新・南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2023年

2023年、11年振りに南大東島を再訪しました。その間、島の社会・生活がどのように変わっていったかを観察しました。

プチホテル・サザンクロスの設備

2023-09-14 19:51:39 | 旅行

 

  今回泊まったのは、プチホテル・サザンクロスで、在所集落の中心部からは離れた場所にあります。島に用務のある出張者や作業員向けの素泊まり専門のホテルです。従って、食堂や売店などはなく、極めてシンプルなホテルでした。しかし、食堂やスーパーなどがある繁華街には徒歩5分程度の距離にあり、生活するには不便ではありません。最近の東京ではインバウンドにより外国人の宿泊が多くなり、ビジネスホテルの宿泊費も高騰しています。しかし、サザンクロスの宿泊費は東京のカプセルホテルよりも安く、旅行者にとっては有り難いものです。
 建物の構造は極めてシンプルで、廊下を挟んで左右に個室があり、前回宿泊したホテルよしざとの別館とほぼ同じ造りでした。違う点は、ホテルよしざとでは木造平屋であるのに対して、サザンクロスは鉄筋二階建てであることでしょう。前回に泊まったホテルよしざとの部屋は一階であることから、クモや巨大なヒキガエルが闖入してくれましたが、ここは二階のためそんな無断侵入者は見かけませんでした。なお、各部屋のドアー前には小さなカゴが置かれていますが、これはタオルを置くためのものです。シャワーで使ったタオルをカゴに入れておくと、翌日には新しいタオルに交換されます。
 個室は四畳半程度の広さで、一人用のベッド、机、液晶テレビだけが配置されていました。Wi-fiは使い放題のため、パソコンかタブレットを持ち込めば内地にいるのと同じ情報環境です。なお、館内電話は設置されていませんが、旅行者のほぼ全員がスマホを持参しているので、フロントとはスマホで連絡することになります。
 廊下の突き当たりには洗面台があり、その左右には便所とシャワー室が配置されていました。便所は水洗でしたが、温水洗浄便座は設置されていませんでした。これは後述する水道料金が高いことに関係していると思われます。シャワーは24時間何時でも利用できました。上水料金が高いため、バスタブは有りません。これはホテルよしざとと同じでした。
 廊下の中央には冷蔵庫や電子レンジが置いてありましたが、これは長期宿泊者が持ち込んだもので、それぞれの所有者専用であり、勝手に使ってはいけないようです。極めてシンプルですが、孤島の旅にはこれだけで充分でしょう。

 


入手が容易になった地図

2023-09-12 19:33:11 | 旅行

 前回の旅行で困ったのは、島内の地図の入手できなかったことであった。初めて訪れる場所は予め地図で地形を確認しておくのが望ましい。見学する場所の選定や移動する距離の計算ができるからである。前回は観光協会に依頼して観光地図を郵送してもらったが、これがマンガのような地図であまり役に立たなかった。主要な道路しか掲載しておらず、大雑把なものであった。観光客用にデザインされていて、観光地や飲食店を紹介するためのものであるから致し方ないことである。国土地理院が作成した2万5千分の1の精密な地図はあったが、大判の一枚もので使い難い。本州のどこでも入手できる道路地図や市街図に相当する地図は入手できなかった。このため、前回の旅行では幹線道路に接続した脇道に迷い、同じ場所をグルグルと廻ることもあった。
 今回の旅行前に気がついたのは、ネット上で南大東島の地図が入手できることであった。Google MapやYahoo 地図には南大東島が掲載されていた。いずれも航空写真は国土地理院から供給されたものではないかと推測され、同じような精度であった。ただ、Yahoo 地図では住宅の一戸一戸の輪郭が表示され、その住宅の番地まで記入されていた。住宅地図とほぼ変わりのないデザインの地図であった。
 このため、拡大したYahoo 地図を印刷して持参し、歩いた道路に赤線で目印を記入していった。どこに何があったか、をメモすることもでき、現地の調査には役立った。これらのネット上での地図のサービスが何時から始まったのかは不明である。Google Mapにおけるストリートビューの撮影が2014年1月となっていることから、この頃から提供されるようになったのではなかろうか。
 なお、住宅地図専門の地図会社ゼンリンでは、南大東村の住宅地図を販売している。5年置きに改訂版が発行されている。しかし、人口1千数百人の小さな島の住宅地図を誰が買うのだろうか。通常、住宅地図を購入するのは、営業で各戸を廻らなければならない販売会社、個別に荷物を配達する宅配業者などである。島の人達は顔なじみであり、誰が何処に住んでいるのは皆把握している。すると、住宅地図を購入するのは官公庁などで、販売部数は数十部程度と推測される。多分、ゼンリンは出版する度に赤字になっているのではなかろうか。売れそうもない南大東村の住宅地図を制作するのは、全国全てを網羅する、というゼンリンの意地であろう。

 

 


南大東島についての情報と資料の入手法

2023-09-10 11:53:13 | 旅行

 

 南大東島について詳しく知ろうとするならば、何らかの資料を入手しなければならない。これが意外と難しいのである。台風シーズンの時だけは気象情報の発信地としてニュースに必ず取り上げられるのだが、台風の時期以外は報道されることはまずあり得ない。資料、情報が少ないのは、日本の領土の南西端にある小さな島であり、社会から関心を持たれなかったからである。
 島の知名度が低いのは、歴史が浅いことも根本的な理由にあげられる。島が日本の領土と宣言されたのが1885年で、開拓が始まったのが1892年で、玉置半右衛門が本格的に開拓を始めたのが1900年である。島の歴史は百年強であり、本州のように縄文時代から始まって2千年以上も続く歴史とは比べ物にならない。歴史的に有名な事件がなく、特異な文化も見かけられない。資料が少ないのは、これらの複数の理由によるものであろう。しかし、探せばそれなりに島に関した資料や情報は見つけられた。以下に、見つけた資料を列記する。
 〔公文書による資料〕
 内容が客観的であり、一番信頼できる資料は何といっても「南大東村誌」である。南大東村役場が総力を挙げて編纂したからである。第一版は1966年に刊行され、第二版は「南大東村誌 改定」として1990年に刊行された。私は第一版を読んだことはないが、第二版は入手することができた。第二版はB5版の大きさで、全1230ページ、厚さが7センチ2ミリ、函入りである。本は厚くて、枕にするには高すぎるという大変な代物である。
 内容は無人島時代から始まり、開拓時代、戦時中、戦後の米軍による統治、本土復帰後の時代に分けられて、それぞれ時代における事件、社会が掲載されている。編纂には4年の年月がかかっており、東京の国会図書館などを訪れで資料を収集したらしい。村役場が編纂しているので、世俗的な事物についてはあまり記載が無いが、島の歴史と社会構造を知るにはこの本しかないであろう。ただ、本書の編纂において、掲載した記事、図版、統計は1985年末を区切りにしら。このため、最近の約40年間の出来事や社会事情については全く収録していない。古い事件や統計を調べるには便利だが、昨今の社会情勢を知ることはできない。第三版の改訂版の早急な発刊を望むところである。
 〔村勢要覧〕
 南大東村役場では、毎年「村勢要覧」を公表している。村の前年の出来事、政策、統計、産業などを網羅したもので、紙媒体として村役場で販売している。購入しなくとも、村役場のホームページからダウンロードすることもできる。この村勢を読めば、前年度における島の活動や変化を知ることができる。写真や図版が多く、視覚により社会情勢を判断することができるが、南大東村誌に比べ内容が薄いのが欠点である。村勢要覧は、南大東島の今を広く知ってもらうための広報誌であり、歴史を記録する村誌とは目的が違うため致し方ないところである。
 〔国会図書館のWARP〕
 現在、国立国会図書館では「インターネット資料収集保存事業(WARP)を行ったっている。この事業は、インターネット上で掲載されているWebサイトをデジタルで保存し、閲覧させることを目的としたものである。後世にまで残しておかなければならない重要なWebサイトは、国会図書館がデジタルアーカイブとして保存している。この保存対象には南大東村のホームページも選ばれており、過去に村役場が公表した事項を閲覧することができる。保存されているのは2010年以降の公表分である。
 〔インターネットによる検索〕
 インターネットにはありとあらゆる情報が掲載されている。ここで検索すれば容易に島の情報が得られると考えやすい。試しに「南大東島」或いは「南大東村」というキーワードで検索してみると、村役場、地方気象庁、観光協会などの官公庁のホームページを除き、かなり多くのブログや投稿記事が抽出できる。しかし、それらの殆どは離島旅行マニアによる旅行体験談や離島専門旅行会社によるツアー客募集の広告である。内容はどれも似たようなものばかりで(観光地が極めて少ないので)、情報としては薄いものである。
 しかし、検索するキーワードを少し工夫して「南大東島 社会」「南大東村 生活」などのように組み合わせると、全く違った検索結果が得られる。観光情報は検索から外れ、島の社会や産業について投稿されているホームページが抽出され、現地の情勢や生活などの詳しい情報を得られる。しかし、元々は目立って有名な離島ではなく、これと言って特異な風俗、文化があるわけではないので、キーワード検索を工夫しても得られる情報は限られている。あまり期待しない方が良い。インターネットで情報を得るよりも、現地にでかけて確かめるのが一番である。
 〔その他の情報入手手段〕
 全国的には知名度の低い南大東島であるが、探すとそれなりの情報を入手することができる。
 1、「離島経済新聞社」
 島を専門とした新聞社のようであるが、紙媒体を印刷しているのではなく、ネットでの情報発信だけのようである。この新聞社は全国の離島が取材対象であり、南大東島に特化して記事を作成しているのではない。このため、過去に掲載された記事では南大東島に特集した記事は少ない。
 2、「島の図書館」
 図書館とは言っても書籍を保管しているのではなく、島に関する書籍の目録をネット上で公開しているホームページである。全国にある432の離島に関連した書籍のタイトルを、その島ごとに一覧としたものである。ここで南大東島と検索すると、島に関連した書籍のタイトルが表示されるようになっている。
 このサイトは誰が主催しているのかは不明であるが、相当な離島マニアのようで、全国の離島の多くを旅している。書籍の目録作りには各県の図書館に出向き、そこで島に関連する書籍を調べていて、大変な努力をされたようだ。ただ、最近はデータの更新がなされていないようで、近年に出版された刊行物は目録に掲載されていない。
 3、「(孤島-都市)としての南大東島」
 これは立命館大学文学部の加藤政洋教授と河角直美准教授による現地調査の報告書である。2019年の公益財団法人JFE21世紀財団の助成により、両氏が南大東島に赴いて聞き取り調査などによりまとめたものである。その内容の主たるものは、絶海の孤島ありながら映画館、料亭などの娯楽施設が充実した近代的都市社会が成立していたことに着目し、その成立の経過を調査したものである。ここで感心したのは、1970年の在所集落にあった商店、飲食店、遊戯施設を特定した住宅地図を作成したことである。50年前の南大東島での住民の生活がありありと映し出され、大変参考になった。なお、本ブログでは両氏が作成された住宅地図を掲載しているが、ご本人からの特別な許可を得たもので、ご配慮に感謝しています。

 


島の住宅事情

2023-09-08 19:30:02 | 旅行

 

 人が住むところには雨露をしのぐための住宅が必ずあります。南大東島にも住宅がありますが、正確な戸数は不明です(工場、事業所、官公庁を除く)。1世帯が複数の住宅を所有していたり、一戸建ての長屋に2世帯が居住していることもあることから、実際の戸数を計数することは不可能でしょう。2022年4月末での総世帯数が672世帯であることから、島の住宅は700戸弱ではないかと推測される。
 島の住宅をその用途から分類してみると下記のようになる。
  1 、自己所有住宅
 土地、建物共に自己所有の住宅である。日本の農村部では「家は自分のもの」というほぼ共通した認識がある。南大東島でも同様で、居住用住宅の大部分が自己所有と思われる。ただ、建物は自己所有だが、土地は借地の場合もあると考えられるが、借地の住宅については調べる方法が無いので不明である。
 2、賃借した住宅
 いわゆる借家のことです。島のあちこちには空家が見かけられるので、それを借りて住むという人が出てもおかしなことではない。しかし、島で戸建ての住宅を賃借する需要があるのかどうかが疑問である。企業からの派遣で、1週間や1か月程度の間島に居住するのであればホテルを利用すれば足りることである。長期に転勤することになれば、その企業が所有する社宅に入居すれば良いことである。実際に、地元で大きな工事を請け負っている土木会社、建築会社では、派遣した社員を住まわせる社宅を島に保有している。転勤してきた地方公務員や教員であれば官舎が用意されているので、住宅を借りる必要性はない。
 すると、戸建ての住宅を1年間とか2年間賃借するのはどんな人物と想定できるだろうか。生活のために独立した台所、浴室などが必要となる家族連れが該当する。また、長期にわたり島に住まなければならない理由が必要となる。例えば、島の風物を写生しようとする画家、珍しい昆虫や蝶を採取しようとするマニアなどが当てはまる。同じ離島の宮古島や石垣島では、定年退職した高齢者が移住している。しかし、観光地や名所もない狭い南大東島で老後を過ごそうという高齢者はいないであろう。こうしたことから推測して、島には賃貸住宅の需要は無いと考えられる。
 もし、住宅を賃借するとなればどのようにしたら良いだろうか。島には不動産屋が無いため仲介を依頼する方法は無い。口コミで借家の情報を入手するしかないであろう。ただ、島に自宅を所有している親戚から管理を任され、賃借して居住している人はいるかもしれない。
 3、店舗兼用住宅
 居住用の住宅であっても、商売に利用している場合もある。商店、飲食店などが該当し、建物の前半分は店舗で後半分が居宅である。このような店舗兼用住宅は島の中心部の在所集落と池之沢集落にしか見かけられない。他の集落は農業地域であるため、商売が成り立たないからある。
 4、店舗兼用住宅の賃借
 先ほど、島では住宅の賃貸はあり得ないと説明したが、店舗兼用住宅を賃借している例があるらしい。島で飲食店や飲み屋を営業するとなれば、在所集落にある歓楽街でなければ集客が見込めない。しかし、島の歓楽街は狭いため、店舗兼用住宅が売り出されることはないらしい。例えば、スナックを経営していて一時的に休業しても、将来は再開するかもしれない。また、一時休業していても子息にスナックを開業させるかもしれない。狭い歓楽街では、一旦店舗を売却してしまうと二度と入手することはできない。こうした事情から、店舗付き住宅の家主は売り渡すことは絶対にせず、休業している間だけ第三者に賃貸することがあるらしい。
 一段目、二段目の写真は在所集落にある典型的な住宅である。昔は木造の住宅が多かったが、最近ではブロック積みの住宅に変わってきている。三段目の写真はブロック積み住宅の建築途中を写したものである。四方の壁をブロックで積み、柱と梁を鉄筋コンクリートにし、屋根を木造のしてある。台風が多いためこのような設計になっているらしい。四段目、五段目の写真は農村地域の住宅である。

 

 


島の社宅、官舎

2023-09-07 14:20:55 | 旅行

 島には多くの社宅が見かけられる。これは南大東島の産業に大きく関連しているからである。まず、主力な産業が砂糖の生産である。農家が砂糖きびを栽培し、大東糖業が砂糖きびを買い取って粗糖に精製している。砂糖きびの栽培で一番忙しいのは、収穫時期の12月から翌年の4月の約5か月に集中している。この期間中、農家は砂糖きびを収穫しなければならず、大東糖業では刈り取った砂糖きびを粗糖に精製することになるが、工場は24時間稼働している。このため、この期間は農家も大東糖業も人手が足らず、季節労働者を雇用しなければならない。その季節労働者のために社宅を用意する必要がある。
 次に、島での特異な産業に公共事業がある。地方交付税により島のインフラを整備している。巨大な税金を投入して小さな島を整備するのは、地元に仕事を発生させ、島の経済を活性化するためである。日本の国土を守るためには致し方ないところである。このため、島には幾つかの土木会社があり、それぞれが従業員を雇用している。しかし、土木工事では専門の技能を持った技術者が必要であり、技術者は島外から採用しなければならない。従業員に居住してもらうため、各土木会社ではそれぞれ家族寮、独身寮を保有することになる。
 社宅が一番多いのは何といっても大東糖業である。一段目の写真は鉄筋コンクリート平屋造りの大東糖業の社宅で、最新の設備が設えてあった。二番目の写真は以前の木造平屋の大東糖業の社宅であり、前回の旅行の時はこのような社宅が沢山並んでいた。木造の社宅は老朽化により徐々に撤去され、その跡地には三段目の写真にあるように近代的な社宅が建築中であった。数年以内には木造の社宅は無くなるであろう。
 四段目の写真は、土木会社の家族寮である。どういう訳か不明であるが、土木会社の寮はプレハブ造りが多いような印象を受けた。工事の受注に変動があり、長期的な雇用を維持できないため、撤収が容易なプレハブ造りを採用したのかもしれない。五段目の写真は、地元で一番大きい株式会社丸憲の独身寮である。六段目の写真の手前は丸憲の独身寮で、その奥は株式会社大智の独身寮である。どちらの独身寮もスナック、居酒屋のある歓楽街まで徒歩5分の近さにあり、夜になって出歩くには便利である。
 また、沖縄本島に本社があり、島に支店や出張所を設置している民間企業もそれぞれ社宅を保有していた。七段目の写真は沖縄電力の社員寮である。
 島内には公務員向けの国営、県営の官舎も多い。一番大きいのは何と言っても南大東島地方気象台の官舎である。職員は十数人で、全員が国家公務員であることから定期的に転勤があり、宿舎は完備している。職員住宅は気象台の近くの南集落に2か所ある。
 県営の官舎は、診療所の医師用、歯科医師用、小中学校の教員用、県土木事務所の職員用などがある。公務員向けの官舎が目立っているのは、人口が少なくとも都会と同じ公共サービスを実施するためにそれだけの人数の公務員が必要のためである。
 村営の官舎が存在しているのかどうかは不明である。村役場に雇用された地方公務員には、役場の職員、保育所、幼稚園、介護施設、港湾施設などの職員と考えられるが、地元で採用された人達なので、自宅は保有しているので村営の官舎は必要ないと思われる。