですか。それは、自分の艱難辛苦の理由を答えてくれる人が「もう誰もいない」事になるからです。好き好んで霊能者になる人はいいでしょう。けれど、私のように無理矢理、霊能者になるしかなかった自分を考えると、若い頃もずいぶん後も、その自分に「理由」がどうしても必要でした。
どうして、こんな声が聴こえるの?誰も聴こえないの?私だけなの?誰か教えて。
どうして、あんなものが見えるの?誰も見えないの?何で?私だけなの?
どうして、ここはこんなに怖いの?
どうして、熱が出ちゃうの?
どうして、こんな病気になったの?どうして?どうして?どうして?
理由がなければ、納得できなかったもの。それが私にとっては「霊能力」と「艱難辛苦」でした。それ以上に創造性が豊かで音楽なども好きでしたが、どうしてか、作る曲がみんな悲壮で(苦笑)。ウケがいいのはやはり、悲壮なものが好きな人や、透明なメロディが好きな人ばかりでした。まぁ、今では作りません。
若い頃はあふれるエネルギー、あふれる疑問を皆音符にぶつけたり、演奏にぶつけました。なもんで、表現力が豊かだと言って好評だったケースは多かったです。今は、楽器は弾きません。バイオリンやフルートや沢山の楽器を所有していますが、やりません。理由は、私は今、声楽に凝っていまして、独自で発声を練習し、独自で、オペラのアリア等を、密かに車で歌っているものですから(笑)。
体を声で鳴らすと響きます。その共振にちょっといい感じを見出しています。ですから、腹筋が妙に鍛えられて、艱難辛苦帰りの割には、おなかがヘッコンで、スリムなんですね。まぁ、体を鳴らすのに慣れると、それが癖でそれでストレスも飛びますのでね。悲しいことがあれば、歌い、嬉しければ歌い。まぁ電車を使えばこんな事は出来ません。故に、車が独壇場です。(笑)
「何故?」って問うのを辞めたのは、余命宣告を受けてからでした。
私が完璧に何でも見えるとは思っていないし、自分が見たものを、違う面から見られる人がいてもいいだろうと、自身がお金を払って「鑑定兼アドバイス」を求めた事もありました。それこそ、ブランド物ショッピングのように、高名な人や、様々な人を訪ね歩きました。
皆さん、それは「神から愛されている証拠ですよ」と答えました。
けれど、どうしてそんな答えで納得できるでしょうか。
こんなに肉体的に痛く厳しく、精神的に大人にならざるを得ないギリギリが、どうして自分は何度でも続くのか。頭を上げても上げても、蹴り倒されて、踏んだり蹴ったりで、医学界のありとあらゆる盲点に陥ってばかりでしたし。若い頃から、投薬ミスも多かったし、医者は夜逃げしたし、中毒で弾薬時に幻覚が見えたこともフラッシュバックを繰り返したこともありました。苦しかった。
まぁ、よくもまぁ、と思うほど、投薬ミスが多い。しかも、入院すれば、禁忌の食べ物がてんこ盛りでね。慌てて看護婦さんに聞いても、看護婦さんも知らない。医者は捉まらない。薬剤師に問い合わせをしてもらって、やっぱり「やばいところ」を抜けたこともありました。この時は、この事を鑑みない医者に腹を立てると言うより、逆に「病院勤務の医者に、ろくすっぽ考える暇を与えない勤務体制のほうが問題だ」と、既に思い始めました。
点滴だって一回で入らないし、土壇場で、何箇所動脈の採血をしようとしても、刺さらず、医者が泣きそうな表情になっているのも何となく分かりました。誰だって、「私の肉体が怖いんだ」とはもう思いました。静脈に入れる点滴ですら、入らずにベテランの医師が泣きそうな表情の中、「病院中の針を使い切った過去があるから、何とか全部無くなる前に入るといいですね」と申し上げたら、「痛いのに何も言わないでくれますね。でも、僕はこれで飯を食っているんです。だから、意地でも入れます。」と頑張った医師もいらっしゃいました。
最近思うのは、私はもしかして、病院の医療体制を建て直す為の患者か?って思う時があります。あらゆるケースを併発して、想定外の合併症や、想定外のリスクがどんどん起きる。その率、打率98%です。もう、段々、逆に恐縮してきました。
医師のミスについて、私は問う気はありません。理由は、同じ救命で働く「身内がいて」、その身内によく話を聞くからです。自分にとっては痛い話です。ですが、個人病院と違って、大病院は、客単価一人当たりの利益が、歩合給として医師に入るわけではない。だから、増えても減っても、文句が言えない。そして、増えた時、増える時期(寒暖差が大きい時)に、徹夜状態になる医師のなんと多いことか。
だから、正直、「感情」では「医療は信用できない」って思う部分がありますよ。これから先は、全部自分で知っておかなければ、何一つ信用できるものなどないとね。でも、そんな「感情」にほだされているのは、ほんの車の中の30分もあれば結構です。主人はもはやこういう問題に、面と向かって立ち向かえません。理由は、彼氏は沢山の会社が今、倒産スレスレで、正社員ですら危ない状態にいて、その会社を沢山現状維持のまま景気を良くしようと、必死に動いているわけで、その前に立ったら、私の事なんか正直私も「二の次」です。
体調が良ければ快く送り出し、帰る時間も電話できなければ、放っておきます。それしか、できません。私は、なるべく彼がいい案を沢山の会社に出して、沢山の会社が、何とか最低限の痛みで立ち直る事を祈っています。でも、私が口出しできるもんじゃありません。それは、彼の仕事ですから。うまくいかなくて、八つ当たりしてもしなくても、甘んじて受け入れるしかございません。ある意味で言えば、私はそういう感情を「切り捨てる」事さえします。
私の事を正直に話せる人はもう、残念ながらいません。その感覚を感情を込めて伝える相手は、私にはもう誰一人としていません。母が聞いて号泣した時、私は「兄の立場」と「患者である私の立場」「叔父の立場」に挟まれた彼女を本当に気の毒だと思うからです。だから、この先も、淡々と語ってしまうでしょう。もう感情がないみたいに他人事のように語ってしまうでしょう。そして、理由なんか求めないでしょう。
だって、起きている事実の原因を知ったって、もう予防なんか出来ない立場な訳ですから。せめて自分に出来るのは、五感を働かして、体の中の具合を冷静に客観的に見ていくしか出来ません。風呂だって入れない日もあるし、登山などの激しいものはもう出来ないと宣告もされました。それを今更、「どうして?」って医者に食って掛っても、
目の前の事実は何一つ変わらない
のです。
それでも、あなた方は、守護霊やガイドに聞きたいでしょう。何でも分からなかったら、聞きたいでしょう。それを安易な道だと申し上げるのは、艱難辛苦マラソンの最終区間に最初に発生するのは、「もう二度と誰も答えてくれないし、誰の答えでも正しくないと気づく」イベントなのです。
私が完璧な霊能者だとは私も思いません。私以上の方は沢山いると私は思います。ネームバリューがあろうと、雑誌に載った霊能者にカウンセリングをして貰って、家を乗っ取られそうになった家族のケースが先日テレビに出ましたね。雑誌に載せるのは、金さえ払えば、載るんですよ。広告だって、金を払えば打てるんです。で、マスコミに取り上げられたい人は、売り込みに行って、自分がいかに「マスコミにとって旨みがあるか」どうかをプレゼンして、成功すれば、いいんですよ。それを、しに行く事が悪い事かどうかなんて、分かりませんよ。ただ、ネームバリューは金で買える。そしてそれ以上の名誉は、金と霊能者に群がるハイエナに対する旨み成分で決定します。
私は無名でいいんですよ。ってか、無名でなきゃ困るんですよ。扶養家族も外れたくないし、ついでに、霊能者で飯は食いたくないし、家族を守るために、無名で結構です。私自身にはもう失うものなんか、何一つないんですよ。最後まで残っていた「悔しい」という感情すら、車を降りた瞬間に、捨てられるんですから。家のドアを開ける前に、無くなっちゃうんですから。
で、それでもあなたは、有名な人に鑑定してもらって、有名な人に答えを聞きたいんでしょう。それは止めませんよ。行きたければ行けばいいんです。それがあなたの経験です。何万費やそうと、それで心が満足するのなら、行きたいときに行けばいいんです。広告を打つ人は、そういう為に、開いているんですから。ボランティアじゃないんですから、容赦ない額ですけれど。何回も足を運べば、海外旅行に行ったほうがましだった金額にもなりますわね。でも、それも経験です。何でも経験です。
ただ、霊能者がどうしてろくでもない死に方をするのかと言えば、最後に「誰にも聞けない状態」になった時、人は「何を信じたらいいのか」心に問うんですよ。それが、神であったり、仏であったり、「金」であったりするんです。そして、マザーテレサでさえ、晩年に、「神はいない」と嘆き暮らし絶望して亡くなっていくんです。凡人の私なんか、ましてや、いわんやおや、でございます。
だから最後は精神力なんですよ。神にも答えてもらわないで生き抜くには、己に対する信頼感を取り戻し、己の感覚を信じるしか他に道はないんです。神や仏の理論は後でついてきます。自分の中に、誰かに答えを聞きたいと願う、安直なアンチョコ本(ゲーム攻本のようなもの)が必要だと思い続けるなら、そりゃ、何も進みませんよ。
自分の人生は自分で切り開くために、私たちが選んだプログラムを、誰かのせいにして、誰かを憎んで、誰かを傷つけて、大事な自分も傷つけて、それでも、乗り越えるには理由があるんですよ。
その理由ですか?言ってみましょうか?簡単にシンプルに。
「魂に、筋力をつける為」ですよ。
何のために、ここに降りたんだと思ってますか?軟弱者で帰りたいんですか?未熟者で、また再度ここに帰ってきますか?リセットして、ブラックアウトになって、しばらく当て所もない暗い中を這いずり回って悩みますか?
だから言ってるじゃないですか。最後は精神力だよって。
それでも、誰かと違う「特別な使命」が欲しければ、旨み成分ありったけで、今すぐプレゼンに行ってください。
私は、今で十分忙しいです。
基本的に、私はメール相談を引き受けません。理由は、答えを皆ブログに書くからです。質問されても、特別なこと以外は、ブログにエントリとして書いて、ご自分で読んでいただいて昇華していただきます。だから、何でも安いんです。だから、ネタが降るんですわね。
そうして、今日も勉強なわけで、明日も勉強なわけで、艱難辛苦の理由など問うている暇がないのが自分自身でございます。だから、私は、精神力の強さに最後の答えを見出そうと考えています。
朋
霊能者と言うものは、案外なってみると、誰にでもなれる者ですが、なった後が大変です。
理由ですか。それは、自分の艱難辛苦の理由を答えてくれる人が「もう誰もいない」事になるからです。好き好んで霊能者になる人はいいでしょう。けれど、私のように無理矢理、霊能者になるしかなかった自分を考えると、若い頃もずいぶん後も、その自分に「理由」がどうしても必要でした。
どうして、こんな声が聴こえるの?誰も聴こえないの?私だけなの?誰か教えて。
どうして、あんなものが見えるの?誰も見えないの?何で?私だけなの?
どうして、ここはこんなに怖いの?
どうして、熱が出ちゃうの?
どうして、こんな病気になったの?どうして?どうして?どうして?
理由がなければ、納得できなかったもの。それが私にとっては「霊能力」と「艱難辛苦」でした。それ以上に創造性が豊かで音楽なども好きでしたが、どうしてか、作る曲がみんな悲壮で(苦笑)。ウケがいいのはやはり、悲壮なものが好きな人や、透明なメロディが好きな人ばかりでした。まぁ、今では作りません。
若い頃はあふれるエネルギー、あふれる疑問を皆音符にぶつけたり、演奏にぶつけました。なもんで、表現力が豊かだと言って好評だったケースは多かったです。今は、楽器は弾きません。バイオリンやフルートや沢山の楽器を所有していますが、やりません。理由は、私は今、声楽に凝っていまして、独自で発声を練習し、独自で、オペラのアリア等を、密かに車で歌っているものですから(笑)。
体を声で鳴らすと響きます。その共振にちょっといい感じを見出しています。ですから、腹筋が妙に鍛えられて、艱難辛苦帰りの割には、おなかがヘッコンで、スリムなんですね。まぁ、体を鳴らすのに慣れると、それが癖でそれでストレスも飛びますのでね。悲しいことがあれば、歌い、嬉しければ歌い。まぁ電車を使えばこんな事は出来ません。故に、車が独壇場です。(笑)
「何故?」って問うのを辞めたのは、余命宣告を受けてからでした。
私が完璧に何でも見えるとは思っていないし、自分が見たものを、違う面から見られる人がいてもいいだろうと、自身がお金を払って「鑑定兼アドバイス」を求めた事もありました。それこそ、ブランド物ショッピングのように、高名な人や、様々な人を訪ね歩きました。
皆さん、それは「神から愛されている証拠ですよ」と答えました。
けれど、どうしてそんな答えで納得できるでしょうか。
こんなに肉体的に痛く厳しく、精神的に大人にならざるを得ないギリギリが、どうして自分は何度でも続くのか。頭を上げても上げても、蹴り倒されて、踏んだり蹴ったりで、医学界のありとあらゆる盲点に陥ってばかりでしたし。若い頃から、投薬ミスも多かったし、医者は夜逃げしたし、中毒で弾薬時に幻覚が見えたこともフラッシュバックを繰り返したこともありました。苦しかった。
まぁ、よくもまぁ、と思うほど、投薬ミスが多い。しかも、入院すれば、禁忌の食べ物がてんこ盛りでね。慌てて看護婦さんに聞いても、看護婦さんも知らない。医者は捉まらない。薬剤師に問い合わせをしてもらって、やっぱり「やばいところ」を抜けたこともありました。この時は、この事を鑑みない医者に腹を立てると言うより、逆に「病院勤務の医者に、ろくすっぽ考える暇を与えない勤務体制のほうが問題だ」と、既に思い始めました。
点滴だって一回で入らないし、土壇場で、何箇所動脈の採血をしようとしても、刺さらず、医者が泣きそうな表情になっているのも何となく分かりました。誰だって、「私の肉体が怖いんだ」とはもう思いました。静脈に入れる点滴ですら、入らずにベテランの医師が泣きそうな表情の中、「病院中の針を使い切った過去があるから、何とか全部無くなる前に入るといいですね」と申し上げたら、「痛いのに何も言わないでくれますね。でも、僕はこれで飯を食っているんです。だから、意地でも入れます。」と頑張った医師もいらっしゃいました。
最近思うのは、私はもしかして、病院の医療体制を建て直す為の患者か?って思う時があります。あらゆるケースを併発して、想定外の合併症や、想定外のリスクがどんどん起きる。その率、打率98%です。もう、段々、逆に恐縮してきました。
医師のミスについて、私は問う気はありません。理由は、同じ救命で働く「身内がいて」、その身内によく話を聞くからです。自分にとっては痛い話です。ですが、個人病院と違って、大病院は、客単価一人当たりの利益が、歩合給として医師に入るわけではない。だから、増えても減っても、文句が言えない。そして、増えた時、増える時期(寒暖差が大きい時)に、徹夜状態になる医師のなんと多いことか。
だから、正直、「感情」では「医療は信用できない」って思う部分がありますよ。これから先は、全部自分で知っておかなければ、何一つ信用できるものなどないとね。でも、そんな「感情」にほだされているのは、ほんの車の中の30分もあれば結構です。主人はもはやこういう問題に、面と向かって立ち向かえません。理由は、彼氏は沢山の会社が今、倒産スレスレで、正社員ですら危ない状態にいて、その会社を沢山現状維持のまま景気を良くしようと、必死に動いているわけで、その前に立ったら、私の事なんか正直私も「二の次」です。
体調が良ければ快く送り出し、帰る時間も電話できなければ、放っておきます。それしか、できません。私は、なるべく彼がいい案を沢山の会社に出して、沢山の会社が、何とか最低限の痛みで立ち直る事を祈っています。でも、私が口出しできるもんじゃありません。それは、彼の仕事ですから。うまくいかなくて、八つ当たりしてもしなくても、甘んじて受け入れるしかございません。ある意味で言えば、私はそういう感情を「切り捨てる」事さえします。
私の事を正直に話せる人はもう、残念ながらいません。その感覚を感情を込めて伝える相手は、私にはもう誰一人としていません。母が聞いて号泣した時、私は「兄の立場」と「患者である私の立場」「叔父の立場」に挟まれた彼女を本当に気の毒だと思うからです。だから、この先も、淡々と語ってしまうでしょう。もう感情がないみたいに他人事のように語ってしまうでしょう。そして、理由なんか求めないでしょう。
だって、起きている事実の原因を知ったって、もう予防なんか出来ない立場な訳ですから。せめて自分に出来るのは、五感を働かして、体の中の具合を冷静に客観的に見ていくしか出来ません。風呂だって入れない日もあるし、登山などの激しいものはもう出来ないと宣告もされました。それを今更、「どうして?」って医者に食って掛っても、
目の前の事実は何一つ変わらない
のです。
それでも、あなた方は、守護霊やガイドに聞きたいでしょう。何でも分からなかったら、聞きたいでしょう。それを安易な道だと申し上げるのは、艱難辛苦マラソンの最終区間に最初に発生するのは、「もう二度と誰も答えてくれないし、誰の答えでも正しくないと気づく」イベントなのです。
私が完璧な霊能者だとは私も思いません。私以上の方は沢山いると私は思います。ネームバリューがあろうと、雑誌に載った霊能者にカウンセリングをして貰って、家を乗っ取られそうになった家族のケースが先日テレビに出ましたね。雑誌に載せるのは、金さえ払えば、載るんですよ。広告だって、金を払えば打てるんです。で、マスコミに取り上げられたい人は、売り込みに行って、自分がいかに「マスコミにとって旨みがあるか」どうかをプレゼンして、成功すれば、いいんですよ。それを、しに行く事が悪い事かどうかなんて、分かりませんよ。ただ、ネームバリューは金で買える。そしてそれ以上の名誉は、金と霊能者に群がるハイエナに対する旨み成分で決定します。
私は無名でいいんですよ。ってか、無名でなきゃ困るんですよ。扶養家族も外れたくないし、ついでに、霊能者で飯は食いたくないし、家族を守るために、無名で結構です。私自身にはもう失うものなんか、何一つないんですよ。最後まで残っていた「悔しい」という感情すら、車を降りた瞬間に、捨てられるんですから。家のドアを開ける前に、無くなっちゃうんですから。
で、それでもあなたは、有名な人に鑑定してもらって、有名な人に答えを聞きたいんでしょう。それは止めませんよ。行きたければ行けばいいんです。それがあなたの経験です。何万費やそうと、それで心が満足するのなら、行きたいときに行けばいいんです。広告を打つ人は、そういう為に、開いているんですから。ボランティアじゃないんですから、容赦ない額ですけれど。何回も足を運べば、海外旅行に行ったほうがましだった金額にもなりますわね。でも、それも経験です。何でも経験です。
ただ、霊能者がどうしてろくでもない死に方をするのかと言えば、最後に「誰にも聞けない状態」になった時、人は「何を信じたらいいのか」心に問うんですよ。それが、神であったり、仏であったり、「金」であったりするんです。そして、マザーテレサでさえ、晩年に、「神はいない」と嘆き暮らし絶望して亡くなっていくんです。凡人の私なんか、ましてや、いわんやおや、でございます。
だから最後は精神力なんですよ。神にも答えてもらわないで生き抜くには、己に対する信頼感を取り戻し、己の感覚を信じるしか他に道はないんです。神や仏の理論は後でついてきます。自分の中に、誰かに答えを聞きたいと願う、安直なアンチョコ本(ゲーム攻本のようなもの)が必要だと思い続けるなら、そりゃ、何も進みませんよ。
自分の人生は自分で切り開くために、私たちが選んだプログラムを、誰かのせいにして、誰かを憎んで、誰かを傷つけて、大事な自分も傷つけて、それでも、乗り越えるには理由があるんですよ。
その理由ですか?言ってみましょうか?簡単にシンプルに。
「魂に、筋力をつける為」ですよ。
何のために、ここに降りたんだと思ってますか?軟弱者で帰りたいんですか?未熟者で、また再度ここに帰ってきますか?リセットして、ブラックアウトになって、しばらく当て所もない暗い中を這いずり回って悩みますか?
だから言ってるじゃないですか。最後は精神力だよって。
それでも、誰かと違う「特別な使命」が欲しければ、旨み成分ありったけで、今すぐプレゼンに行ってください。
私は、今で十分忙しいです。
基本的に、私はメール相談を引き受けません。理由は、答えを皆ブログに書くからです。質問されても、特別なこと以外は、ブログにエントリとして書いて、ご自分で読んでいただいて昇華していただきます。だから、何でも安いんです。だから、ネタが降るんですわね。
そうして、今日も勉強なわけで、明日も勉強なわけで、艱難辛苦の理由など問うている暇がないのが自分自身でございます。だから、私は、精神力の強さに最後の答えを見出そうと考えています。
朋
私は本当の意味で甘える事が出来るのは、親にだけなのではなかろうかと思う事があります。
私は夫からは子に甘いと言われます。
いつか私がいなくなった時、誰かを母親がわりに求めなくて済むように、今のうちに甘えさせておこうと考えています。
必要なくなったら自分から飛び出して行くと信じてますし。
神はいないんです。
だって、あなたが神になってしまったんですから…マザーテレサに会えたらそう伝えたいです。
マザーテレサさんに失礼ですよ。「神」だなんて申し上げたら。あの方は謙虚に謙虚に生きられて、滅私で生き抜きましたが、世の中から無くならない貧しさや戦争をなくす力がない自分を嘆かれたんだと私は思います。
本当は誰だって神にさえもそんな力はございません。
ただ、ただ、いつも思うのは、あなたは本当に大人ですね。いつも良くご自分を知っていらっしゃる。それを私は尊敬いたします。
コメントありがとうございます。
マザーテレサがそういう事を言ったとは知らなかったですが、私でさえあの方ほどの使命は抱えてなくて、自分の範囲で生きてても「神はいないんだ」ってひれ伏して涙も出なかった時がありましたから、もっと深い思いからのお言葉なんでしょうね。
いつかお会いしてみたいなぁと思います。
マザーテレサさんはもう既に、三途の川を渡られた方なので、サエコさまが一生懸命人生を全うされたときには、きっとお会いできると存じます。
ですが、あの方だから、既に次の艱難辛苦のたっぷり入ったプログラムを組んで転生されるかもしれませんね。
さまざまな方がいて、私は本当に自分は凡人だと思います。最近やっと、「人間になったかな?」って思えています。今までは、モロ「人間失格だとこの霊能力で劣等感を覚えていましたから。それが自分でサバイバルコードだと分かってからは、安心しました。そうだ、誰も皆おなじなんだって思えて、うきうきしたのを覚えています。
ありがとうございます。