こんにちは。
まさに、今経済が崩壊を始めている。
会社は、自社を生き残らせるために、「派遣社員は3年雇ったら正社員に」という法律をかいくぐる為に、まず派遣社員を切り捨て始めた。残った正社員は、派遣社員につばを吐いて送り出すが、じゃぁ、あんたはいつまでその机に座っていられるんだい?と聞いたら、多分真っ青な顔で、その晩から恐慌に陥るだろう。
派遣社員という選択を取って現在働く家庭を支えるお父さんがどうして派遣という形態を取ったのか分からないが、派遣は元々リスクがある分、割と優遇な措置もあったはず。私も解雇されるというリスクの中で、一生懸命覚えることを覚えた。結果的に私は派遣を飛び出して、正社員に、そして正社員も有名な企業に、そしてその企業で役職につきたいという、過剰な上昇志向の結果、私はその望みを果たした。しかし、私が背負った守秘義務は重すぎ、私を支える屋台骨はもろく折れた。
けれど、一生食いっぱぐれない自信はある。スピリチュアルは正直お金を稼ぐ場所ではない。だからもし、主人が何かあったとしたら、心理カウンセラーとして外に出るだけの準備は整えてある。これには霊感や守護霊は全く関係ないし。
けれど、崩壊した経済は、沢山の会社や大学や個人等、資産投資して小泉マジックで旨みを吸った全ての人に大きなしっぺ返しを食らわせた。しかし、不勉強な株投資であれば、正直仕方がないし、この先の経済が予測できる人と言うのは、クォンツアナリストですら、分からないだろう。
私は数字にめっぽう強いし分析していくのが好きである。けれど、この日本経済が破綻していくのは、最初から先細りになってしまった働く人口の減少から来る。反対に働かない人が長生きをする。医学が進めば、それだけ働かない人は多くなり、働く世代に給付金が十分になければ、働く世代は子供を育てることさえ出来ない。だから、生まない。それでも、保育園はどこも過密都市は満員である。欧米では、大概、かなり裕福であっても実は奥さんが働いていたり、かなりな企業のマネージャーだったりするものである。だから、その受け入れ態勢もそしてシッターの取り合いも凄いものである。
事実、私が二番目を産むために助けていただいたシッターは、タイムズの副編集長のお気に入りのシッターだった。彼女は郵便局や街のベーカリーショップに張り出した英語の募集要項を見て家に申し込んだ。家は歓迎だった。彼女は、本当に良心的に子供に接し、その送迎も、泣きながら出かける世代であった息子ですら、音楽が流れ、英語で一緒に歌い、楽しかったらしい。
私たちは、その後、丁寧な紹介文を彼女に持たせた。彼女はあっという間に、息子Aの学校の保護者の中で有名だったために申込者が殺到した。中々予約が取れないと、米国からメールで嘆きに来たお母さんがいたくらいだったし、その後の彼女の働きぶりは、PTAのメールを通じて聞いていた。凄く評判がよく、「あのジャパニーズはよくあんな立派なシッターを見つけたもんだ」と話題になった。
無論、そんな小さな子を抱えても、お母さんは有名金融会社だったり、有名商社のマネージャーでいつも忙しかった。日本のような専業主婦ではなかった。シッターが雇えない場合は、お姑さんが送り迎えをした。しかし、米国では眉をひそめる人が多かった。大体、暇なお姑さんがいないのが、東海岸だったからだ。
皆、子供を生んでも、子供にも最高の教育を施し、いつもの公園で学校が休みのある曜日などはよく出会った。皆の話題は、いいシッターといい学校であった。私は帰国が分かっていたから特に何も言わなかったけれど、察するにその学校の友人たちは将来のIVYリーグへ入学する候補生であり、IVYリーグに入るのが当たり前の母か、他国から嫁いできたイタリア人等は、オーソドックスにケンブリッジ等に入っていて、それが当たり前だと思っていた。
今考えると、凄まじい海外の受験教育の中にいたんだろうとは思う。学校のカリキュラムは、30分単位で、運動スキルから、製作から、語学(スペイン語とイタリア語と英語と日本語をそこで教えていた)から、日常のマナーから、一流の学校から音楽の教師を呼び、リトミックを仕込んでいた。
その帰り、お母さんは午前中で会社を終えると、子供をスイミングに連れて行く。そして異様に子供の数が多いのである。
私の今住む地域も、子供の数が多いのが、裕福さのバロメーターになる。多い子供に最適な学習環境を整えるのには相当なお金がかかる。公立を海外ではパブリックスクールと呼ぶが、いい地区はパブリックスクールでも十分IVYリーグに向かってまい進する。まい進しすぎて実は、毎年高校生が受験に失敗して、首をつる。浪人と言う考えはない。SATに向けて猛烈にまい進し、課外活動としてボランティアをしてそのボランティアでも大学に入る評価が出る。必ず、金賞を狙い、そして猛烈な日本以上の加熱が実はある。その代わり、いい学区と悪い学区は、完璧に格差が出る。隣り合わせだが、通りの右は、最高な学区、通りの左は最低学区という住み分けが実は出来ている。
格差社会の子供は上位に立とうと思っても簡単に成功などしない。それはスタートラインも違うし、日本のようにまだまだ資本主義でありながら社会主義的なところを持っているのとは違う。本当に格差がある下流の学校では、子供は既に学校で麻薬をやっていて授業になんかならないし、ふとした拍子に入った子供が染まって、麻薬中毒になってボロボロになるのは結構ありがちである。家にいてもいる場所がないから、通りに出る。通りでつるむ。
格差は皮膚の色でも、出身国でもある。イタリアとフランスとどちらが裕福でどちらが優位に立つかは、実はフランス出身だったりする。かなり実はヨーロッパと言えど、その中は狭く、その中で格差がある。けれどアメリカ人は無条件にヨーロッパに憧れ、自分に対してある程度の卑屈感を持つ。それが、日本人が外国人全般に対して持つ劣等感と同じである。元々は、アメリカ人もヨーロッパの人間である。が、その劣等感は物凄い。そして、皆揃ってギリシャに弱いところがある。理由はギリシア人の歴史と後は富裕層にあるのだと思う。ギリシア系アメリカ人等見分けるのはたやすい。何故なら、彼らのラストネームに国籍が分かるのだ。ギリシアなら、簡単に言えばカッツォポリスとか、コクランという名前が、ビリージョエルの中の歌詞にも出てくる。
さて、経済の病は深刻化する。このままで、あの植木等の時代のタイムレコーダーと飲み会で乗り切った人にはきつい時代が来る。実現力があり、企画力があり、それに対する努力を怠らない人のみが残っていく。自分はただ言われたとおりの仕事だけしていたいと言っていれば、そのまま、会社の最下層の部分に行き、同じ会社の同じ年代の間に数千万の収入の差が出来る。また、早速切ろうととしたら、切られるのはそういう人だ。
生み出す力、人に押し付けず、論理的に業務をこなす者、そして、いつも会社の利益で会社の人を一人でも辞めさせまいと考えるものがいて、どんどん企画してどんどん会社に富をもたらすが、問題はそれを受け継ぐ次世代が何一つ無表情にやる気や覇気がないと言うところにも問題はある。上司の無茶苦茶なものの言い方や無責任な責任の擦り付けに正直、目がくらんでやる気を失っている世代だ。けれど、密かに勉強して筋力は蓄えておいたほうが、いざ、チャンスが来たとき、大きくそのチャンスをものにできる。筋力がなければチャンスだって遠のくし、届かない挫折感をさらに味わう羽目になる。どんどん負の連鎖は続く。
経済をこの先的確に予測できるであろう人など、預言者であっても無理な話だ。何故かと言えば、大きな国同士の価値観で動き、そしてそれぞれの国の考えが違うから、幾通りも分析できて、結果広い道が見えるような訳にはいかない。
だから何度でもいうが、あなたの子供は、精神力と心の筋力だけは学ばせておいたほうがいい。0から何かを生み出せる力はそう簡単に授かるものではない。その為に人は水面下で物凄く努力をするのだ。だけれど、努力を努力と思わず、楽しんで努力するものに、実は幸運の女神は微笑むものである。まさにこの世で生き抜くのは苦行である。しかし、それを、喜んであっちこっち振り子に乗ってすっ飛んでいる人の心の筋力は、しがみつく者に比べたら遥かにタフである。
自分の次世代や自分を救うものは自分しかいない。それは、心の筋力を鍛え、柔軟性を身につけ、いつでもアンテナを張り、それが楽しくてたまらない状態に自分を置くことであり、家族も一緒になってそれを楽しむことだ。
自分の家が収入がゼロになって、それで嘆くのは早い。やるべきことは沢山ある。働いて大学を出る手段だってある。楽をしたければその楽は、後々しっぺ返しとなって必ず帰ってくる。だから、多少忙しくてもそれを楽しんで生活をしてほしいと思う。
それが本当の意味でのスピリチュアルであり、先祖供養をする前にした方がいい事でもある。
目の前のことから逃げるな。安きに流されるな。いつも大我の前に小我を捨ててかかれ。何十年後かの自分をいつも目指してかかれ。この経済破綻を乗り越えるには、今はそのチャンスだと思ってほしい。ピンチだけれど、奥さんは笑っていてほしい。ピンチになるまで遊んできたツケがもう来たのだと覚悟して、これからを楽しんで、苦労生活を送ってほしい。アメリカ人ですら、その通りだ。まして、専業主婦であろうと、一生は保障されない。だからこそ、節約に挑んだり、出来る資格は取ってみたり、やるべき事はみのもんたを見る前に、井戸端会議に毎日参加する前にある。
そして、乗り越えた時、あなたは凄く幸せな気分になれると思う。
不幸をネガティブと捕らえず、ここが正念場だと思って、ポジティブに進んでほしい。
やればできる。できなかったら、方法が悪いのだ。出来る順から何でもやってみよう。後悔はそれからしてもいいはずだ。生活保護はそれから受けてもいいはずだ。
国はあてにならない。
朋
ちなみにこの本は誘惑的に主人との仕事で使う共有の机の上に「読め」とばかりにおいてあった。比較的簡単な本だ。読もう。
まさに、今経済が崩壊を始めている。
会社は、自社を生き残らせるために、「派遣社員は3年雇ったら正社員に」という法律をかいくぐる為に、まず派遣社員を切り捨て始めた。残った正社員は、派遣社員につばを吐いて送り出すが、じゃぁ、あんたはいつまでその机に座っていられるんだい?と聞いたら、多分真っ青な顔で、その晩から恐慌に陥るだろう。
派遣社員という選択を取って現在働く家庭を支えるお父さんがどうして派遣という形態を取ったのか分からないが、派遣は元々リスクがある分、割と優遇な措置もあったはず。私も解雇されるというリスクの中で、一生懸命覚えることを覚えた。結果的に私は派遣を飛び出して、正社員に、そして正社員も有名な企業に、そしてその企業で役職につきたいという、過剰な上昇志向の結果、私はその望みを果たした。しかし、私が背負った守秘義務は重すぎ、私を支える屋台骨はもろく折れた。
けれど、一生食いっぱぐれない自信はある。スピリチュアルは正直お金を稼ぐ場所ではない。だからもし、主人が何かあったとしたら、心理カウンセラーとして外に出るだけの準備は整えてある。これには霊感や守護霊は全く関係ないし。
けれど、崩壊した経済は、沢山の会社や大学や個人等、資産投資して小泉マジックで旨みを吸った全ての人に大きなしっぺ返しを食らわせた。しかし、不勉強な株投資であれば、正直仕方がないし、この先の経済が予測できる人と言うのは、クォンツアナリストですら、分からないだろう。
私は数字にめっぽう強いし分析していくのが好きである。けれど、この日本経済が破綻していくのは、最初から先細りになってしまった働く人口の減少から来る。反対に働かない人が長生きをする。医学が進めば、それだけ働かない人は多くなり、働く世代に給付金が十分になければ、働く世代は子供を育てることさえ出来ない。だから、生まない。それでも、保育園はどこも過密都市は満員である。欧米では、大概、かなり裕福であっても実は奥さんが働いていたり、かなりな企業のマネージャーだったりするものである。だから、その受け入れ態勢もそしてシッターの取り合いも凄いものである。
事実、私が二番目を産むために助けていただいたシッターは、タイムズの副編集長のお気に入りのシッターだった。彼女は郵便局や街のベーカリーショップに張り出した英語の募集要項を見て家に申し込んだ。家は歓迎だった。彼女は、本当に良心的に子供に接し、その送迎も、泣きながら出かける世代であった息子ですら、音楽が流れ、英語で一緒に歌い、楽しかったらしい。
私たちは、その後、丁寧な紹介文を彼女に持たせた。彼女はあっという間に、息子Aの学校の保護者の中で有名だったために申込者が殺到した。中々予約が取れないと、米国からメールで嘆きに来たお母さんがいたくらいだったし、その後の彼女の働きぶりは、PTAのメールを通じて聞いていた。凄く評判がよく、「あのジャパニーズはよくあんな立派なシッターを見つけたもんだ」と話題になった。
無論、そんな小さな子を抱えても、お母さんは有名金融会社だったり、有名商社のマネージャーでいつも忙しかった。日本のような専業主婦ではなかった。シッターが雇えない場合は、お姑さんが送り迎えをした。しかし、米国では眉をひそめる人が多かった。大体、暇なお姑さんがいないのが、東海岸だったからだ。
皆、子供を生んでも、子供にも最高の教育を施し、いつもの公園で学校が休みのある曜日などはよく出会った。皆の話題は、いいシッターといい学校であった。私は帰国が分かっていたから特に何も言わなかったけれど、察するにその学校の友人たちは将来のIVYリーグへ入学する候補生であり、IVYリーグに入るのが当たり前の母か、他国から嫁いできたイタリア人等は、オーソドックスにケンブリッジ等に入っていて、それが当たり前だと思っていた。
今考えると、凄まじい海外の受験教育の中にいたんだろうとは思う。学校のカリキュラムは、30分単位で、運動スキルから、製作から、語学(スペイン語とイタリア語と英語と日本語をそこで教えていた)から、日常のマナーから、一流の学校から音楽の教師を呼び、リトミックを仕込んでいた。
その帰り、お母さんは午前中で会社を終えると、子供をスイミングに連れて行く。そして異様に子供の数が多いのである。
私の今住む地域も、子供の数が多いのが、裕福さのバロメーターになる。多い子供に最適な学習環境を整えるのには相当なお金がかかる。公立を海外ではパブリックスクールと呼ぶが、いい地区はパブリックスクールでも十分IVYリーグに向かってまい進する。まい進しすぎて実は、毎年高校生が受験に失敗して、首をつる。浪人と言う考えはない。SATに向けて猛烈にまい進し、課外活動としてボランティアをしてそのボランティアでも大学に入る評価が出る。必ず、金賞を狙い、そして猛烈な日本以上の加熱が実はある。その代わり、いい学区と悪い学区は、完璧に格差が出る。隣り合わせだが、通りの右は、最高な学区、通りの左は最低学区という住み分けが実は出来ている。
格差社会の子供は上位に立とうと思っても簡単に成功などしない。それはスタートラインも違うし、日本のようにまだまだ資本主義でありながら社会主義的なところを持っているのとは違う。本当に格差がある下流の学校では、子供は既に学校で麻薬をやっていて授業になんかならないし、ふとした拍子に入った子供が染まって、麻薬中毒になってボロボロになるのは結構ありがちである。家にいてもいる場所がないから、通りに出る。通りでつるむ。
格差は皮膚の色でも、出身国でもある。イタリアとフランスとどちらが裕福でどちらが優位に立つかは、実はフランス出身だったりする。かなり実はヨーロッパと言えど、その中は狭く、その中で格差がある。けれどアメリカ人は無条件にヨーロッパに憧れ、自分に対してある程度の卑屈感を持つ。それが、日本人が外国人全般に対して持つ劣等感と同じである。元々は、アメリカ人もヨーロッパの人間である。が、その劣等感は物凄い。そして、皆揃ってギリシャに弱いところがある。理由はギリシア人の歴史と後は富裕層にあるのだと思う。ギリシア系アメリカ人等見分けるのはたやすい。何故なら、彼らのラストネームに国籍が分かるのだ。ギリシアなら、簡単に言えばカッツォポリスとか、コクランという名前が、ビリージョエルの中の歌詞にも出てくる。
さて、経済の病は深刻化する。このままで、あの植木等の時代のタイムレコーダーと飲み会で乗り切った人にはきつい時代が来る。実現力があり、企画力があり、それに対する努力を怠らない人のみが残っていく。自分はただ言われたとおりの仕事だけしていたいと言っていれば、そのまま、会社の最下層の部分に行き、同じ会社の同じ年代の間に数千万の収入の差が出来る。また、早速切ろうととしたら、切られるのはそういう人だ。
生み出す力、人に押し付けず、論理的に業務をこなす者、そして、いつも会社の利益で会社の人を一人でも辞めさせまいと考えるものがいて、どんどん企画してどんどん会社に富をもたらすが、問題はそれを受け継ぐ次世代が何一つ無表情にやる気や覇気がないと言うところにも問題はある。上司の無茶苦茶なものの言い方や無責任な責任の擦り付けに正直、目がくらんでやる気を失っている世代だ。けれど、密かに勉強して筋力は蓄えておいたほうが、いざ、チャンスが来たとき、大きくそのチャンスをものにできる。筋力がなければチャンスだって遠のくし、届かない挫折感をさらに味わう羽目になる。どんどん負の連鎖は続く。
経済をこの先的確に予測できるであろう人など、預言者であっても無理な話だ。何故かと言えば、大きな国同士の価値観で動き、そしてそれぞれの国の考えが違うから、幾通りも分析できて、結果広い道が見えるような訳にはいかない。
だから何度でもいうが、あなたの子供は、精神力と心の筋力だけは学ばせておいたほうがいい。0から何かを生み出せる力はそう簡単に授かるものではない。その為に人は水面下で物凄く努力をするのだ。だけれど、努力を努力と思わず、楽しんで努力するものに、実は幸運の女神は微笑むものである。まさにこの世で生き抜くのは苦行である。しかし、それを、喜んであっちこっち振り子に乗ってすっ飛んでいる人の心の筋力は、しがみつく者に比べたら遥かにタフである。
自分の次世代や自分を救うものは自分しかいない。それは、心の筋力を鍛え、柔軟性を身につけ、いつでもアンテナを張り、それが楽しくてたまらない状態に自分を置くことであり、家族も一緒になってそれを楽しむことだ。
自分の家が収入がゼロになって、それで嘆くのは早い。やるべきことは沢山ある。働いて大学を出る手段だってある。楽をしたければその楽は、後々しっぺ返しとなって必ず帰ってくる。だから、多少忙しくてもそれを楽しんで生活をしてほしいと思う。
それが本当の意味でのスピリチュアルであり、先祖供養をする前にした方がいい事でもある。
目の前のことから逃げるな。安きに流されるな。いつも大我の前に小我を捨ててかかれ。何十年後かの自分をいつも目指してかかれ。この経済破綻を乗り越えるには、今はそのチャンスだと思ってほしい。ピンチだけれど、奥さんは笑っていてほしい。ピンチになるまで遊んできたツケがもう来たのだと覚悟して、これからを楽しんで、苦労生活を送ってほしい。アメリカ人ですら、その通りだ。まして、専業主婦であろうと、一生は保障されない。だからこそ、節約に挑んだり、出来る資格は取ってみたり、やるべき事はみのもんたを見る前に、井戸端会議に毎日参加する前にある。
そして、乗り越えた時、あなたは凄く幸せな気分になれると思う。
不幸をネガティブと捕らえず、ここが正念場だと思って、ポジティブに進んでほしい。
やればできる。できなかったら、方法が悪いのだ。出来る順から何でもやってみよう。後悔はそれからしてもいいはずだ。生活保護はそれから受けてもいいはずだ。
国はあてにならない。
朋
ちなみにこの本は誘惑的に主人との仕事で使う共有の机の上に「読め」とばかりにおいてあった。比較的簡単な本だ。読もう。