カルルシュテイン城内を見て回り、城を出ると、既に昼下がりとなっていました。
<<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-18>
カルルシュテイン城下の小さな集落は、明るい日差しの下で、午睡に微睡んでいるかのようでした。
人影と出逢うことも稀な田舎道の、のどかな風情を楽しみながら、カルルシュテインの駅へと、戻りました。
カルルシュテイン城(Hrad Karlštejn)を辞去すると、時刻はお昼時を過ぎて、日差しも眩しい昼下がり。
ポカポカ陽気の下、城下の集落を貫く道路から分かれて、家々の軒下を迷路のように延びる歩道の幅の小径を、散策します。
石で模様が施された小径の路面も眺めながらの、心地よい散策でした。
カルルシュテイン城下の集落を貫く、メインストリート的な道路。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
集落全体がシエスタ中であるかのように、人影も疎らでした。。。
人と車とを見掛けた、貴重な?一コマw
のどかな風情でした。
集落のある小さな谷の入口にあたる高台に建っていた、教会(聖パルマシウス教会/Kostel svatého Palmacia)。
集落と共に、住人達の信仰を集めてきたのでしょうね。
こぢんまりとはしていましたが、大地にしっかりと根を下ろした感のある佇まいの教会でした。
先程の小径もそうでしたが、階段の両側に、しっかりと厚みのある石の塀を築くのが、この辺りの様式なのでしょうかね。
この坂道を下った所で、カルルシュテイン城下の集落はお終いとなり、左手に見えるベロウン川(Berounka)沿いに開けた、広い平地の景色が広がっていました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
川に架かった橋を渡った対岸に、プラハ(Praha)から乗車してきた電車で降り立った、カルルシュテイン駅があります。
本当に、見事な位にまで、人影が見当たりません。
この撮影当時から20年以上経過した、2011年10月のストリートビューでも、建物等は綺麗にお化粧直しされていますが、基本的には撮影当時と変わらない風景で、残っていますね。
橋は、架け直されているようですが。
潤いに満ちた、チェコののどかな田園風景。
ベロウン川に架かる、橋の上からの眺めです。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
この日は風もほとんどなくて、川面は正に水鏡状態!
インパクトのある景色ではないですが、このままずっと眺め続けたくなるような気にさせる、穏やかな風景でした。
これまで歩いてきた、カルルシュテイン(Karlštejn)の集落がある方向を振り返り、やはり橋の上から撮影。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
高い場所に建つ、尖塔のある建物が、先程見上げた聖パルマシウス教会です。
橋の川からだと、集落の入口となる坂道も、ハッキリと判別できますね。
教会の建つ斜面に隠された向こう側に、集落がある小さな谷が、画像左側の方向に、続いています。
その小さな谷の、緩やかな坂を上った先が、カルルシュテイン城となります。
中々風格のある、素敵な案内標識と思いませんか?
カルルシュテイン駅への沿道でふと目に入った、センスのいい小さな標識の、情感溢れた手作り感の虜となりました^^
丁寧に描き込まれた、カルルシュテイン城や茂みに対して、雲の手抜き感が何ともユーモラスw
後から、落書きされたのでしょうか。。。
それにしても、絵心ありますよね?!
カルルシュテイン駅近くの、踏切。
ヨーロッパでよく見られるタイプの、普通の踏切です。
カルルシュテイン城の塔が、ヒョッコリと姿をのぞかせていますね。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
日本の踏切は黄色と黒のカラーですが、こちらでは赤と白の2色ですね。
赤色灯を備えた黒い正方形をした警報器が2箇所、取り付けられていました。
警報器の下には、「電車に注意(POZOR VLAK)」の警告もありました。
遮断機は、道幅の半分の長さしかありません。
思えば、この時が初めて、外国の踏切を実際にしげしげと眺めた機会でした。
警報器が鳴って、電車が通るのを見たかったのですが、電車がいつ来るかも分からなかったので、撮影してからカルルシュテイン駅へ向かい、プラハ行の電車に乗車して、プラハへと戻りました。
<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-20>>
<<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-18>
カルルシュテイン城下の小さな集落は、明るい日差しの下で、午睡に微睡んでいるかのようでした。
人影と出逢うことも稀な田舎道の、のどかな風情を楽しみながら、カルルシュテインの駅へと、戻りました。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
カルルシュテイン城(Hrad Karlštejn)を辞去すると、時刻はお昼時を過ぎて、日差しも眩しい昼下がり。
ポカポカ陽気の下、城下の集落を貫く道路から分かれて、家々の軒下を迷路のように延びる歩道の幅の小径を、散策します。
石で模様が施された小径の路面も眺めながらの、心地よい散策でした。
カルルシュテイン城下の集落を貫く、メインストリート的な道路。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
集落全体がシエスタ中であるかのように、人影も疎らでした。。。
人と車とを見掛けた、貴重な?一コマw
のどかな風情でした。
集落のある小さな谷の入口にあたる高台に建っていた、教会(聖パルマシウス教会/Kostel svatého Palmacia)。
集落と共に、住人達の信仰を集めてきたのでしょうね。
こぢんまりとはしていましたが、大地にしっかりと根を下ろした感のある佇まいの教会でした。
先程の小径もそうでしたが、階段の両側に、しっかりと厚みのある石の塀を築くのが、この辺りの様式なのでしょうかね。
この坂道を下った所で、カルルシュテイン城下の集落はお終いとなり、左手に見えるベロウン川(Berounka)沿いに開けた、広い平地の景色が広がっていました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
川に架かった橋を渡った対岸に、プラハ(Praha)から乗車してきた電車で降り立った、カルルシュテイン駅があります。
本当に、見事な位にまで、人影が見当たりません。
この撮影当時から20年以上経過した、2011年10月のストリートビューでも、建物等は綺麗にお化粧直しされていますが、基本的には撮影当時と変わらない風景で、残っていますね。
橋は、架け直されているようですが。
潤いに満ちた、チェコののどかな田園風景。
ベロウン川に架かる、橋の上からの眺めです。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
この日は風もほとんどなくて、川面は正に水鏡状態!
インパクトのある景色ではないですが、このままずっと眺め続けたくなるような気にさせる、穏やかな風景でした。
これまで歩いてきた、カルルシュテイン(Karlštejn)の集落がある方向を振り返り、やはり橋の上から撮影。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
高い場所に建つ、尖塔のある建物が、先程見上げた聖パルマシウス教会です。
橋の川からだと、集落の入口となる坂道も、ハッキリと判別できますね。
教会の建つ斜面に隠された向こう側に、集落がある小さな谷が、画像左側の方向に、続いています。
その小さな谷の、緩やかな坂を上った先が、カルルシュテイン城となります。
中々風格のある、素敵な案内標識と思いませんか?
カルルシュテイン駅への沿道でふと目に入った、センスのいい小さな標識の、情感溢れた手作り感の虜となりました^^
丁寧に描き込まれた、カルルシュテイン城や茂みに対して、雲の手抜き感が何ともユーモラスw
後から、落書きされたのでしょうか。。。
それにしても、絵心ありますよね?!
カルルシュテイン駅近くの、踏切。
ヨーロッパでよく見られるタイプの、普通の踏切です。
カルルシュテイン城の塔が、ヒョッコリと姿をのぞかせていますね。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
日本の踏切は黄色と黒のカラーですが、こちらでは赤と白の2色ですね。
赤色灯を備えた黒い正方形をした警報器が2箇所、取り付けられていました。
警報器の下には、「電車に注意(POZOR VLAK)」の警告もありました。
遮断機は、道幅の半分の長さしかありません。
思えば、この時が初めて、外国の踏切を実際にしげしげと眺めた機会でした。
警報器が鳴って、電車が通るのを見たかったのですが、電車がいつ来るかも分からなかったので、撮影してからカルルシュテイン駅へ向かい、プラハ行の電車に乗車して、プラハへと戻りました。
<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-20>>
ストリートヴューで疑似散歩も楽しませていただきました。
ハプスブルグ家の息がかかった国では黄色い建物が多いですね。チェコもハプスブルグ家の統治の時代が長かったので(そのお蔭で素敵なカフェも沢山あるのだけれど)、教会の壁の色にその名残が残っているのでしょうね。
フランスも踏切の遮断機は赤と白です。
余談ですが、フランスでは踏切前の一時停止は厳禁です。
画像と同じ場所を、ストリートビューで検索すると、かなりの場所で30年近く前の風景とほとんど変化のない景色のことも多くて、記事作成中に感激することも多いです^^
チェコが共産主義の時代を経た後でも、古き良きヨーロッパの雰囲気を感じられるのは、ハプスブルク家による長い支配を受けたことも、影響しているのでしょうね。
黄色い建物には、ちょっとしたお洒落心のセンスを感じます。
それまで日本の、黄色と黒の踏切しか知らなかったところへ、初めて目にした紅白の踏切にも、当時は新鮮なカルチャーショックを受けたものでしたw