ドイツとフランス「不仲な隣国」の長いつきあい
── ドイツ大使館ホームページ
2013-08-19 18:49:02
http://blog.goo.ne.jp/c2…/e/b86117670c74959dec8d479bea05bcf8 過去に転載していたもの。ドイツのものの出し方、行動がおもしろい。
かつてドイツが支配(ナチス傀儡政権といわれる)、連合軍反攻(the longest day)、ドイツ敗戦・分割統治、独立、東西再統一。
ナチスドイツを「過去の克服」として、ドイツは「戦後外交」。領土問題も処理して、いま、ヨーロッパの中心2国だという…。
*アルザス=ロレーヌ(地図)
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ドイツ大使館ホームページ(2012年9月5日)から──
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ニュース@ドイツ: 独仏友好50周年
独仏友好50周年:「それぞれの時代、世代が、それぞれの挑戦課題を乗り越えなければならない。」
ギド・ヴェスターヴェレ外相とフランスのローラン・ファビウス外相は、9月5日にボンで市民と共に、独仏友好50周年を祝いました。
50年前のド・ゴール大統領訪独を記念する銘板を除幕
(©Photothek/Trustschel)
50年前ボンでは、数十年にわたる危機と戦争を経て、独仏友好関係に向けた方向づけが行われました。1962年コンラート・アデナウアー首相は、レ―ンド ルフの私邸にフランスのシャルル・ド・ゴール大統領をむかえました。両国首脳はこの際に、のちに独仏友好関係を制度として定着させる、エリゼ条約の基礎と なった構想について話し合いました。1962年9月5日、ド・ゴール大統領は、ボン市庁舎のテラスでスピーチを行って注目を集め、「ボン万歳、ドイツ万 歳、独仏友好万歳」と市民に呼びかけました。ヴェスターヴェレ外相とファビウス外相は、ド・ゴール大統領訪独の記念碑を除幕しました。
「コンラート・アデナウアーとシャルル・ド・ゴールによって、独仏友好関係の偉大な歴史が始まったのです。その幅広さと深さは、世界的にも類のないものです」と、ヴェスターヴェレ外相は述べました。
生徒たちとの討論
(©picture-alliance/dpa)
アデナウアー首相とド・ゴール大統領が1963年にパリで署名したエリゼ条約は、ドイツとフランンスの和解への基盤となりました。友好条約には両国の大臣 による定期会談が定められ、その後の数十年でさらに制度として拡充されました。これ以降ドイツとフランスの協力関係は、ドイツ外交の重要な柱となり、また ヨーロッパ統合の原動力となりました。最初からその中心となったのは、ドイツやフランスにおける人々の出会いでした。両国政府だけでなく、両国の社会も親 しくなるべきだという考えでした。その中でも成果をあげた具体的交流のほんの一例として、姉妹都市や青少年交流があります。この様な交流は、独仏友好関係 を今日も生きたものにし、市民社会に根付かせるのです。
独仏関係の将来は、両国の外相にとって特に心に掛かるテーマです。ヴェスターヴェレ外相とファビウス外相はボンの市庁舎で、生徒たちと独仏関係に関して議 論しました。フランスのファビウス外相は、両国の相互理解における語学の意義をとりあげ、ドイツの生徒に対して、もっとフランス語を学ぶよう呼びかけまし た。
一方ヴェスターヴェレ外相は、ドイツとフランスの友好関係は、ヨーロッパの将来において中心的な役割を演じると考えます。これに関連して、ヴェスターヴェ レ外相は、「それぞれの時代、世代が、それぞれの挑戦課代を乗り越えなければいけない。」とし、さらに外相は、今はドイツとフランスが、ヨーロッパのパー トナーと力を合わせて債務危機を乗り越え、ヨーロッパの団結を強化することが必要だ、と述べました。両国外相は、ヨーロッパを未来への軌道に乗せるとい う、共通の責務を確認しました。
(2012年9月5日)
今号: ドイツ大使館とドイツ総領事館のHP、www.japan.diplo.deがオープン!
これまで、ドイツ大使館、ドイツ総領事館それぞれのホームページでご紹介していた情報が新HPwww.japan.diplo.deで一括してご覧いただけるようになりました。
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