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こんにちは。
警鐘ブログ系と言われる事があって、ちょっと思った事がある。実は、こういうやり方を真似ようと思って手ひどい事になる人もいると思う。恐らく、知識の見方が、偏っているからだと思うし、ソースの引っ張りどころが、安心できるものではないからだと思う。元々、完全に理解できていないからだとも、思う。
私も見てくれりゃ分かると思うが、知識の整理に4年もかかった(苦笑)。最近、家の関係では、前線に立たされていますが、ふつー、奥さん前線に立つもんなんですかね。ちょっと、私の場合、最前線に送られていますが、何か?。
ところで、理系の論文は、それを読んで行えば、誰にでも同じ事が再現できる事を目標として書く。故に、手段と結果は、誰がやっても同じ事が出てくるはずであるを仮説として立てる。
けれど、実は、元々論文と言うのは、仮説がそもそもありきなんですよ。そもそも、A=B B=C だからC=Aになるという命式が、B=C の時に、Bが「こういう条件であった場合のみ」という条件が付けられると、完全にC=Aにはならないんですね。んで、仮説ってのは、元々、C=Aであるって事を壊す方法に向けて、動く訳で、科学者はそういう考えしてるんですよ。
一生涯、解けない仮説に取り組む人の方が多いですが。一見無意味にみえる命題を解くのが好きな人もいます。
まぁ、もっとも、父もそうですが、金になりそうな仮説と、自分の本来やりたい仮説は違う訳です。ですから、父も随分、応用物理学会に投稿をしていたんですが、基本、彼の本当にやりたかったものは、彼、自腹でやっていました。ほんと、暇潰し的存在で。で、父が1972年に、ある方法を考え出すんですね。ひらめいたんだと思うんですが。誰もおよそ考えもしない事を、考えた。んで、やって論文を出した。恐ろしく方法が面倒だったために、誰一人目を向けなかった。
けれど、時が変わり、1990年代に、ある化学者が、全く違う方法で、その仮説を証明するんですよ。いやー、仮説を立てて解きほぐしたのは父だったんで、特許の権利は彼にあった。けれど、彼は言うんですね。「僕はそんな大それたことを考えてした訳じゃないんです。けれど証明されて良かったですよ」と。父が科学者として凄いなと思ったのは、この仮説の証明に生きがいを感じていたところ。父として、あり得ないと思った所は、その証明さえできれば、貧乏でも已む無しと考えちゃって、特許権利をひとさまに譲り続けた事。おかげで、娘は、働かざる者食うべからずで、貧乏生活に置いて成長しました(涙)。
で、私も、一時期は結構誰にでも出来るお祓いとか、そういう事を考えてきたけれど、どんどんマニアックな方面に自分が走ってしまうのね。で、自分でも思うんですよ。100人中100人が読んで出来る事はない。すなわち、B=Cが完全でない限り、仮説は成り立たないと。自分の立てたい仮説とは何かと。
ちゃんと考えないと。なんか最近、ブログの殆どが左脳に移行した為に、もう自分の中で「終わった感」がスゲー強いんですが(苦笑)。
警鐘を鳴らしたり、方法論を考えて行くブログの人にはよく気をつけてほしい。ほんと知らない知識があるし、その「点」と、他で得た「点」が結び付いて線となる。だから、その点の先を、「この辺にあって欲しいなと思った点」と結びつけてはいけません。この辺にあって欲しいなと思うのは、あなたの先入観かもしれない。間違った解釈かもしれない。けれど、必ず、どこか先の方に、あなたが結び付けて成せる点があるはずだし、インプットを欠かさずにいて欲しいと思う。そして、疑問は即解消できないまま、自分の中に溜めておいてください。
ちなみに、私ですが、今は、ほんと、大学で勉強する、法律系統のやんごとない言いまわし方に、辟易しています。現在、消費者法などを持ち出す事に関して、自分の中で長い事、点として放置してきた事が、繋がりだしたんだと思う。けれど、ソースは確固たるところからの方がいい。それは、XX博士とかXX大学とかでもダメ。XX大学の教授たちは、お金が入る研究だと、すぐ時代に乗って違う事言い始めるから。現在の法的秩序を守るお国ソースが一番。
とか言いながら、お国ソース自体が時々、腐ったにおいを放つのは、やっぱ初夏だからかな。今は食品衛生法に則って、お国ソースを使ってください。梅雨に入ったら、もっとまずいですから、冷蔵庫で保管をお願いします。
朋
警鐘ブログ系と言われる事があって、ちょっと思った事がある。実は、こういうやり方を真似ようと思って手ひどい事になる人もいると思う。恐らく、知識の見方が、偏っているからだと思うし、ソースの引っ張りどころが、安心できるものではないからだと思う。元々、完全に理解できていないからだとも、思う。
私も見てくれりゃ分かると思うが、知識の整理に4年もかかった(苦笑)。最近、家の関係では、前線に立たされていますが、ふつー、奥さん前線に立つもんなんですかね。ちょっと、私の場合、最前線に送られていますが、何か?。
ところで、理系の論文は、それを読んで行えば、誰にでも同じ事が再現できる事を目標として書く。故に、手段と結果は、誰がやっても同じ事が出てくるはずであるを仮説として立てる。
けれど、実は、元々論文と言うのは、仮説がそもそもありきなんですよ。そもそも、A=B B=C だからC=Aになるという命式が、B=C の時に、Bが「こういう条件であった場合のみ」という条件が付けられると、完全にC=Aにはならないんですね。んで、仮説ってのは、元々、C=Aであるって事を壊す方法に向けて、動く訳で、科学者はそういう考えしてるんですよ。
一生涯、解けない仮説に取り組む人の方が多いですが。一見無意味にみえる命題を解くのが好きな人もいます。
まぁ、もっとも、父もそうですが、金になりそうな仮説と、自分の本来やりたい仮説は違う訳です。ですから、父も随分、応用物理学会に投稿をしていたんですが、基本、彼の本当にやりたかったものは、彼、自腹でやっていました。ほんと、暇潰し的存在で。で、父が1972年に、ある方法を考え出すんですね。ひらめいたんだと思うんですが。誰もおよそ考えもしない事を、考えた。んで、やって論文を出した。恐ろしく方法が面倒だったために、誰一人目を向けなかった。
けれど、時が変わり、1990年代に、ある化学者が、全く違う方法で、その仮説を証明するんですよ。いやー、仮説を立てて解きほぐしたのは父だったんで、特許の権利は彼にあった。けれど、彼は言うんですね。「僕はそんな大それたことを考えてした訳じゃないんです。けれど証明されて良かったですよ」と。父が科学者として凄いなと思ったのは、この仮説の証明に生きがいを感じていたところ。父として、あり得ないと思った所は、その証明さえできれば、貧乏でも已む無しと考えちゃって、特許権利をひとさまに譲り続けた事。おかげで、娘は、働かざる者食うべからずで、貧乏生活に置いて成長しました(涙)。
で、私も、一時期は結構誰にでも出来るお祓いとか、そういう事を考えてきたけれど、どんどんマニアックな方面に自分が走ってしまうのね。で、自分でも思うんですよ。100人中100人が読んで出来る事はない。すなわち、B=Cが完全でない限り、仮説は成り立たないと。自分の立てたい仮説とは何かと。
ちゃんと考えないと。なんか最近、ブログの殆どが左脳に移行した為に、もう自分の中で「終わった感」がスゲー強いんですが(苦笑)。
警鐘を鳴らしたり、方法論を考えて行くブログの人にはよく気をつけてほしい。ほんと知らない知識があるし、その「点」と、他で得た「点」が結び付いて線となる。だから、その点の先を、「この辺にあって欲しいなと思った点」と結びつけてはいけません。この辺にあって欲しいなと思うのは、あなたの先入観かもしれない。間違った解釈かもしれない。けれど、必ず、どこか先の方に、あなたが結び付けて成せる点があるはずだし、インプットを欠かさずにいて欲しいと思う。そして、疑問は即解消できないまま、自分の中に溜めておいてください。
ちなみに、私ですが、今は、ほんと、大学で勉強する、法律系統のやんごとない言いまわし方に、辟易しています。現在、消費者法などを持ち出す事に関して、自分の中で長い事、点として放置してきた事が、繋がりだしたんだと思う。けれど、ソースは確固たるところからの方がいい。それは、XX博士とかXX大学とかでもダメ。XX大学の教授たちは、お金が入る研究だと、すぐ時代に乗って違う事言い始めるから。現在の法的秩序を守るお国ソースが一番。
とか言いながら、お国ソース自体が時々、腐ったにおいを放つのは、やっぱ初夏だからかな。今は食品衛生法に則って、お国ソースを使ってください。梅雨に入ったら、もっとまずいですから、冷蔵庫で保管をお願いします。
朋