前回の旅行では無かった新しい公共施設は、葬祭場・火葬場である。場所は県道183号線から在所集落に向かう村道を入ってすぐの、瓢箪池の反対側にある。会館の名称は「うふあがり安らぎ会館 一法山」という名称で、葬祭場と火葬場が一体となった施設となっていました。元々、この場所には「一法山大東寺」という浄土宗の寺院があった。島の開拓者の八丈島出身者に浄土宗の信者が多かったことから1919年に開山したが、1945年の空襲で焼失し、その後は再建されることはなかった。前回の旅行では、焼け残った石柱と納骨堂があるのを確認している。
戦前はこの大東寺で葬儀や法事が執り行われていたが、戦後は自宅で葬儀を行っていた(集落の集会場を利用することもあったらしい)。これでは不便であることから、葬祭場と火葬場を大東寺の跡地に設置したのだった。竣工したのは2022年10月で、竣工してから間もないため建物は綺麗であった。二段目の写真は建物を正面から見たもので、向かって左側が葬祭場で右側が火葬場である。二つの建物の間には新しい霊柩車が駐車してあった。四段目の写真は納骨堂で、焼けた大東寺ではここだけが鉄筋コンクリートであったので、空襲でも焼け残ったようだ。なお、火葬場は既に西港近くの墓地に設置されていたが、老朽化のため、葬祭場の新設に合わせで建て替えられたようである。
さて、近代的な火葬場が新しく設置されたが、その利用機会は少ないようである。人口が1千2百人弱であり、死亡者が少ないことが理由であるが、その外に島独特の理由がある。島民が亡くなる場所が南大東島ではなく、那覇市内の方が多いからである。南大東村の高齢者に介護や治療が必要となると村の医療施設では対処できず、那覇にある介護施設、専門病院に移送される。このため、移送された高齢者は那覇にある護施施設、病院で亡くなることなる。すると、遺族は火葬を那覇市内で執り行い、南大東島では行わない。このことが新設された島の火葬場があまり利用されていないことの理由である。
ただし、島内で亡くなられた場合には、島にある火葬場が利用されることになる。殺人事件などで検死する必要があれば別であるが、遺体を那覇まで搬送する必要性が無いからである。島内で人が亡くなられるのは、内蔵疾患による突然死か事故死のいずれかではなかろうか。
火葬場は余り利用されていないようだが、葬祭場は盛んに利用されているようであった。その理由は、遺族は那覇で親族だけの家族葬などの小さな告別式を執り行い、後日、島の葬祭場で七七忌などのお別れ会を開催するからである。地元で七七忌を行えば、遠方の那覇で開催された告別式に参列できなかった知人も参加するのが容易となり、参列者も多くなるであろう。
島民の死亡が島外で多いことは、村役場で発表した村勢要覧と民間企業がネット上に開設した「沖縄お悔やみ情報局」の情報を比較することで簡単に理解できる。「お悔やみ情報局」というのは、一種のSNSサービスであり、葬儀を行う遺族が地域を指定して物故者名、葬儀日程などを投稿すると、ネット上で一覧として掲載されるシステムである。このSNSサービスで、地域を「南大東村」と指定すると、現在、過去の告別式、七七忌、お別れ会の案内が検索できる。民間のSNSサービスであることから、遺族の全員がこのような告知を投稿する義務はない。だが、南大東島という狭い社会であっては、訃報を告知しない島民はいないであろう。知人が亡くなった事実は一瞬の内に島内で噂になり、それを遺族がSNSサービスで告知しないと不審に思われるからである。このため、島民が亡くなるとその情報は「お悔やみ情報局」に必ず投稿されていると考えて間違いないであろう。
村勢要覧で発表された死亡者数と沖縄お悔やみ情報局に掲載された訃報の人数を比較したのが下記の表である。
村勢要覧 訃報情報
2018年 4名 5名
2019年 3名 3名
2020年 3名 2名
2021年 1名 5名
2022年 1名 5名
実際に亡くなった人数と村勢要覧で発表された死亡者数に差が出るのは、住民票の関係ではないかと推測される。那覇で長期にわたって介護や治療を受けている高齢者は、住民票を那覇市に移動させている。すると、死亡時は那覇に居住していたことになり、南大東村の統計には集計されない。これが村勢要覧で死亡者数が少なくなっている理由であろう。
さて、島で人が亡くなり、告別式が行われることになると、読経をする僧侶が必要になる。現在、島内には寺院が無いため、常駐している僧侶はいない。以前は南大東中学校の音楽の教員で西浜先生という人がお経を唱えるのが上手かったため、葬儀の際には西浜先生が呼ばれて読経していたらしい。当該の教員は転勤で那覇に戻ってしまったので、今は読経してくれる人材はいないようだ。このため、島で告別式を行う場合には本島から僧侶を呼んで読経してもらうらしい。僧侶を呼ばない場合には、役場から借り出したCDによりお経を再生しているとのことであった。