こんにちは。
基本的に、女神と言う存在は、「右頬打たれれば、左頬も出せ」という、そういう思考の至高の存在です。ですので、私自身、普段、やられっぱなしです。激高したとしても、やり返したら最後、彼女たちは私を見捨てるでしょうし、まぁ、どこまでやられっぱなしがいいかと思う事もありますが、ある程度、10が我慢の限界とすると、15あたりで、サポートをしてくれます。
自分としても、やはり、人を無闇に手助けするつもりもないです。好きで今あるべき悩みと戦っているんでしょうし、やるべき事を自分で決められない人に育て上げるつもりもありません。故に、女神と同じく、「出来るまで、じぶんでやれ」派です。
けれど、理由なき暴力をその身に受ける人の悲哀や、嘆きというのは知っています。現時点でも、自分がそういう事に悩みつつあるからこそ、人の痛みは分かるつもりです。痛みをどう自分で昇華していくか、それが出来るようになった時、今ある痛みより辛い痛みに立ち向かう事も出来ます。
その昇華ですが、実際に私は人にあまり、「視たこと」を語りません。自分で慎重にチェスの駒を進めていくタイプなので、ちゃんと符号が合わなければ、語らないです。けれど、時々、本当に理不尽さを一気に身に受けている人を、リアルで見た時は、こう思います。
「前略 ご免下さいませ。あなたの荷物 少々私出来る範囲で軽くいたします。」
ただ、これも、女神と基準は同じで、理不尽さが本人の精神を破壊してるから助けるという事はあまりしないです。その程度の理不尽さで、精神が破壊されるのは、それはそれで、まずご自身の弱い精神を鍛える方が先で、無闇に助けても仕方がないと思っています。私に会ってご利益をと思う人以上に、弱い精神力の人を助ける意味は無いと自分では思っています。甘えると言う事が当たり前の人を、助けるつもりはないです。助けてもらって当たり前、世の中には沢山おりますけれど、私自身、そういう人の完全なる救い手である味方ではないです。
私は窮地窮地を、自分ひとりで悩んで、精神的に行き詰っていた時、誰の助けもありませんでした。リストカットをしたり、自殺を考えていた時には、誰も助けてはくれませんでした。逆に「自分に酔っている」とまで言われたほどです。ですが、今度は、死ぬどころか、余命を前にして、足掻きもがき、毎日が冷や冷やする中で、自分が自分を律していくしか他に生き延びる道はありませんでした。
それ故、ここまで精神力が鍛えられたわけで、ここまで集中力が物凄いわけですが、却ってよかったと思っています。
私は主に、霊能者の看板は、生きている人より死んでいる人に掲げてあります。行き先を迷って悩む霊に、「前略ごめんくださいませ」と光の柱を立てたり、そういう事をいたします。南無三って掛け声が、ホーリーバイブルでのブッダの気合なら、私は、「前略 ご免下さいませ」が掛け声です(苦笑)。
自分で片付けられるモノに関しては、自身で悪戦苦闘する事が一番です。近道や抜け道と称して、アンチョコを手に入れたがる人は多いのですが、今度は攻略本が無いと何一つ前に進めない人間となります。現代の親は、子供の家来のように、尽くしますけれど、子供が自立できないのは、どうしてなんでしょうか。
そして、子供が自立したあと、親が自立できないのは、霊能者に頼れば何とかなるとでも思いますか。自分で立ちあがるには、沢山の知識も教養も必要です。愚痴だけ垂れている人に、アガペーなどあり得ません。
奇跡ってのは、それでも日常を一生懸命生きて来て、そしてその上で、思いもかけずのご利益だからこそ、有難いのではないでしょうか。
「女神や神のアガペー、元々プライスレス」です。
金を払っただけでは手に入らないモノがあります。そしてそれはどう手に入れるかと申しますと、ひたすら己で考え、己で失敗した点はきちんと次に生かし、そして進んで行く人に与えられるものです。
人の粗を探し、途中で何でもすぐ飽きて放り出し、努力もしないのに、思うようにいかないと駄々をこねて怒りだし、泣いて見せて、裏表を使い尽くして、人を陥れる等、元々他の人と調和が取れないような人間関係の中にいる人には、分からないモノです。そうなると、アガペーは手に入らないので、それを見たいが為に、キャッシュで払うと、高くなるのが、実際です。
まぁ、私も攻略本が無いので、自分はこの先どうなのよと思う事がありますが、それでも、見失わず進む事だけ一生懸命にやってきました。私は、出来る事しかできません。大仰な事を申すだけの、ビッグトークでもございません。自分の目の前にある、厳格な事実を真っ向から受け止め、そしてその痛みを昇華してきただけの人間です。
神のアガペーに値する人間になると言うのは、相当な精進が必要だと私は考えます。故に、雨にも負けず、風にも負けずでございますわね。随分、辛い道ですが、ご一緒に参りましょうか。
朋
基本的に、女神と言う存在は、「右頬打たれれば、左頬も出せ」という、そういう思考の至高の存在です。ですので、私自身、普段、やられっぱなしです。激高したとしても、やり返したら最後、彼女たちは私を見捨てるでしょうし、まぁ、どこまでやられっぱなしがいいかと思う事もありますが、ある程度、10が我慢の限界とすると、15あたりで、サポートをしてくれます。
自分としても、やはり、人を無闇に手助けするつもりもないです。好きで今あるべき悩みと戦っているんでしょうし、やるべき事を自分で決められない人に育て上げるつもりもありません。故に、女神と同じく、「出来るまで、じぶんでやれ」派です。
けれど、理由なき暴力をその身に受ける人の悲哀や、嘆きというのは知っています。現時点でも、自分がそういう事に悩みつつあるからこそ、人の痛みは分かるつもりです。痛みをどう自分で昇華していくか、それが出来るようになった時、今ある痛みより辛い痛みに立ち向かう事も出来ます。
その昇華ですが、実際に私は人にあまり、「視たこと」を語りません。自分で慎重にチェスの駒を進めていくタイプなので、ちゃんと符号が合わなければ、語らないです。けれど、時々、本当に理不尽さを一気に身に受けている人を、リアルで見た時は、こう思います。
「前略 ご免下さいませ。あなたの荷物 少々私出来る範囲で軽くいたします。」
ただ、これも、女神と基準は同じで、理不尽さが本人の精神を破壊してるから助けるという事はあまりしないです。その程度の理不尽さで、精神が破壊されるのは、それはそれで、まずご自身の弱い精神を鍛える方が先で、無闇に助けても仕方がないと思っています。私に会ってご利益をと思う人以上に、弱い精神力の人を助ける意味は無いと自分では思っています。甘えると言う事が当たり前の人を、助けるつもりはないです。助けてもらって当たり前、世の中には沢山おりますけれど、私自身、そういう人の完全なる救い手である味方ではないです。
私は窮地窮地を、自分ひとりで悩んで、精神的に行き詰っていた時、誰の助けもありませんでした。リストカットをしたり、自殺を考えていた時には、誰も助けてはくれませんでした。逆に「自分に酔っている」とまで言われたほどです。ですが、今度は、死ぬどころか、余命を前にして、足掻きもがき、毎日が冷や冷やする中で、自分が自分を律していくしか他に生き延びる道はありませんでした。
それ故、ここまで精神力が鍛えられたわけで、ここまで集中力が物凄いわけですが、却ってよかったと思っています。
私は主に、霊能者の看板は、生きている人より死んでいる人に掲げてあります。行き先を迷って悩む霊に、「前略ごめんくださいませ」と光の柱を立てたり、そういう事をいたします。南無三って掛け声が、ホーリーバイブルでのブッダの気合なら、私は、「前略 ご免下さいませ」が掛け声です(苦笑)。
自分で片付けられるモノに関しては、自身で悪戦苦闘する事が一番です。近道や抜け道と称して、アンチョコを手に入れたがる人は多いのですが、今度は攻略本が無いと何一つ前に進めない人間となります。現代の親は、子供の家来のように、尽くしますけれど、子供が自立できないのは、どうしてなんでしょうか。
そして、子供が自立したあと、親が自立できないのは、霊能者に頼れば何とかなるとでも思いますか。自分で立ちあがるには、沢山の知識も教養も必要です。愚痴だけ垂れている人に、アガペーなどあり得ません。
奇跡ってのは、それでも日常を一生懸命生きて来て、そしてその上で、思いもかけずのご利益だからこそ、有難いのではないでしょうか。
「女神や神のアガペー、元々プライスレス」です。
金を払っただけでは手に入らないモノがあります。そしてそれはどう手に入れるかと申しますと、ひたすら己で考え、己で失敗した点はきちんと次に生かし、そして進んで行く人に与えられるものです。
人の粗を探し、途中で何でもすぐ飽きて放り出し、努力もしないのに、思うようにいかないと駄々をこねて怒りだし、泣いて見せて、裏表を使い尽くして、人を陥れる等、元々他の人と調和が取れないような人間関係の中にいる人には、分からないモノです。そうなると、アガペーは手に入らないので、それを見たいが為に、キャッシュで払うと、高くなるのが、実際です。
まぁ、私も攻略本が無いので、自分はこの先どうなのよと思う事がありますが、それでも、見失わず進む事だけ一生懸命にやってきました。私は、出来る事しかできません。大仰な事を申すだけの、ビッグトークでもございません。自分の目の前にある、厳格な事実を真っ向から受け止め、そしてその痛みを昇華してきただけの人間です。
神のアガペーに値する人間になると言うのは、相当な精進が必要だと私は考えます。故に、雨にも負けず、風にも負けずでございますわね。随分、辛い道ですが、ご一緒に参りましょうか。
朋