新・南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2023年

2023年、11年振りに南大東島を再訪しました。その間、島の社会・生活がどのように変わっていったかを観察しました。

島の駐在所

2023-08-21 14:27:43 | 旅行

 島にある駐在所は以前と同じ場所に、同じ姿で残っていた。変わったことと言えば、駐在する警察官の人数が2名から1名に減ったことと、パトカーが普通車から軽四のミニパトに変わったことである。
 村誌によれば、1946年に大東警察署が設置された時は署長を含めて10名が勤務していた。1951年に大東警察署が那覇警察署の管轄下になって大東派出所になると警察官は6名になり、1954年には4名に縮小され、さらに1978年には2名となった。駐在所員の人数が減っていったのは、島の人口が減っていったことと関係するようである。だが、二人勤務から一人勤務に縮小されたのは人口の減少とは無関係のようだ。前回に旅行した時の2012年の人口は1260名で、2023年では1190名になり、それほと大きく人口が減っているとは思われない。島では大きな事件も発生せず、治安が良いことから、那覇警察署は経費削減のために駐在所を一人勤務体制に移行したのではなかろうか。
 なお、那覇警察署は那覇市内を管轄するが、南大東島、北大東島、久米島、粟国島、渡名喜島、渡嘉敷島、座間味島も管轄しており、管轄範囲は極めて広い。
 駐在所の中には視力を検査する装置が置いてあり、ここで視力検査をして運転免許証の更新をしていた。ただ、ここで免許証を発行するのではなく、更新申請書類を那覇に送ると折り返し更新した免許証が返送されてくるようになっている。通常の免許更新はこの方法で良いのだが、高齢者が更新するときはどうするのだろうか。満70歳以上の高齢者が免許を更新する場合には、高齢者講習と実車運転試験が必要となるが、島にはそのような設備はない。もしかしたら那覇まで出掛けなければならないかもしれない。
 現在、島には高等学校が無いため、中学校を卒業するとほぼ全員が那覇の高等学校に進学する。卒業する直前には全員が自動車免許を取得して帰ってくるそうです。その昔、1970年代から暫くの間は、那覇の警察署から担当者が出張し、島内で自動車免許の試験を実施していたらしい。路上で運転試験したとは思われないので、中学校の校庭で実施していたのかもしれない。どんな試験方法であったか、知りたいものである。
 三段目の写真は、駐在所内に貼られている指名手配のポスターで、内地と同じものでした。しかし、島に住んでいる人達はほぼ顔なじみであり、見かけない人が歩いていれば直ぐ判ってしまう。危ない恰好をした人がいたら、すぐ通報されるでしょう。指名手配のポスターを貼っても、島ではあまり役に立たないのではないかと思われますが。
 以前の駐在所では2人勤務であったため、上司と部下の2人が隣り合わせた官舎に住んでいた。このような住環境では、毎日家族同士が顔を突き合わせることになり、上司も部下も気苦労があったと思われる。それが一人勤務ということになると、人を管理することも管理されることも無く、精神的には気楽なものである。しかし、一人で島の治安を担うのは大変なことある。四段目の写真は南大東島空港で搭乗客を監視している警察官である。毎日2便ある定期便の離陸の際には必ず立ち会わなければならない。365日24時間働いているようなもので、コンビニストアーの店長のようなものある。病気などで体調が不良な時はどうするのか、と尋ねたところ、「余程の大病でない限り、多少の熱が出た程度では頑張って警備するために出動しています」とのことだった。
 南大東島の駐在所に派遣される警察官は2年から3年で交代するようである。しかし、警察官によっては離島への転勤を希望し、人生の大半を離島の駐在所で過ごす人もいるらしい。不便であるがノンビリとした離島の生活に憧れ、出世は望まずに気楽に生きていこう、という人である。広い日本では、そんな生きかたをする人がいてもいいでしょう。

 


交通事故

2023-08-19 17:18:10 | 旅行

 駐在所の前庭には証拠保全のためか、事故にあった自動車が保管されていた。島では人身事故は少ないようだが、自損事故は多いようだ。その原因は農地の土壌にある。農地から流れ出た土により自動車のタイヤがスリップし、事故を起こすらしい。
 南大東島の農地は石灰岩に腐食土が混じったもので、粒子が非常に細かい。石灰岩はセメントの材料になるものであり、島の土がセメントの粉と同じ大きさの粒子と考えればいかに細いかが判るはず。内地の粘土よりも細かいのではないかと思われる。また、石灰岩による土は結合力が弱く、水と混合しても粘土のように固まらない。あたかも重油のようにドロッとした半流動性の状態を維持している。二段目の写真は県道に接近した農地を写したものである。雨が降ると、農地の土に雨水が混じって水泥状となって県道に流れ出る。固いアスファルトの上を水と混じった石灰質の土が覆うと、アスファルトには滑りやすい皮膜が形成されたことになる。ここを自動車が走行すると、あたかもグリースの上を走行するようにハンドル操作ができず、車体が流されて衝突することになる。島では、このスリップ事故が一番多いようだ。
 私もバイクを運転中、水泥状となったアスファルトの上を走行しているときスリップし、危うく転倒しそうになったことがあった。島の観光協会が発行しているパンフレットには、「バイクは滑らないようにご注意!」と印刷されていた。これは、観光客がバイクで転倒する事故がいかに多いのか、という証左であろう。

 


デジタル社会化

2023-08-17 15:59:28 | 旅行

  今回の旅行で、島の貨幣経済が大きく変わったと感じられたのは、電子マネーが使用できるようになったことである。一段目の写真はスーパーミナミ、二段目の写真はJA南大東のレジであり、カウンターには使用できるカードの種類が表示されていた。nanaco、waon、Edyなどのほぼ全ての電子マネーに対応していた。一部のクレジットカードにも対応できるようである。
 私は東日本旅客のSUICAを使用したが、これが何と使えてしまった。沖縄県には鉄道が無いため、鉄道系のカードは対応できないのでは、と考えていた。ただ、那覇にはモノレールが運行していて、モノレールではSUICAが使用できる。このため南大東島でも利用することができるようになったのかもしれない。
 前回の旅行では、島内のどこの店に行っても現金払いであった。電子マネーが利用できるようになったのは、島に高速光ファイバー通信回線が敷設されたからであった。本島と南大東島の間に海底ケーブルが施設されたの2011年であり、私が最初に島を訪問した前年のことであった。この海底ケーブルにより本島との間で高速で大容量のデータ通信が可能となった。それまでの島の通信手段は衛星通信に頼っていたので、データの通信速度は64Kbps程度であったらしい。それが光ファイバーによる通信網が完成したので、高速通信が可能になった。
 私が2012年9月にホテルよしざとのWifiに接続して計測した記録では、下り速度は1.02Mbpsであった。この計測値はデジタル機器の性能により変わるため、高性能のWifi端末を使用したならもっと高速になっていたかもしれない。しかし、この速度では電子マネーを決裁するには遅い。それから11年が経過した今回の旅行では、プチホテル・サザンクロスのWifiを利用して通信速度を測定すると、下り速度は113Mbps、上りは56.8Mbpsとなり、格段に向上した。これは2022年より、超高速光ブローバンドサービスが開始されたからである。これだけの通信速度が確保できたので、スーパーなどでは電子マネーの決裁が可能となった。
 現在、島では、下り速度が1Gbit以上になる高速光ファイバー回線の契約(いわゆる1ギガプラン)が実施されていて、既にこの超高速回線を使用している人もいるらしい。全国各地の通信速度を公開している「みんなのネット回線速度」というホームページには、南大東島在住のネット回線利用者からの測定速度の投稿がある。この投稿によれば、2024年6月25日にOCNのプロバイダーの光回線で速度計測したところ、下り速度は842Mbps、上り速度は560Mbpsを記録している。こうなると、通信環境は内地とほぼ変わらなくなっている。
 なお、島内で電子マネーが利用できる店舗は数店に止まっているらしい。島内の飲食店はどこに行っても現金での支払いを要求された。電子マネーを処理する装置の導入費用がかかることと、電子マネーを利用する顧客がこれから増えていくことが想定できないからであろう。


借りたバイク

2023-08-15 18:55:42 | 旅行

  前回の旅行では奥山モータースでバイクを借り、3日間島中を走り回った。今回もバイクを借りよう奥山モータースに出掛けたが、生憎と豊年祭の間は休業で、バイクを借りることが出来なかった。狭い島内であるが、あちこちと飛び回るにはバイクが無いと何かと不便である。この窮状をホテルよしざとの社長に相談したところ、近所で空いているバイクを見つけてくれた。私の免許証も確かめず、無償で貸し出してくれたのはとても有り難いことであった。ただ、お借りしたバイクは大変なものであった。
 バイクには大手建機レンタル会社のシールが貼られていることから、地元の建設会社向けにレンタルしていたのであろう。購入してから時間が経過したので償却期間が過ぎ、レンタル会社では不要になったが、バイクを本島に持ち帰る費用が嵩むので地元の人に無償で譲渡したと思われた。かなり古いが、エンジンは一発で始動でき、馬力も出て運転するには何の支障もない。ただ、一番の問題はキーが抜けないのである。キーを回転させて、始動、停止はできるが、鍵の内部が壊れているのでキーを抜き取ることができない。
 もし、この状態のバイクを都内で駐車していたなら、たちまち盗難に会うことは間違いない。しかし、ここでは誰も盗まないのである。島内では、誰がどんなバイクに乗っているのか誰も知っている。無断でバイクを乗り回していれば直ぐにバレてしまう。これがキーが抜けないバイクが島に存在する理由である。それだけ南大東島は安全なのである。

 


星野洞

2023-08-13 17:38:46 | 旅行

  南大東島はさんご礁などが堆積した石灰岩が隆起した島である。石灰岩であることから、雨水がしみ込むと石灰岩が浸食されて鍾乳洞が出来上がる。島には鍾乳洞が120か所あると言われ、戦時中は防空壕に利用されたこともあった。島は米軍による激しい艦砲射撃を受けたが、意外に戦没者が少なかったのは軍民が島内の鍾乳洞に退避していたからであった、と言われている。
 島の鍾乳洞で一番大きいのが星野洞で、広さは1千坪、長さは375メートルある。星野さんという人の私有地にあることから、星野洞と名付けられた。入口から地下33メートルまでは防空壕のようなコンクリート製の通路が設えてあり、鍾乳洞内には金属製の階段と照明装置が設置されている。整備には相当な金額がかかったが、その費用は1988年の竹下内閣時代に交付された「ふるさと創世事業」の交付金で賄われた。この交付金は1地方自治体に1億円が交付され、南大東村にも交付された。この交付金を原資にして、星野洞を観光客向けに整備したのであった。当時はバルブ経済の最盛期であり、小さな島にもふんだんな税金が振る舞われた。
 なぜ、この小さな鍾乳洞に大金を投じて整備したかと言えば、島にはこの場所以外にこれと言った名所が無いからである。島に観光客を呼び込むためには目玉になるような名所がなければならない。しかし、開拓が始まってから百年の歴史しかない島では、魅力のある名所がない。展望台や海岸などに案内しても、そこで観光客が風景を一望すれば5分でお終いである。しかし、観光客が鍾乳洞を一通り廻れば、小1時間ほどは時間を過ごせる。島に観光客を呼び寄せるには、ある程度の時間を潰せるような名所が必要なのである。このような理由で星野洞には大金が投じられた。
 一段目の写真は村道から管理所の方向を写したもので、二段目の写真は新旧の管理所を写したものである。この管理所で大人1名当たり入場料8百円(2024年5月からは千円)を支払うと星野洞に入る鍵を貸してくれる。三段目の写真は星野洞の入口で、借りた鍵で観光客自らドアーを開け、地下の巨大な鍾乳洞を見学できる。私は鍾乳洞には関心が無かったので入場しませんでしたが。
 左側にある建物は旧の管理所で、現在は使われていない。右側は新の管理所で、中央には休憩所があり、左側が入場料を徴集する事務室、右側にトイレなどの設備がある。建物前にある駐車場は15台を収容できる広さがあり、立派に整備されていた。建物、駐車場は立派なのですが、ここまで整備する必要があるのか疑問です。年間の来場者数は約2千人程度(2023年度、観光協会調べ)と推測され、観光客の数に比べて設備が豪華過ぎるのです。観光客を乗せた自動車が一度に15台も駐車するとは思われません。離島支援の助成金が余ったので、整備費用に当てたのかもしれません。
 私が訪問した時、管理所には中年の女性が1人で留守番していた。年間の来場者が少ないので、もしかすると観光客が来ない日もあるかと思われます。それでも彼女は待ち続けるのです。それは島に職場が少ないからと思われます。役場(観光協会)では職場を作り、島の住人に働く場所を与え、生活できるように支援しているのです。島に住んでいただいて、人口の減少を防いでいるのです。島を守り、国土を確保するには、島に職場を作るのが一番なのです。