![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/2d/57f1419b4b81235f22c0eb4ba1e74e57.jpg)
日本最北の駅、稚内を目指して札幌から駆けてきた、特急「スーパー宗谷1号」の旅も、いよいよ終盤です。
<<北を目指す旅-24>
音威子府(おといねっぷ)から、西回りに北へと延びる宗谷本線。
人家はいよいよ少なくなり、ダイナミックな自然の景観が、車窓を占めるようになっていました。
稚内まであと1時間程となった幌延(ほろのべ)附近では、この旅に赴いた「最大の目的」の姿を早くも目にすることができて、感激のうちに、終着駅・稚内へと到着。
4日を掛けて、北へ北へと進んできた往路のゴールを、迎えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/d1/5b388f2e736538aced251732f6bc83c8.jpg)
音威子府を10時58分に出発した特急「スーパー宗谷1号」は、稚内までの所要時間もあと2時間を切って、札幌からの、5時間を超える長丁場の行程も、終盤に差し掛かっています。
車窓も、これまで畑地が広がる風景を主に眺めてきましたが、次第に、このような原野然とした荒涼たる景色が続くようになっていました。
山の峰々は、未だ雪化粧をしたまま…5月初旬の道北は、まだまだ冬が完全に過ぎ去ってはいませんでした。
宗谷本線と寄り添うように、北へと流れる天塩川(てしおがわ)。
雪融け水によって増水し、元々広い川幅を、更に増して、勢いよく流れ下っています。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
正に「水が溢れている」様子を、目の当たりにした眺めでした。
雄大な川の風景もまた、北海道らしい景色ですね。
「スーパー宗谷1号」車内で流れる、次の停車駅の案内表示。
音威子府の次の停車駅、天塩中川(てしおなかがわ)を出発直後に表示された、案内です。
「あと30km」と、5km刻みでの、距離のカウントダウンが、表示されていました。
この距離感覚も、北海道へとやって来たという実感を、新たにさせてくれますねw
天塩川が山に行く手を阻まれて、流れの向きを変えているのに合わせて、宗谷本線のレールもまた、天塩川と山とに挟まれるように、大きなカーブを描きます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
対岸の川岸に沿って生えている木々も、軒並み根元を、増水した川に洗われています。
カーブを経た前方に、天塩川を「渡らない」橋梁の橋桁が、見えていますね。
その部分へと差し掛かると…橋桁も増水にすっかりと浸かり、レールのすぐ下を水が流れているのを、車窓から眺めることができました;
足元を気にするように、「スーパー宗谷1号」は、徐行しながら通過していきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/be/ea6e2e8623decdc56b58b7c1cbe7dfee.jpg)
11時58分の幌延到着の直前…「もうお昼か」と思いながら、何気なく車窓風景を望んでみると…。
手前の木立越しに見えている地平線上には、うっすらと雪山のような、大きな山塊らしきものが!!
この旅に出ることを決意させた対象を、もしかしたら列車の車窓から拝むことができるのか!と、俄かに期待感がうなぎ上りw
この後、幌延を出発直後に、テンションは最高潮へと達することに!
視界が開けた先には、純白の雪を纏った、荒々しくも美しい利尻富士の威容が!!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
ズームで大きく引き寄せて撮影していますが、列車の車窓からここまではっきりと、利尻島の姿を望むことができるとは、正直、思いませんでした。
気象条件が良かった幸運もあるのでしょうが、ようやく春を迎えつつある手前の平地とは対照的に、まだ冬の装いで屹立している、峻厳な利尻の大地。
この巨大な山塊が、日本海に浮かぶ、北海道とは別の島であるとは思えない眺めです!
殊に雲の掛かることの多い山頂の周りが、クッキリと見渡すことができて、大感激!!
しばらくの間、この車窓からの素晴らしい絶景にすっかり魅了されてしまい、視線を釘付けにされたまま外すこともできずに、見とれていました。
稚内へと走り続ける、「スーパー宗谷1号」…最後の途中停車駅である、南稚内へと近付くにつれ、沿線風景にはこのような、一面クマザサに覆われた景色が、加わります。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
以前に道北の地を訪れた時も目にした、一面の笹薮の光景は、変わっていませんでした。
笹に覆われた原野の中を、「スーパー宗谷1号」は、駆け抜けていきます。
南稚内への到着直前には、高台から日本海を、望むことができます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
海上には、先程その威容を車窓から堪能した利尻島が、再び姿を見せてくれました。
晴れたり曇ったりと、目まぐるしく天候が変化する中、この時には利尻岳の頂上附近は、雲に覆われていました。
この、日本海と利尻富士とを眺めた数分後には、「スーパー宗谷1号」は、南稚内へ到着。
終着駅・稚内への、札幌からの遥かな旅路も、いよいよ大詰めを迎えます。
12時53分、札幌から5時間5分もの所要時間を経て、「スーパー宗谷1号」は、日本最北端の駅である終着駅・稚内へ到着しました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
札幌からの距離は、396.2km。
400km近い距離を走破してきた、「スーパー宗谷1号」のキハ261系気動車。
5時間を超える行程は、美しい車窓風景で飽きることなく、時間の経過を忘れさせる、快適な鉄路の旅路でした!
1線の単式ホームだけがある、シンプルな稚内駅。
終着駅へ降り立った乗客も、改札口へと歩き去り、昼下がりの陽光の下で、がらんとしたホームに佇む列車…旅の余韻に浸ることのできる、光景です。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
ここからレールの繋がっている南の端は、九州は鹿児島県枕崎市にある、指宿枕崎線の枕崎駅。
その枕崎駅から、北のレール終端のある、ここ宗谷本線の稚内駅までは、実に3,126.1km。
友好都市となったという、稚内と枕崎…レールの端が取り持つ縁ですね。
この車止めが、日本の鉄道の、正に最北端となります。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
九州や四国からのレールが、本州を経て青函トンネルをくぐって北海道へと繋がり、日本列島を網羅した鉄路がここに収斂される…感慨深いです。
ここから3,000km以上の彼方、九州の南の端近くまで、このレールを辿ることができると思うと、旅のロマンも感じますねw
日本最北端の稚内駅の緯度は、北緯45度25分03秒。
旅を始めた京都駅のそれは、北緯34度59分07秒。
緯度にして、10度以上も北上したのですね…京都から辿ってきた旅路からも、日本の南北の細長さを実感することができます。
日本最北端の駅の、時刻表。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
稚内駅を発着する列車は、出発が1日7便、到着が1日6便の少なさ(平成28年(2016年)5月)!
特急だけでなく、普通列車に使用されている車両もまた老朽化が進み、代替車両新製の資金をJR北海道が調達することができず、使える車両でやりくりするために、平成28年3月のダイヤ改正で、改正前から少なかった普通列車が、更に減便されてしまいました。
Wikipediaによると、平成26年(2014年)の稚内駅の1日当たり平均乗降客数は、僅かに95人とのことなので、本数の少なさも仕方のないことなのかもしれませんが、ここまで削減されてしまうと、益々利用し難くなって、更に減便されるだけでなく、場合によっては最悪の状況へと陥りかねない、悪循環へと嵌ってしまいますね。
名寄(なよろ)以北(名寄~稚内)の宗谷本線の区間は、JR北海道が平成28年11月に明らかにした、今後JR北海道単独では維持が困難とされる路線の1つに挙げられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/1c/473d16dff9a4b2734cd6ebd3271146cc.jpg)
昭和3年(1928年)の開業以来4代目となる、稚内駅の現駅舎(平成28年)。
駅、バスターミナル、道の駅その他商業施設等の複合施設「キタカラ」として、平成24年(2012年)にオープンした、新しい建物です。
駅のホームから一直線に、コンコースを突っ切って、地面に埋め込まれたレールが、駅の部分から駅前広場へと、延びています。
駅の中から伸びたレールは、広場の中程で唐突に車止めで途切れる格好となっています。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
先代の3代目駅舎が使われていた時まで、宗谷本線の終端部は、この車止めの所にあったとのことです。
ここに実際に敷かれていたレールと車止めとを、JR北海道から寄贈を受けた稚内市が、モニュメントとして復元しました。
戦前には、稚内駅から線路は更に、駅に隣接する稚内港の北防波堤ドーム内にホームのあった、稚内桟橋駅まで延びていました。
当時、稚内と樺太の大泊とを結んでいた稚泊連絡船(ちはくれんらくせん/昭和20年(1945年)8月25日休止)が、稚内桟橋駅のホームに横付けされて、稚内駅は、樺太との交通の拠点となっていました。
現在、この車止めからは、往時のレールを模した敷石が、北防波堤の方向へ向けて、埋め込まれています。
北防波堤ドームは、画像右手のホテル(高層ビル)の奥、ホテルの建物の左端からその一部が見えている、横長の構造物(アーチを描く太い柱が、8~9本程見えています)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9a/f9f96da811f1b9a6607cfa7cf7b31e5d.jpg)
モニュメントの車止めの傍らにあった、3代目駅舎が現役であった頃の、この場所の様子を撮影した画像。
この頃は、行内の線路も1っ本だけではなく、複数敷かれていたのですね。
鉄路が途切れていたこの場所には、「最北端の線路」の看板が立てられていました。
4代目駅舎の「キタカラ」は、この画像にある、ホーム上屋の端辺り位の位置でしょうか。
現在の稚内駅と線路の最北端部は、この位置にあった頃よりも、少し南へと移動したのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/bb/2b6d54da039a16b23fe73cac2ecf620d.jpg)
「最北端の線路」の看板は今日、現在の車止めの背後に立っています。
駅ホームから改札口を出たコンコースから、ガラス越しに見ることができます。
南九州でレールが果てる、指宿枕崎線の枕崎駅の少し手前にある、日本最南端の西大山駅との繋がりを、現在もアピール。
モダンに生まれ変わった最北端の地の玄関口で、ひとしきり感慨に耽り、「やっとここまで辿り着いた!」という実感を高めて、稚内駅を後にしました。
目指してきた最北の地を巡る旅へと、いよいよ出発です!
<北を目指す旅-26>>
<<北を目指す旅-24>
音威子府(おといねっぷ)から、西回りに北へと延びる宗谷本線。
人家はいよいよ少なくなり、ダイナミックな自然の景観が、車窓を占めるようになっていました。
稚内まであと1時間程となった幌延(ほろのべ)附近では、この旅に赴いた「最大の目的」の姿を早くも目にすることができて、感激のうちに、終着駅・稚内へと到着。
4日を掛けて、北へ北へと進んできた往路のゴールを、迎えました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/d1/5b388f2e736538aced251732f6bc83c8.jpg)
音威子府を10時58分に出発した特急「スーパー宗谷1号」は、稚内までの所要時間もあと2時間を切って、札幌からの、5時間を超える長丁場の行程も、終盤に差し掛かっています。
車窓も、これまで畑地が広がる風景を主に眺めてきましたが、次第に、このような原野然とした荒涼たる景色が続くようになっていました。
山の峰々は、未だ雪化粧をしたまま…5月初旬の道北は、まだまだ冬が完全に過ぎ去ってはいませんでした。
宗谷本線と寄り添うように、北へと流れる天塩川(てしおがわ)。
雪融け水によって増水し、元々広い川幅を、更に増して、勢いよく流れ下っています。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
正に「水が溢れている」様子を、目の当たりにした眺めでした。
雄大な川の風景もまた、北海道らしい景色ですね。
「スーパー宗谷1号」車内で流れる、次の停車駅の案内表示。
音威子府の次の停車駅、天塩中川(てしおなかがわ)を出発直後に表示された、案内です。
「あと30km」と、5km刻みでの、距離のカウントダウンが、表示されていました。
この距離感覚も、北海道へとやって来たという実感を、新たにさせてくれますねw
天塩川が山に行く手を阻まれて、流れの向きを変えているのに合わせて、宗谷本線のレールもまた、天塩川と山とに挟まれるように、大きなカーブを描きます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
対岸の川岸に沿って生えている木々も、軒並み根元を、増水した川に洗われています。
カーブを経た前方に、天塩川を「渡らない」橋梁の橋桁が、見えていますね。
その部分へと差し掛かると…橋桁も増水にすっかりと浸かり、レールのすぐ下を水が流れているのを、車窓から眺めることができました;
足元を気にするように、「スーパー宗谷1号」は、徐行しながら通過していきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/be/ea6e2e8623decdc56b58b7c1cbe7dfee.jpg)
11時58分の幌延到着の直前…「もうお昼か」と思いながら、何気なく車窓風景を望んでみると…。
手前の木立越しに見えている地平線上には、うっすらと雪山のような、大きな山塊らしきものが!!
この旅に出ることを決意させた対象を、もしかしたら列車の車窓から拝むことができるのか!と、俄かに期待感がうなぎ上りw
この後、幌延を出発直後に、テンションは最高潮へと達することに!
視界が開けた先には、純白の雪を纏った、荒々しくも美しい利尻富士の威容が!!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
ズームで大きく引き寄せて撮影していますが、列車の車窓からここまではっきりと、利尻島の姿を望むことができるとは、正直、思いませんでした。
気象条件が良かった幸運もあるのでしょうが、ようやく春を迎えつつある手前の平地とは対照的に、まだ冬の装いで屹立している、峻厳な利尻の大地。
この巨大な山塊が、日本海に浮かぶ、北海道とは別の島であるとは思えない眺めです!
殊に雲の掛かることの多い山頂の周りが、クッキリと見渡すことができて、大感激!!
しばらくの間、この車窓からの素晴らしい絶景にすっかり魅了されてしまい、視線を釘付けにされたまま外すこともできずに、見とれていました。
稚内へと走り続ける、「スーパー宗谷1号」…最後の途中停車駅である、南稚内へと近付くにつれ、沿線風景にはこのような、一面クマザサに覆われた景色が、加わります。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
以前に道北の地を訪れた時も目にした、一面の笹薮の光景は、変わっていませんでした。
笹に覆われた原野の中を、「スーパー宗谷1号」は、駆け抜けていきます。
南稚内への到着直前には、高台から日本海を、望むことができます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
海上には、先程その威容を車窓から堪能した利尻島が、再び姿を見せてくれました。
晴れたり曇ったりと、目まぐるしく天候が変化する中、この時には利尻岳の頂上附近は、雲に覆われていました。
この、日本海と利尻富士とを眺めた数分後には、「スーパー宗谷1号」は、南稚内へ到着。
終着駅・稚内への、札幌からの遥かな旅路も、いよいよ大詰めを迎えます。
12時53分、札幌から5時間5分もの所要時間を経て、「スーパー宗谷1号」は、日本最北端の駅である終着駅・稚内へ到着しました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
札幌からの距離は、396.2km。
400km近い距離を走破してきた、「スーパー宗谷1号」のキハ261系気動車。
5時間を超える行程は、美しい車窓風景で飽きることなく、時間の経過を忘れさせる、快適な鉄路の旅路でした!
1線の単式ホームだけがある、シンプルな稚内駅。
終着駅へ降り立った乗客も、改札口へと歩き去り、昼下がりの陽光の下で、がらんとしたホームに佇む列車…旅の余韻に浸ることのできる、光景です。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
ここからレールの繋がっている南の端は、九州は鹿児島県枕崎市にある、指宿枕崎線の枕崎駅。
その枕崎駅から、北のレール終端のある、ここ宗谷本線の稚内駅までは、実に3,126.1km。
友好都市となったという、稚内と枕崎…レールの端が取り持つ縁ですね。
この車止めが、日本の鉄道の、正に最北端となります。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
九州や四国からのレールが、本州を経て青函トンネルをくぐって北海道へと繋がり、日本列島を網羅した鉄路がここに収斂される…感慨深いです。
ここから3,000km以上の彼方、九州の南の端近くまで、このレールを辿ることができると思うと、旅のロマンも感じますねw
日本最北端の稚内駅の緯度は、北緯45度25分03秒。
旅を始めた京都駅のそれは、北緯34度59分07秒。
緯度にして、10度以上も北上したのですね…京都から辿ってきた旅路からも、日本の南北の細長さを実感することができます。
日本最北端の駅の、時刻表。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
稚内駅を発着する列車は、出発が1日7便、到着が1日6便の少なさ(平成28年(2016年)5月)!
特急だけでなく、普通列車に使用されている車両もまた老朽化が進み、代替車両新製の資金をJR北海道が調達することができず、使える車両でやりくりするために、平成28年3月のダイヤ改正で、改正前から少なかった普通列車が、更に減便されてしまいました。
Wikipediaによると、平成26年(2014年)の稚内駅の1日当たり平均乗降客数は、僅かに95人とのことなので、本数の少なさも仕方のないことなのかもしれませんが、ここまで削減されてしまうと、益々利用し難くなって、更に減便されるだけでなく、場合によっては最悪の状況へと陥りかねない、悪循環へと嵌ってしまいますね。
名寄(なよろ)以北(名寄~稚内)の宗谷本線の区間は、JR北海道が平成28年11月に明らかにした、今後JR北海道単独では維持が困難とされる路線の1つに挙げられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/f3/4eb91a2c96406fc247025671c5a9fc9c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/1c/473d16dff9a4b2734cd6ebd3271146cc.jpg)
昭和3年(1928年)の開業以来4代目となる、稚内駅の現駅舎(平成28年)。
駅、バスターミナル、道の駅その他商業施設等の複合施設「キタカラ」として、平成24年(2012年)にオープンした、新しい建物です。
駅のホームから一直線に、コンコースを突っ切って、地面に埋め込まれたレールが、駅の部分から駅前広場へと、延びています。
駅の中から伸びたレールは、広場の中程で唐突に車止めで途切れる格好となっています。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
先代の3代目駅舎が使われていた時まで、宗谷本線の終端部は、この車止めの所にあったとのことです。
ここに実際に敷かれていたレールと車止めとを、JR北海道から寄贈を受けた稚内市が、モニュメントとして復元しました。
戦前には、稚内駅から線路は更に、駅に隣接する稚内港の北防波堤ドーム内にホームのあった、稚内桟橋駅まで延びていました。
当時、稚内と樺太の大泊とを結んでいた稚泊連絡船(ちはくれんらくせん/昭和20年(1945年)8月25日休止)が、稚内桟橋駅のホームに横付けされて、稚内駅は、樺太との交通の拠点となっていました。
現在、この車止めからは、往時のレールを模した敷石が、北防波堤の方向へ向けて、埋め込まれています。
北防波堤ドームは、画像右手のホテル(高層ビル)の奥、ホテルの建物の左端からその一部が見えている、横長の構造物(アーチを描く太い柱が、8~9本程見えています)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9a/f9f96da811f1b9a6607cfa7cf7b31e5d.jpg)
モニュメントの車止めの傍らにあった、3代目駅舎が現役であった頃の、この場所の様子を撮影した画像。
この頃は、行内の線路も1っ本だけではなく、複数敷かれていたのですね。
鉄路が途切れていたこの場所には、「最北端の線路」の看板が立てられていました。
4代目駅舎の「キタカラ」は、この画像にある、ホーム上屋の端辺り位の位置でしょうか。
現在の稚内駅と線路の最北端部は、この位置にあった頃よりも、少し南へと移動したのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/bb/2b6d54da039a16b23fe73cac2ecf620d.jpg)
「最北端の線路」の看板は今日、現在の車止めの背後に立っています。
駅ホームから改札口を出たコンコースから、ガラス越しに見ることができます。
南九州でレールが果てる、指宿枕崎線の枕崎駅の少し手前にある、日本最南端の西大山駅との繋がりを、現在もアピール。
モダンに生まれ変わった最北端の地の玄関口で、ひとしきり感慨に耽り、「やっとここまで辿り着いた!」という実感を高めて、稚内駅を後にしました。
目指してきた最北の地を巡る旅へと、いよいよ出発です!
<北を目指す旅-26>>
利尻富士、実際に見たら私も目が離せなくなってしまいそう。
北緯を調べて見たら、私が住む村は稚内よりも北に位置してました(48度50分12秒)。
一日の平均利用客が100人以下の割に立派な駅舎ですね。
折角こんな立派な駅舎があるのだから、路線廃止を逃れるためにも、最北端ならではの集客方法を考えて欲しいですね。
列車の車窓からでも、利尻島がこんなに美しく眺めることができることも、すっかり忘れていたので、感動もひとしおでした。
ヨーロッパ(特にフランスやドイツ等)は、イメージよりも遥かに実際は、北に偏っていますよねw
改めて地図を見てみたら、京都は、アルジェやチュニスよりも、緯度が低くてビックリ!
稚内駅、何とか人に集まってもらおうと、複合商業施設に駅やバスターミナルを集約させた格好となっていました。
日本のレールの最北端が、ここから南下しないように、願わずにはいられません。