日吉大社から1㎞程北にある名刹、西教寺を訪れました。
<<晩秋の大津・坂本/電車で琵琶湖周回-06>
西教寺では、多数のもみじが、紅葉の盛りを迎えていました。
紅や黄に色付いたもみじの葉が、明るい日差しを受けて、錦秋と呼ぶに相応しい色彩で染め上げた境内を巡り、美しい風景と晩秋の風情を堪能します。
<西教寺>(公式サイト)
<西教寺>
日吉大社から北へおよそ1km、約15分程歩いて、西教寺(さいきょうじ)へ到着しました。
立派な総門と、色付いたもみじのトンネルがお出迎え^^
西教寺は、天台宗の一派である天台真盛宗の総本山です。
正式には、「天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺 (てんだいしんせいしゅうそうほんざんかいこうさんけんほっしょうさいきょうじ)」というそうです(公式サイトより)。
聖徳太子による創建とも伝えられていますが、長い荒廃の時期を経て、文明十八年(1486年)に真盛上人(しんせいしょうにん)が入寺して復興、以後全国に400程の末寺を抱える総本山となり、栄えてきました。
すっかり葉を落としたもみじの樹もかなりあり、見頃のピークは越えていた感じでしたが、それでも美しい色合いに染め上げられたもみじのトンネルは、見応え充分でした!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
撮影に興じる、参詣者の姿は途切れることがありません。
それでも、ゆったりとした気分で、紅葉を落ち着いて眺めることのできた、西教寺でした。
西教寺の境内には、とても見栄えの良い枝振りの、大きなもみじの樹がたくさんありました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
この大きな樹の色付いた葉が、日差しを浴びて輝きながら、透明感を増していく美しさは、それは素晴らしい眺めでした!
それにしても、日差しを浴びたもみじの紅葉の鮮やかさには、いつ見ても感動を覚えます。
紅だけでなく、黄色に色付いたもみじの樹も、西教寺では目立っていました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
所々、紅や緑を帯びて、1株で様々な色合いのグラデーションを、ジックリと鑑賞。
黄金色の輝きも、楽しみました♪
黄のモミジを、これ程丹念に見つめたのは、恐らく今回が初めてです(^^;)
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
もみじといえば、つい、鮮やかな真紅に染まるイメージがまず思い浮かびますが、上品な黄色の色合いのもみじにもまた、素敵な風情を感じることができますね。
陽を浴びて明るく輝く感じは、紅を凌ぐのでは…とすら思えました!
もちろん、定番、王道ともいえる、真紅のもみじも、まだまだタップリと楽しむことができます。
もみじの、この紅自体の美しさもさることながら、小さな葉が重なり合った集合体の、不思議な濃淡の素晴らしさに、すっかり心を奪われてしまいますね。
下から見上げると、枝垂れ掛かってくるような迫力を感じた、もみじの樹。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
これが、夏までの期間には、緑色であったということが、俄かには信じられない程の、紅への染まり様。
本当に、人智を凌ぐ、自然の芸術です。
石段の頭上には、お約束のように、もみじが覆い被さりますw
片側は紅、もう片側には黄、と、綺麗に二分された色彩が、離れて眺めても見事な景色でした。
石段に積もる敷もみじも、晩秋の情感を醸し出します。
紅と黄とが交じり合う教会の辺りを、アップしてみました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
小さな葉の一つ一つの形が、夥しく重なり合う質感に魅せられ、視線が釘付けに。
この、ぼやけ気味に混ざり合った、色の移ろいが、紅葉を愛でる醍醐味ですね!
この輝きと透き具合とを、どう説明したら上手いこと伝わるでしょうか;
ただただ「凄い…!」としか言いようのなかった、猛威を振るって燃え盛る炎の如く感じた、逆光での絶景でした!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
多様な色彩、幹や枝の質感にも、感動を覚えた光景です。
石段の途中で足を止める人多数であったのも、納得でしたw
石段を上がると、本堂に辿り着きます。
広々と開けた場所に建つ、荘厳な雰囲気を纏った本堂。
元文四年(1739年)という、江戸時代に落成しました。
総欅入母屋造の本堂に使われている材木は、紀州徳川家からの寄進によるものです。
本堂の左側に、明智光秀の供養塔が見えています。
更に画像左端附近には、光秀と明智一族の墓があります。
西教寺は、元亀二年(1571年)の織田信長による比叡山焼き討ちの際に焼け落ちましたが、その後坂本城を与えられ、西教寺の檀徒にもなっていた明智光秀により、復興を遂げました。
本堂から更に高い場所にある、西教寺中興の祖・真盛上人廟へと続いている石段。
こちらもまた、境内の片隅で色付いているもみじの下をくぐって、石段へと至ります。
見事な境内の紅葉に、すっかり心奪われてしまった西教寺参詣でしたが、西教寺隆盛の礎を築いた偉人の墓所へも、お参りすることにしました。
<晩秋の大津・坂本/電車で琵琶湖周回-08>>
この記事が、平成29年(2017年)最終の記事となります。
本年も、拙い記事に目を留めてくださり、ありがとうございました。
来たる平成30年(2018年)が、皆様にとりまして、幸多き年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
<<晩秋の大津・坂本/電車で琵琶湖周回-06>
西教寺では、多数のもみじが、紅葉の盛りを迎えていました。
紅や黄に色付いたもみじの葉が、明るい日差しを受けて、錦秋と呼ぶに相応しい色彩で染め上げた境内を巡り、美しい風景と晩秋の風情を堪能します。
<西教寺>(公式サイト)
<西教寺>
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日吉大社から北へおよそ1km、約15分程歩いて、西教寺(さいきょうじ)へ到着しました。
立派な総門と、色付いたもみじのトンネルがお出迎え^^
西教寺は、天台宗の一派である天台真盛宗の総本山です。
正式には、「天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺 (てんだいしんせいしゅうそうほんざんかいこうさんけんほっしょうさいきょうじ)」というそうです(公式サイトより)。
聖徳太子による創建とも伝えられていますが、長い荒廃の時期を経て、文明十八年(1486年)に真盛上人(しんせいしょうにん)が入寺して復興、以後全国に400程の末寺を抱える総本山となり、栄えてきました。
すっかり葉を落としたもみじの樹もかなりあり、見頃のピークは越えていた感じでしたが、それでも美しい色合いに染め上げられたもみじのトンネルは、見応え充分でした!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
撮影に興じる、参詣者の姿は途切れることがありません。
それでも、ゆったりとした気分で、紅葉を落ち着いて眺めることのできた、西教寺でした。
西教寺の境内には、とても見栄えの良い枝振りの、大きなもみじの樹がたくさんありました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
この大きな樹の色付いた葉が、日差しを浴びて輝きながら、透明感を増していく美しさは、それは素晴らしい眺めでした!
それにしても、日差しを浴びたもみじの紅葉の鮮やかさには、いつ見ても感動を覚えます。
紅だけでなく、黄色に色付いたもみじの樹も、西教寺では目立っていました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
所々、紅や緑を帯びて、1株で様々な色合いのグラデーションを、ジックリと鑑賞。
黄金色の輝きも、楽しみました♪
黄のモミジを、これ程丹念に見つめたのは、恐らく今回が初めてです(^^;)
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
もみじといえば、つい、鮮やかな真紅に染まるイメージがまず思い浮かびますが、上品な黄色の色合いのもみじにもまた、素敵な風情を感じることができますね。
陽を浴びて明るく輝く感じは、紅を凌ぐのでは…とすら思えました!
もちろん、定番、王道ともいえる、真紅のもみじも、まだまだタップリと楽しむことができます。
もみじの、この紅自体の美しさもさることながら、小さな葉が重なり合った集合体の、不思議な濃淡の素晴らしさに、すっかり心を奪われてしまいますね。
下から見上げると、枝垂れ掛かってくるような迫力を感じた、もみじの樹。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
これが、夏までの期間には、緑色であったということが、俄かには信じられない程の、紅への染まり様。
本当に、人智を凌ぐ、自然の芸術です。
石段の頭上には、お約束のように、もみじが覆い被さりますw
片側は紅、もう片側には黄、と、綺麗に二分された色彩が、離れて眺めても見事な景色でした。
石段に積もる敷もみじも、晩秋の情感を醸し出します。
紅と黄とが交じり合う教会の辺りを、アップしてみました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
小さな葉の一つ一つの形が、夥しく重なり合う質感に魅せられ、視線が釘付けに。
この、ぼやけ気味に混ざり合った、色の移ろいが、紅葉を愛でる醍醐味ですね!
この輝きと透き具合とを、どう説明したら上手いこと伝わるでしょうか;
ただただ「凄い…!」としか言いようのなかった、猛威を振るって燃え盛る炎の如く感じた、逆光での絶景でした!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
多様な色彩、幹や枝の質感にも、感動を覚えた光景です。
石段の途中で足を止める人多数であったのも、納得でしたw
石段を上がると、本堂に辿り着きます。
広々と開けた場所に建つ、荘厳な雰囲気を纏った本堂。
元文四年(1739年)という、江戸時代に落成しました。
総欅入母屋造の本堂に使われている材木は、紀州徳川家からの寄進によるものです。
本堂の左側に、明智光秀の供養塔が見えています。
更に画像左端附近には、光秀と明智一族の墓があります。
西教寺は、元亀二年(1571年)の織田信長による比叡山焼き討ちの際に焼け落ちましたが、その後坂本城を与えられ、西教寺の檀徒にもなっていた明智光秀により、復興を遂げました。
本堂から更に高い場所にある、西教寺中興の祖・真盛上人廟へと続いている石段。
こちらもまた、境内の片隅で色付いているもみじの下をくぐって、石段へと至ります。
見事な境内の紅葉に、すっかり心奪われてしまった西教寺参詣でしたが、西教寺隆盛の礎を築いた偉人の墓所へも、お参りすることにしました。
<晩秋の大津・坂本/電車で琵琶湖周回-08>>
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この記事が、平成29年(2017年)最終の記事となります。
本年も、拙い記事に目を留めてくださり、ありがとうございました。
来たる平成30年(2018年)が、皆様にとりまして、幸多き年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
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