こんばんは。
割と多い霊能者のテクニックのひとつに、クライアントには霊障がないんだけれど、あるようなつもりで、長い事カウンセリングに付き合って行くという手法を聞いた事もありますし、やっている人を実際に何名も見てきました。
クライアントは、信じてるんですよ。霊障だって。殆どの方は、まず気のせいで始まるんです。ですから、私の所も、立件しない案件は結構あります。いないからです。ですが、それで納得できればいいんですが、納得できない人の場合や、そういう環境で育ってきて、性格にある程度影響が出ている場合、わざと霊障にして、何度も通ってもらって、意味ありげな行為をして見せて、信頼感を得て、その環境から来る連鎖を断ったり、性格を変えて行くって事をしている人がいるんです。まぁ、民間療法だな。
それもある意味、偽であるけれど真なりきかな。
だから、高名な人ほど、予約は既存客で埋まりやすい。それ程、人の心って、ショックから変わるのに時間がかかるし、それのケアであると開き直るんならそれはそれでいいんですけれどね。
これでの、信頼って、結構ふとした拍子に崩れますね。
割と、精神的に悩む人の殆どは、真実を知りたいんですよ。まぁ、自分に都合のいい真実も、そうでない真実もあり、私のように、大学に潜って講座を幾つも取り重ねて、その中でそういう背景を社会が重きを置いて研究している人達もいるんだという事実は見つけられるんですけれどね。さて、本人に、TrueかUntrueかは、分かんないんですね。
私自身でも、それを言わないでおくって事はあっても、霊障ですとハッキリは答えられないだろうな。何てったって、何にもないんだから。例えば、断れない自分の性格だけれど、どうしても断らなきゃいけないのに、親の葬式を使うとか、親族の葬式を使うとか、主人を使うとか、そう言う人は幾らでも居るんですけれど、そのケースは、一歩踏み間違えれば、虚言癖だしなぁ。だからと言って、ないです、で納得してくれる人も少ないしなぁ。取りあえず、気が済むまで、霊媒師を訪ねて、何度もお百度を踏んで、システムに、いつか気がついてもらうしかないとは思うんですが。
うーん。精神疾患ってのは、どう治したらいいのか、正直なところ、非常に難しいと思います。統合失調症もそれでも、受け口はない訳だし、薬を使う人は、やはり感覚的に覗いてみると、痺れる感覚は、共感覚で感じる事はある。
かといって、無いもんはないし。あるもんをあるとは言えても、ないもんをあると言って、長い事、その人を変える努力を維持出来るほどの信頼感が、その虚言にあるのだろうか。非常に、言う本人のリスクが濃い気がする。ついでに言えば、ついでに薦める石が、本当に意味がないからこそ、信頼感が崩れて行く訳で、信頼感の維持ってのは、非常に難しい問題だと思う。
今でこそ、霊能者や拝み屋さんは、ある程度の心のカウンセリングの民間療法的なもんという観念が多い。で、レイキだって、ヒーリングだって石だって、本当に凄い場合には、確かに狭心痛すら、止めてしまう。けれど、実感できないヒーリングも、必要と言えば、その人が何かを語る感情の押し殺しを、吐き出させるプロセスにはなるのはひとつ。ただ、ヒーラーは、ほとんどが不勉強すぎるから、クライアントが吐きだした途端に、トラブルになる。ほんと、何処を聞いても、トラブルにばかりになってて、恐縮だ。だから、いいんだか、悪いんだか、心中複雑だ。
うーん。自分でも思うけれど、この仕事のシステムは、裸の王様だと思う。だけれど、何が正しくて何が間違いかは、完璧を求めたら、先には伸びない。完璧主義の人が、あまり仕事で伸びないのは、自分のタスクを完全無欠にするだけで手一杯で、それ以上に自身に伸びる隙間を与えないからだが、ある程度伸びるなら、微妙な曖昧さも必要だと思う。
その曖昧さが、信頼感を真っ向から裏切るものである時、さてどう扱ったらいいんだろう。いや、正直、自分がこのシステムに潜り込んでみて、あまりの黒さに驚いたよ。(服だけは皆白いんだけれどね)だけれど、ある程度までは、白い事も必要だけれど、必要悪ってのはあるんだよ。
だからこそ、今、自分で自分のあり方に深い疑問が残る。事実に忠実にってのは、信頼感は得られても、本当にその人の為になっているかどうかは不明だからね。そして、それを言わない事も、言う事も、事実に忠実だから、自分への保身にはなる。それがエゴだとか傲慢だとか言われる事もある。けれど、精神的に悩む人に、泥をかぶってまで、信頼感が崩れる事を承知で、介入する必要があるのか。ないのか。もし、自分が悩んでいたら、多分、「事実だけを欲しい」と願うと思う。「事実の解決を願う」かな。どうかな。やっぱ、聞いてほしいかな。どうかな。
そういう、無限の悩みの中に、実は今は身を置いている。今はそういうタイプの「カウンセリング式霊能者」には、自分が払えても毎回3000円(場所代込み)が適正価格だと思う、霊能者冬の時代だと思う。だからこそ、焦る同業者は多い。
真実ってどこまで必要なのかな。あなただったら、どう思いますか?。
朋
割と多い霊能者のテクニックのひとつに、クライアントには霊障がないんだけれど、あるようなつもりで、長い事カウンセリングに付き合って行くという手法を聞いた事もありますし、やっている人を実際に何名も見てきました。
クライアントは、信じてるんですよ。霊障だって。殆どの方は、まず気のせいで始まるんです。ですから、私の所も、立件しない案件は結構あります。いないからです。ですが、それで納得できればいいんですが、納得できない人の場合や、そういう環境で育ってきて、性格にある程度影響が出ている場合、わざと霊障にして、何度も通ってもらって、意味ありげな行為をして見せて、信頼感を得て、その環境から来る連鎖を断ったり、性格を変えて行くって事をしている人がいるんです。まぁ、民間療法だな。
それもある意味、偽であるけれど真なりきかな。
だから、高名な人ほど、予約は既存客で埋まりやすい。それ程、人の心って、ショックから変わるのに時間がかかるし、それのケアであると開き直るんならそれはそれでいいんですけれどね。
これでの、信頼って、結構ふとした拍子に崩れますね。
割と、精神的に悩む人の殆どは、真実を知りたいんですよ。まぁ、自分に都合のいい真実も、そうでない真実もあり、私のように、大学に潜って講座を幾つも取り重ねて、その中でそういう背景を社会が重きを置いて研究している人達もいるんだという事実は見つけられるんですけれどね。さて、本人に、TrueかUntrueかは、分かんないんですね。
私自身でも、それを言わないでおくって事はあっても、霊障ですとハッキリは答えられないだろうな。何てったって、何にもないんだから。例えば、断れない自分の性格だけれど、どうしても断らなきゃいけないのに、親の葬式を使うとか、親族の葬式を使うとか、主人を使うとか、そう言う人は幾らでも居るんですけれど、そのケースは、一歩踏み間違えれば、虚言癖だしなぁ。だからと言って、ないです、で納得してくれる人も少ないしなぁ。取りあえず、気が済むまで、霊媒師を訪ねて、何度もお百度を踏んで、システムに、いつか気がついてもらうしかないとは思うんですが。
うーん。精神疾患ってのは、どう治したらいいのか、正直なところ、非常に難しいと思います。統合失調症もそれでも、受け口はない訳だし、薬を使う人は、やはり感覚的に覗いてみると、痺れる感覚は、共感覚で感じる事はある。
かといって、無いもんはないし。あるもんをあるとは言えても、ないもんをあると言って、長い事、その人を変える努力を維持出来るほどの信頼感が、その虚言にあるのだろうか。非常に、言う本人のリスクが濃い気がする。ついでに言えば、ついでに薦める石が、本当に意味がないからこそ、信頼感が崩れて行く訳で、信頼感の維持ってのは、非常に難しい問題だと思う。
今でこそ、霊能者や拝み屋さんは、ある程度の心のカウンセリングの民間療法的なもんという観念が多い。で、レイキだって、ヒーリングだって石だって、本当に凄い場合には、確かに狭心痛すら、止めてしまう。けれど、実感できないヒーリングも、必要と言えば、その人が何かを語る感情の押し殺しを、吐き出させるプロセスにはなるのはひとつ。ただ、ヒーラーは、ほとんどが不勉強すぎるから、クライアントが吐きだした途端に、トラブルになる。ほんと、何処を聞いても、トラブルにばかりになってて、恐縮だ。だから、いいんだか、悪いんだか、心中複雑だ。
うーん。自分でも思うけれど、この仕事のシステムは、裸の王様だと思う。だけれど、何が正しくて何が間違いかは、完璧を求めたら、先には伸びない。完璧主義の人が、あまり仕事で伸びないのは、自分のタスクを完全無欠にするだけで手一杯で、それ以上に自身に伸びる隙間を与えないからだが、ある程度伸びるなら、微妙な曖昧さも必要だと思う。
その曖昧さが、信頼感を真っ向から裏切るものである時、さてどう扱ったらいいんだろう。いや、正直、自分がこのシステムに潜り込んでみて、あまりの黒さに驚いたよ。(服だけは皆白いんだけれどね)だけれど、ある程度までは、白い事も必要だけれど、必要悪ってのはあるんだよ。
だからこそ、今、自分で自分のあり方に深い疑問が残る。事実に忠実にってのは、信頼感は得られても、本当にその人の為になっているかどうかは不明だからね。そして、それを言わない事も、言う事も、事実に忠実だから、自分への保身にはなる。それがエゴだとか傲慢だとか言われる事もある。けれど、精神的に悩む人に、泥をかぶってまで、信頼感が崩れる事を承知で、介入する必要があるのか。ないのか。もし、自分が悩んでいたら、多分、「事実だけを欲しい」と願うと思う。「事実の解決を願う」かな。どうかな。やっぱ、聞いてほしいかな。どうかな。
そういう、無限の悩みの中に、実は今は身を置いている。今はそういうタイプの「カウンセリング式霊能者」には、自分が払えても毎回3000円(場所代込み)が適正価格だと思う、霊能者冬の時代だと思う。だからこそ、焦る同業者は多い。
真実ってどこまで必要なのかな。あなただったら、どう思いますか?。
朋
とはいえ,いま自分はそこそこ大変な状況ですけど,仮に霊障とか言われても,あまり実感がわかないなぁ.つらくても,不安でもどっか”人生なんて棺おけに片足つっこんでみないとその意味なんかわかんないしー”って気楽に思ってるところがある.
実はシナリオどおりなんじゃねーかって思うことも多々あります.
力が至らないところをどうするか、僕は運に頼りますけど、それが正しいかどうかは分かりませんが・・
ところで世に言う「真実」=世に言う「常識」ならば、そんなものは信じません。
間違いだらけの人間様に絶対的な常識など創造しようがないでしょうw
うーん。真実と言うのは、自分が納得できる理由がつく事、事実ってのは、客観的に起きた事象だからね。温度差があるのは、主観が入る所為だから仕方ないんですけれどね。真実は、時にして天動説と地動説を持つのはそういう理由なんですよ。
シナリオはね、自分が作るんだよ。シナリオに振り回されるようだと、自分に負けるよ。
ありがとう。
Akiraくん
>それがネガティブな真実なら、出来るだけは自分の力で、乗り越えるしかないでしょう。
これが出来ないから人は悩むんだよ。簡単に乗り越えられないからこそ、真剣に身体疾患に現わしたり、精神疾患に出るほど、不平、不満、憎しみ、辛さ、感情を自分の中で抑えきれないんですよ。
まぁ、出来る限り、元々は自分でやっているんだけれど、環境もあるし、本人の力量もあるし、難しい所なんですよ。
ありがとう。
(なんでもいいから)病名つけてくれ、という
やや依存な、2タイプに分かれると思うのです。
勇者のほうが知ったら知ったで悩む。
依存はスタンプカードに一つスタンプが増える感覚で、
ハイ、ありがとう、ニコニコ。
よって、真実をすべて告げるがよしとは思えず、です。
ただ、顧客様との信頼関係もあるし、それ以上に
自分の仁義との信頼関係もある。
自分の仁義との信頼関係を崩すのはそれこそ金員だったりするから
コワいなぁと自戒する部分はあります。
引き続き、考えます。ありがとうございます。
うーん。本来は勇者が悩まないで、病名がつきそうな人が悩むべきなのですが、実は病名がつきそうな人は、病名を既に沢山持つ事をステイタスというか、自己実現にしている所がありますからね。
>自分の仁義との信頼関係を崩すのはそれこそ金員だったりするから
コワいなぁと自戒する部分はあります。
私だったら、金員じゃなくて、多分傲慢がきっかけになりやすいでしょうね。「何か知れば、満ち足りた気がして、それがすべてに思えてしまう」、それが全ての答えではない、そういう所を失くしていかないと、謙虚にならなければ、自分の仁義との信頼は壊れると思っています。
まぁ、こんなん深い悩みですな。
ありがとう。