気まぐれな一匹狼のブログ

ただの一匹狼が書き綴るくだらない雑記

ぼんやりとした不安

2014年08月21日 00時31分32秒 | 日記

 見物人の足音はすでに遠のき、必然管理は日を追うごとに甘くなり、今となっては管理人も席を離れて行方が知れぬ。もう誰からも顧みられず、荒れ果てた不毛な空き地となって、その存在価値を問われれば沈黙をもって答えねばならないようになってしまったブログが、ここにある。土地が持っていた(かもしれない)生産力は失われ、ただどこかの業者の立て看板――土地と同様、芸のない不毛な広告――が、目につくばかりである。

 わたしは埃っぽい部屋で目が覚めた。床一面が本で散らかっているから、ただでさえ狭い部屋が尚更に狭く感じられた。その日は特に何もする事がないし、行く宛てもなかったので、散歩に出かけた。陽はまだ中空に輝いている。地面を踏みしめる一歩一歩に、さらにいちいち力を加えながらずんずんと歩いた。「今日はこのまま二時間ほど歩いてみようか」とさえ、思ってみるほどに体力の充実を感じていた。

 家を出てから一時間が過ぎようとしていた頃、わたしの眼は「不毛な土地」を認めた。それはたしかに噂通り荒れ果てており、その前を過ぎ行く者の誰一人として、一瞥をくれてやる者はいなかった。わたしが「不毛な土地」を眺めていると、そっと耳打ちする人があった。「あんた、何見てるんだい? 悪い事は言わないから、さっさと通り過ぎちまいな」。わたしは、「いや、いいんです。ここを見ていると、なんだか懐かしく感じるんです」と答えた。

 耳打ちした人はやがて群衆の中に消えた。「けっ、あんたも腐ってな」と言ったような気もするが、あるいは空耳かもしれぬ。わたしはただ「不毛な土地」をじっと見入るばかりであった。そして自分と土地と、そのどちらとも関係のないどこかへ向かう群衆との間にある深淵をはっきりと認識した。深淵の深さはわからない。ただそれが存在しており、こちらとあちらとを断絶しているのだということを知るのみである。一度わたしはその深淵を覗き込もうとしたが、恐ろしくなってやめにした。

 自分は今、「不毛な土地」の前にいる。耳打ちした者はもうとうにいないが、その言葉は今なおこの耳を打つように思われる。自分と土地と、群衆という図式的に過ぎる対立が頭から離れない。その意識が内容において真であるか偽であるかはどうでもよい。それが自分が勝手に作ったものであるか否かについても追求しない。ただ、それがすっかり消え去ってしまえばいいのにと思う。この意識のために、自分はぼんやりとした不安に襲われる。


注) 久々にブログを更新しようとしたら書くことがなかったので、適当に書いてみたのだけれど、なんだか暗い感じになってしまった(笑) もし、このブログをご覧になって筆者を心配してくださる方がおられるとすれば、すいません。筆者はここで書いたような妙な意識に憑りつかれてはおりません。あと、芥川龍之介の書簡(遺書だったか)とは全く関係ありません。