「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

偏に風の前の塵に同じ

2008年08月11日 22時41分51秒 | 銀の風(霊能力・霊視・念力・霊聴・透視)
こんばんは。

お盆が近いですね。悲しくなりますね。




ビルが見える教室で ふたりは机 並べて  同じ月日を過ごした
少しの英語とバスケット そして  私はあなたと恋を覚えた
卒業しても私を 子供扱いしたよね  「遠くへ行くなよ」と
半分笑って 半分真顔で 抱き寄せた  低い雲を広げた 冬の夜

あなた 夢のように 死んでしまったの

今年も海へ行くって いっぱい映画も観るって
約束したじゃない あなた約束したじゃない   会いたい

波打ち際 すすんでは 不意にあきらめて戻る  海辺をただ一人
怒りたいのか 泣きたいのか わからずに歩いてる 声をかける人を つい見つめる
彼があなただったら あなただったら

強がる肩をつかんで バカだなって叱って
優しくkissをして 嘘だよって抱きしめていて

会いたい

遠くへ行くなと言って お願い独りにしないで
強く抱きしめて 私のそばで生きていて

今年も海へ行くって いっぱい映画も観るって
約束したじゃない あなた 約束したじゃない
会いたい



私はここにまだあまり詳しく書いていませんが、沢山の友人を亡くしています。バイクのツーリングというものに始めて参加した日、2番手を走ったあの人が、いきなり一番手のリーダーを追い越し、その瞬間、リーダーは避けようとして車線をはみ出し、まさかの対向車に轢かれたのです。その時最後尾は奥様であった方でした。轢かれたことより、一生懸命、その轢かれて飛ばされた現場にないパーツを探されてばかりいて、死んだという事実を見ようとしないその姿勢に、あまりに涙が出て、私も誰もかも言葉を失いました。

私の友人は私の目の前で空に飛びました。あまりの衝撃で私は心を閉ざしてしまいました。

私の好きだった人は、まさかの事故で亡くなりました。好きでした。そんな簡単にいなくなるもんだという事が理解できませんでした。軽く、「疲れたから寝るよ」その一言で二度と目を覚ましませんでした。その時、私も眠って後を追いたいとばかり思っていました。

友人の妹は、何年も病院に入って亡くなりました。その呼吸器を止めないでくれとすがる友人。妹さんと友人は、お父さんつながりの兄妹でした。お互い、母を早くに亡くし、一生懸命手を取り合って生きていました。「一人にしないでくれ」と、医師にすがって、妹さんにすがって泣き叫ぶ友人に、私ができたことなんて、何もありませんでした。

大きな道でバイクで走っていて、私は特に何もいじっていませんでしたし友人もそうでした。しかし、何と言うこと・・・その道に仕掛けられていた 「ヤンキー避け」 にそのまま引っかかった事実はもう私を二度と、自動二輪の免許を更新もしないし、原チャリで免許停止になったとき、自動二輪をはずしてもらうほどの衝撃でした。詳しくは書きませんが、当時、ひどいことを道に仕掛けた人がいました。私は必殺仕事人が大嫌いです。テレビが大嫌いです。

祖父を見送りました。なんということか、その日に限って、電話の音をOFFにした私。2時間昼寝して留守電に入っていた「祖父危篤、6時発のあずさで行くから支度をしろ」という母の声。間に合いませんでした。私は、それから、電話の音声を切ることがしばらく出来ませんでした。あの時、電話の音声をOFFにしなかったら、6時の電車には乗れたのに。

祖母を見送ったとき、あまりに長すぎる渋滞にうんざりしていました。父を乗せ、中央道の渋滞で、着いたときの祖母はもう、湯灌が終わって、身支度をしていました。せめて脚絆をはかせ、わらじをしっかりと付け、歩けるように準備をしました。私は、祖父の時も祖母の時も父の時も、間に合わぬ自分のふがいなさの後悔の念で泣き崩れていました。

叔父は突然でした。明日、ワシントンに出張に行く私の会社に電話があり、私は出張をやめようと思いました。しかし、母が言いました。「しっかり仕事をして、叔父さんに見てもらうのよ。」ホテルのロビーで、2台背負ってきたノートパソコンのうちの一台を、動揺していて置いて忘れました。しかし、何と言うことか、届けてくれる人がいました。

亡父は、産後貧血で動けない私が一番会いにいけない人でした。危篤と電話をもらう前、みんなに挨拶していたようでした。「一言が聞きたかった・・・」けれど、私はその後の亡父に沢山助けてもらいました。

愛猫ドンが逝きました。ごめんなさい。これはまだ自分の中で納得できなくて・・何も書けません。すみません。お骨を見に行くのも涙があふれて震えがきて車にも乗れません。馬鹿な私です。

私の友人で亡くなった方で書けるのはまだこれくらいです。私の高校は制服はあったのですが、公の行事と葬式以外は着ないという不文律がありました。そして、私は非常によく制服を着る機会がありまして、着ている度に友人に「今日も葬式なの?」と聞かれ、うなずくのが精一杯でした。いつのまにか、「死神」というあだ名も頂戴しました。
私の手帳には、もう黒線でばつ印の人が多くて、それ以来アドレス帳を作るのをやめました。本当に一番先に逝きたかったのは自分でした。幼稚園の頃からそう思い、そして随分遅くなりました。

私はまだ見送る人がいるお役目なんでしょうね。最後の最後まで沢山の知り合いのここにもいらっしゃる皆さんを見送ってから、急いで黄泉路を自慢のダッシュで追いつくのも悪くはないかなとは思います。

お盆です。生きる人がいて、亡くなる人もいます。
それが運命だったとして、残されたものへのメッセージの意味もあって早世する人もいますが、そうでない場合もあります。さっきまで元気だったのに・・どうして、どうして。
お盆は私が一番、一年でつらい日かもしれません。

でも、私は亡くなった人の声をこの時期に合えて聞きません。
それが、生き死にの別離の当たり前の情景だと思うからです。

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず

ただ春の世の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

偏に風の前の塵に同じ




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