「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

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サイコパス・パラダイス その2 ~あなたは当たらない霊能者~

2010年10月02日 14時10分07秒 | 精神哲学 ~魂の筋力をつける朋塾~
こんにちは。

サイコパスと言うのは、自己愛人格障害の一つです。自分の思う事を皆がしてくれて当たり前、という概念で考えています。今回は、霊能者にサイコパスが何を求め、何を報復として行うか、書いていきます。

サイコパスは、自分の未熟さを棚に上げて、人が自分の尻拭いをやって「当然」だと考えています。下手したら、「自分の未熟さは、相手が成長する為にあるのよ」と言う人もいるでしょう。あなたの為に、未熟でいてあげるのよと言う人もスピリチュアル業界では多いですね。

自分が努力なしに快適に過ごす事を、周りが全部お膳立てしてくれてやってもらって当然だと思うんです。やらないと不満が出ます。これが、クライアントとして霊能者や占い師を尋ね歩けば、例えば、「念」で長男が帰って来て同居するようにしてくれと頼んでくる事が多いです。念で、宝くじが当たりますように、念で、自分の生活が開運に向きますように。念で、営業成績が上がりますように。念で就職先が決まりますように。念で、家族が平和となり、自分に従いますように。

けれど、実際、念じゃ長男は帰って来ない訳ですよ。そうなると、嫁の文句の前に、こう言う事になるんですね。

「XX先生に高いお金を出してお願したのに、ちっとも良くなりゃしない。あれは、偽物の人だ。本物はもっとちゃんとできるはずだ。」

彼らの考え方には、一応、理由があって、自分が不快だと思った事を、「即」取り除け。そして、出来なかったら、私は怒りますよ。あなたは出来ない人なんだから、私が怒ったのを受け止めて当たり前です。とね。

ですから、こういう場合、クレームケースになって、結局こう言う人達が、自分の思うようにならなかったと、XX先生の評判を落として歩く訳ですね。まぁ、よくも考えてみてくださいよ。自己愛のその人、お姑さんがいて、その大姑と自分は同居していなかったりするんですよ。その癖、自分の子供には、自分と同居するよう求めるんですね。論理的思考がない・・・あるんじゃないですか。全てにおいて、自分が最優先されるべきだという、法則にのっとって、彼らは思考をしている訳ですから。

自分が快適になるよう、周りは努めるべきだと言うんですね。それでも、凄く恥の概念に敏感でね。けれど、どういう訳か、自分がやっている事自体は、赤っ恥だと考える事はないんですよ。そもそも、どうやら、存在自体が、「周りを成長させる為に、わざと自分はDQNでいる、自分は弥勒菩薩のような人間だ」とこう言い切る訳ですよ。そこまで言いきられたら、クライアントとして、お引き受けする事は無理になりますね。

念で、長男と暮らせないんですか?と聞かれたら、即座に言いますね。念で、長男と暮らせたとして、後々、その生活が本当に続くんですかね。白雪姫も、シンデレラも、魔法の杖で1・2・3でしたが、その後はどうだったかなんて、お話しがないですからね。念で何がができると思う、その念の使い道を間違えているんじゃないですか。そもそも、念で、そうなるんなら、我が家なんて、マルチの襲来を撃破する必要もなければ、長男教の圧政に、時々押し崩されたりしませんからね。

気にいらない時は、報復しますよ、その憤怒を受け止める覚悟は出来ているんでしょうね。プロフェッショナルなら当然ですよね。

そう言って、こう言う人達は、占い師の前に、霊能者の前に並びます。うまく説得が言って、「今回は諦めた。」事があっても、その次もまた、何年経ってもやってきます。何年経っても、本人が変わらない事の方が、よっぽど不思議だと周りは思うでしょうけれど、他力本願ですからね。そうそう、変われるものじゃありません。

そして、できない報復として(出来る人はまず世界のどこにもいないが、策長けて、長男を一回はうまく罠にはめる助言が出来る人がいるだろう)、「自分はその人の悪評を書きたて、喋り立てる」訳です。まぁ、周りの為に、努力しないと公言できる弥勒菩薩(苦笑)の様な方ですから、普通の理論じゃこの人を論破は出来ないです。

結局、経歴詐称し、相手を陥れ、皆の信用を失って、孤独な暮らしが待っています。けれど、私は思うんですよ。反面教師になりたいなら、孤独死する事も反面教師ですよねと。けれど、都合がいい人達ですから、「これだけしてあげたんだから、皆が感謝して、介護してこそ当たり前よね」、という理論が飛び出てくるんですけれどね。その論理にきちんと、自己都合の良さという、譲らない一線がひかれている訳ですよ。

そう言う事で、ジプシーして歩く人もいますし、宗教に入信しても、いまいちな熱心さですね。そりゃそうです。宗教も自己に便宜を図るツールだとしか思ってないんですから。

反対に、霊能者や占い師が、こういうケースであることもあります。自分が都合のいいように相手を操り、反撃されると、激高してしまいます。その激高ぶりに、周りはドン引きするか、周りは、自分が間違っているのではないかと混乱します。けれど、混乱してもしょうがないです。何を言っても、決して根本にある、「自分の都合のいいように皆が動いてしかるべきだ」と言うご高説は、覆されないんですから。

自分の勧める教義に文句を言う奴は徹底的に集団で粛清し、自分はなりすましで、営業をかける。弱った人の元に、聖人君子のような状態で現れ、弱っている時を嗅ぎつけてきた、その時だけ「聖人」的な振る舞いが目立ちます。やがて、自分の元に囲い込み、その人間が自分の思うように動かなかった時、こう叫びます。

「あんなにXXしてあげたのに!。」

その激高ぶりに、周りはなだめに入るか、まぁ、離れるかどっちかなんですけれど、こういう人程、社交的で、友人と呼べる人は少なく、けれど自分は友人が多いと思い込んでいる。そういうケースが多いんですね。「してあげた」と思う事は、霊能者になる時、捨てなきゃいけない事なんですけれど、ついつい、喜ぶ顔が見たくて、クライアントのサイコパスに引きずられ、自分のサイコパスが、顔を出してくる。

そういう業界が、精神医学、霊能者、占い師関連にあります。まぁ、どう言ってもしょうがないかな。誰の心にも自己愛ってのが、必ず存在しますからね。




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