新・南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2023年

2023年、11年振りに南大東島を再訪しました。その間、島の社会・生活がどのように変わっていったかを観察しました。

大東ゴルフ倶楽部

2023-08-11 13:36:59 | 旅行

  南大東島には小さいながらゴルフ場もあります。20年以上前には、月見橋の付近に打ちっぱなしのゴルフ練習場がありました。水に浮かぶゴルフボール(フロートボール)が開発されたことから、地元の業者が瓢箪池に向けてフロートボールを打ちっぱなしする練習場を開設したようです。しかし、フロートボールを打つだけでは変化が無く、飽きられるのが早く、比較的早い時期に閉鎖したようです。前回の旅行では、このゴルフ練習場の跡地を見ましたが、現在は月見公園に改修されていました。
 芝を貼った本格的なゴルフ場である「大東ゴルフ倶楽部」が開設されたのは2003年でした。コースはアウトが13ホール、インが9ホールで合計22ホール、パー67で開業しました。ただし、インのコースはアウトと共通していて、ホールの位置が相違するだけとなります。現在、アウトの10番ホールから13番ホールは閉鎖しているため、アウト、インがそれぞれ9ホールでラウンドすることになります。
 グリーンフィーは、アウトの9ホールで2千円、インの9ホールを回ると千円の追加となり、18ホールを回ると3千円になります。会員権は販売していませんが、年会費3万円を支払うと9ホールのグリーンフィーが千円の割り引きになる特典があります。一段目の写真は1番ホールのコースを撮影したもので、比較的フラットなコースです。元々は砂糖きび畑であった場所をゴルフ場に転用したからです。私はカリブ海の島にあるゴルフ場を巡ったことがありましたが、砂糖きび畑を転用したゴルフ場を数多く見かけました。世界的な砂糖価格の低下により、砂糖きびを栽培するより観光客相手にゴルフ場を運営した方が利益になると判断したからでした。このコースの風景を見ていると、カリブ海のゴルフ場が思い出されました。
 二段目の写真はクラブハウスです。一階の右側がクラブハウスとなっていました。建物の大部分は資材や保守機材の倉庫となっているようです。以前は一階に「食事処銀ちゃん」というレストランもあったのですが、利用者が少なかったためか現在は閉鎖されています。クラブハウスの外観は何となく建築現場に設置される建物を連想させますが、ゴルフ場の親会社が地元の大智という建設会社のためでしょう。
 三段目の写真はクラブハウスの受け付けで、マネージャーがテレビを鑑賞しながらノンビリと待機されていました。南国にある離島独特の、ゆるやかな時間が流れていく雰囲気が伝わってくるようです。

 


ゴミ焼却場

2023-08-09 11:55:28 | 旅行

 

  島内は一種の消費社会であり、本島から運ばれてくる多種多様の消費財を購入し、使い終わったなら廃棄する。小さな島なので、廃棄したゴミをそのままにしたら島中がゴミだらけになってしまう。かっては衣類、パッケージなどの紙類、プラスチック類などは野焼きしていたらしい。燃えない金属類は穴を掘って埋めていたようだ。また、大きな家具などは海岸付近のゴミ捨て場に放置していた。大型のゴミは台風の時に強風で太平洋に吹き飛ばされ、自然の力でゴミが清掃されていた。しかし、島での生活が近代化して日常生活用品の消費量が多くなると、穴埋めでは間に合わなくなると共に、野焼きが法律で禁止されるようになった。このため、島では近代的なゴミ処理を実施する必要となり、1983年に村営墓地の奥にゴミ焼却場が竣工した。その後、ゴミ焼却設備にはダイオキシンを排出しない対策を講ずる法律が施行され、2000年には新しいゴミ焼却場を完成した。一段目の写真で手前にあるのは旧のゴミ焼却場であり、奥にあるのが新しいゴミ焼却場である。
 二段目の写真は焼却場をゴミ投入口から撮影したもので、ここでは3台のパッカー車が運用されていた(もう1台は写真の背面に駐車してあった)。三段目の写真は焼却炉の制御室で、設備は小さいが一日に3トンの処理能力がある。また、瓶類、アルミ缶類などの不燃ゴミは仕分けされ、定期便で沖縄本島に搬送してリサイクルされていた。
 この焼却場で焼却されたゴミの残滓は、2009年に完成したエコセンターという廃棄物処分場で保管される。内地の廃棄物処理場と同じように、掘った穴に防水シートを敷き、その防水シート上に残滓を投入して管理していた。ただ、この方法による保管が何時まで続くのか問題となりそうです。東京都であれば、残滓を東京湾の沿岸に埋め立てることができるが、南大東島の海岸は断崖絶壁のため埋め立てすることができない。ゴミの残滓は毎年増え続けているのですから、何時かは満杯となるでしょう。計画では今後20年間は残滓の受け入れが可能ですが、ここが満杯になったら沖縄本島に移送して、本島での埋め立てに利用されるかもしれません。


廃棄物の処理

2023-08-07 15:18:24 | 旅行

  一般家庭ゴミや資源ゴミは、村役場のパッカー車や資源回収車で回収し、焼却するか素材別に分別してリサイクルしている。それ以外の焼却できない廃棄物は本州と同様に有料で処分されている。産業廃棄物は、金城重機土木、大成、丸憲が処分業者として指定されている。これらの企業は土木・建築会社であり、自社からも建築廃材などを廃出しているからである。
  家庭から廃棄される、冷蔵庫、エアコン、洗濯機、テレビについては家電リサイクル法により有料で回収されている。南大東島でもこの法律に従い、一般家庭から出される家電4品目は全国共通の費用を支払って回収されている。島には2か所の集積場があり、そこに自ら持ち込むか指定された電気店(南大東島では奥山電気しかありませんが)に回収を依頼する。一段目の写真は在所集落にある集積場で、粗大ゴミが品種別に集められていた。ここで一定の数量まで粗大ゴミが溜まると、まとめてコンテナーで那覇に搬送している。島から那覇までは船で400キロメートルもあるため、内地と比べ運送費が嵩む。このため、地域による処分費用の平等化を図るため、家電4品目の回収手数料の徴集代行をしている家電製品協会では、離島対策事業協力として運搬費用を助成している。しかし、過去に事業協力が決定した対象の市町村で、南大東村は2017年度(平成29年度)に一度だけ助成金を受領しているだけである。同じ沖縄県の宮古島市では、毎年のように助成金を受領している。南大東村が支援の要請をしなかったのは、財政的に余裕があったためかもしれない。
 また、耐久年数が過ぎた廃車は、自動車リサイクル法により解体業者などに引き取ってもらい、分解して有用資源を回収している。しかし、島には解体業者が無いため、やはり船で那覇まで搬送する必要がある。大東海運を利用して軽四輪車を搬送すると5万円弱、普通自動車では6~7万円かかるらしい(重量、車種によって運送費が相違する)。これでは内地の消費者に比べて負担が大きくなるので、自動車リサイクル促進センターでは離島対策支援事業を実施している。この支援制度では、那覇までの運賃の最大8割を上限とした助成金が支給されている。
 二段目の写真は、業者に回収を依頼せず放置された廃車である。数多くは見かけられなかったが、島の所々で廃車を見かけた。私有地に置かれていることから放置車でないため、役場としては業者への引き渡しを強制する訳にもいかず困っているらしい。沖縄の離島の多くは公共交通機関が無いため自家用車の普及率が高く、放置車が多くなった時期があり、社会問題となった。このため、2007年には行政代執行により離島の放置車を一掃したこともあった。沖縄の離島によっては、自動車を持ち込む際に廃車保証金を徴集する自治体もあるらしいが、南大東島では実施されていない。
 さて、島内のあちこちを歩いて感じることは、どこも奇麗なことです。道路にはペットボトルは落ちておらず、集落には煙草の吸殻が見当たらない。島民の環境に対する意識が高く、常に清掃が行われているからと思われた。島民の意識が高くなったのは、2012年より始まった循環型社会形成計画の影響があるらしい。狭い島で全ての廃棄物を処理するには、排出量の抑制、ゴミの分別回収などを実施して環境の負荷を軽くする必要がある。このため、村では循環型社会へ移行するための啓蒙活動を実施し、ゴミ処理への意識を高めてきた。島が奇麗なのは、この啓蒙活動の成果であろう。
 各集落では、年に一回住民総出で清掃活動しているらしいが、その他に2023年には島外からボランティアを集め、美化活動を実施している。これは、清掃活動に賛同する島外の人を募集し、島までの旅行費用を支援しようというキャンペーンであった。旅行費用の6割を援助する、という大判振る舞いの事業で、主催したのは「島まーる」という離島を紹介する沖縄県企画部であった。
 三段目の写真は空港ロビーに設置された分別ゴミ箱である。都内の各駅からはほぼ全てのゴミ箱が撤去されたが、島では住民の協力により一般ゴミを分別して回収していた。

 


上水道施設

2023-08-05 19:42:56 | 旅行

  日常生活のためには生活用水が必要であるが、南大東島は亜熱帯海洋性気候で温暖なのだが降水量が少ない。年間降水量は、沖縄本島の2000ミリに対して南大東島は1600ミリである。また、島での降水は梅雨シーズンと台風シーズンに集中しており、台風の来島回数が少ないとたちまち干ばつになる。このため、島では開拓時代から飲料水や生活用水に悩まされていた。
 戦前は、飲料水の確保に苦労していたようで、屋根に降る雨水を集めた天水や掘った井戸から汲み上げた地下水を利用していた。トタン葺きの屋根で回収した天水は問題が無かったが、ビロウの葉(シロッパ)で葺いた屋根で回収した天水は色が付いて臭気があったという。島にはあちこちに池があり、湖水が溜まっているので、この湖水を飲料水にできるのではないかと考え易い。しかし、島の土壌は石灰岩で空洞が多く、池の底は太平洋の海水とつながっていて、湖水の底部は海水なのである。湖水の表面にだけ比重の関係で雨水が浮かんでいるのである。そして、各池の水面は海の満潮干潮により上下している。このことから、井戸水については島独特の問題があった。井戸を掘って真水を汲み上げようすると海水が混じるのである。
 天水を貯留した水は長期に保存すると衛生上の問題があり、井戸水は塩分が含まれていて健康上の問題がある。この問題は開拓時代から戦後まで長い間続いていた。
 このため、村では、阿弥陀池から取水し、濾過して各戸に給水する簡易水道を1976年に完成した。しかし、給水できたのは在所集落周辺までで、1986年の普及率は56%であった。他の集落は相変わらず天水と井戸水に生活用水を頼らざるを得なかった。
 1990年になって逆浸透膜を利用して海水を淡水化して飲料水として供給する海水淡水化施設が完成し、島内全戸に給水できる簡易水道が敷設された。その後、2023年に施設は沖縄県企業局に委譲され、本水道に昇格した。企業局による管理は、水道用水供給事業の拡大によるもので、本島と離島における水供給サービスの格差を解消するの目的であった。これにより、村が水道施設を管理していた時期に比べ水道使用料が大幅に減額されることになった。
 村が管理していた時期の水道料金は、基本の最初の6立方メートルまでは1812円で、追加使用の1立方メートル毎に425円であった。企業局の管理に変わって、水道料金は基本の最初の6立方メートルまでは1628円で、追加使用の1立方メートル毎に374円が加算されることになった(2023年現在)。
 しかし、これでも未だ本州の市町村に比べて高いものである。東京都23区の使用料金と比べてみよう。東京都での標準的な利用契約は呼び径20ミリで、基本の最初の5立方メートルまでは1170円で、それ以降の追加料金は使用量により段階的に上昇して加算されている(2023年現在、なお、この料金は2005年以降変更されていない)。
 東京都での4人家族の平均的な毎月の水道使用量は23.1立方メートルである。この使用量で東京での毎月の水道料金を計算すると3322円となる。同一の条件で南大東島での水道料金は8357円となり、2倍以上となる。離島での水道水がいかに高いかが理解される。
 一段目、二段目の写真は淡水化施設の外観である。三段目の写真は給水塔を撮影したもので、手前にあるのは簡易水道を設置した時に建てられたもので、1984年に竣工している。奥の給水塔は現在使用している新設されたものである。

 


天水タンクと井戸

2023-08-03 11:42:35 | 旅行

 前述したように、島の水道料金は非常に高い。運営費の高い逆浸透幕により海水を淡水化しているためで、料金が高くなるには仕方ない。このため、各家庭では出費を避けるための自衛手段を取っていた。それは、水道による給水は飲料とシャワーに極力限定し、洗濯や掃除などには天水か井戸水を利用することである。島の各戸に水道管が敷設され、水道水が自由に使用できるようになった現在でも天水タンクと井戸を利用している民家は多い。
 一段目の写真は在所集落にある民家の天水タンクである。腰の高さまである土台の上にコンクリート製のタンクが設置され、土台の前には流し台が設けてあった。タンクの底には蛇口が付けられていて、手作業するには便利なように設計されていた。左側にあるのは電気洗濯機で、この家庭は屋外で洗濯されてみえるようだ。
 二段目の写真はやはり在所集落で見かけた井戸である。井戸には電動ポンプが使用されているが、全島電化になる前は手押しポンプで汲み上げていた。電化の工事が完了したのは1968年であったが、この時は給電時間に制限があり、夜間だけだったらしい。全島24時間の電力供給は1971年になってからであった。こうしたことから、島では水の確保には長い間苦労させられていた。
 三段目の写真は、天水と井戸の両方を利用し、タンクに水を貯留している事例である。四段目の写真は巨大な天水タンクで、平屋の屋根とほぼ同じ高さまである。家庭で利用するには大きすぎるタンクなので、天水を何かの業務に使用するために設置したのであろうか。ただ、島内にはクリーニング店は無いので、クリーニング用ではなさそうである。