火宅の人 | |
誰だって、火宅の中にいる。 居ないと安心するのは、見えないからだ。それが、幸せだと思うか、どうかは、その火宅の修羅場さに寄るのだろう。 |
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D.O.P.E (Drop out project entertainment) |
こんばんは。
どうしても、上手く行かない人間関係に疲弊した人がいた。
たまたま、そこへクラフトマンが来て、面白いものを持って来た。石は石だが、本来、わたしも、その人も好きな石じゃない。
でも、なんとなく、その人は気に入ったようだった。
贈ると効果があると聞く。
だから、それを仕立てて贈った。何かになればと思った。
確かに効力はあったようだ。ただ、わたしには、それを受け取る代わりに、失うであろう何かが見える気がした。
見えてて、何故贈るのか。
それは、結局、それを着けるか着けないかは、本人の意思次第なのだと思う。呪術ジュエリーとは、意思を強化するツールにしか過ぎないのだから。
どんな呪術ジュエリーでも、着ければ、得るモノと失うものがあると、わたしは、今でも思う。
決して、得続けるわけではないのが、世の中の常じゃないか。
失うものが見えたとして、先に言う必要はないと思う。理由は簡単だ。
人は得る時、傲慢になり、失うものを失うつもりがない状態に持って行く。そうなると、もっと別なところで、対価を支払うこととなる。
術者の命が代償なだけじゃなくて、身につけた人間の命で贖われることもあるのだ。
でも、身につけた人間の用心深さがあれば、周囲に良くないことが起きるだろう。
水面に、竿を刺せば、波紋が起きる。波紋は、刺し方の強弱に応じて、波を作る。
波を防ぐ方法はない。竿を刺した時に、もう覚悟するのなら、どこに出ても不思議じゃないことが始まるのだ。
完全などない世の中で暮らすのだから、強弱が強ければ、それだけ差し障りが出るのだ。
その人は、相変わらず、人間関係を泳ぎ続ける。
失うものは、あっという間だった。本人は気が付かないのだろうか?知っていて、言わないだけなのだろうか?
聞けない疑問だけが募る。
わたしも、自分に作った呪術ジュエリーの思惑にはまって、自分の場所が、また、変わることとなった。心がついて行かない。
変わらぬものがあるとしたら、自分自身じゃない。自分は確かに変わってしまった。
それでも、変わらぬものがあるとしたら、それは、人の信頼を裏切らないで居続ける「姿勢」と言うことなのだと思う。
それで、わたしは、バランスを取り続ける。
呪術ジュエリーに使われ続けないように、逆に自分が振り回されないように、「誠実さ」と言う姿勢だけは、変わらないでいたいと思う。
朋