堺の和菓子屋さんを訪ねて久し振りに堺へと赴いた折、大阪から堺までは、路面電車の区間もある阪堺電車を利用してみました。
大阪の南のターミナルである天王寺の駅前から、大阪の住宅街をのんびりゴトゴト走り抜けて大和川を渡り、堺へ。
堺市内の沿線も、和菓子屋さん以外の老舗や、歴史のある建築物が残り、ノスタルジックな雰囲気を纏っていました。
休日・朝の京都は三条駅から、京阪電車の特急に乗車して、堺行スタート!
まずは、大阪の天満橋へ向かいます。
三条から所要50分程で、天満橋へ到着。
天満橋で、大阪メトロ谷町線に乗り換えます。
谷町線には10分程乗車して、天王寺へ。
天王寺で谷町線を下車して、地上へ。
阪堺電車のターミナルである、天王寺駅前停留場は、天王寺駅前を南へ向かう、あべの筋の路上中央にホームを構えています。
この、ホームの両外側は、車道となっています。
入線してきた浜寺駅前行の、この電車に乗車して、堺を目指します。
天王寺駅前から、住吉大社の前を通り、大和川を渡って、堺市内へと至る阪堺電車。
文字通り、大阪と堺とを結んでいます。
天王寺駅前から35分で、堺の街中の停留場である、寺地町へ到着。
堺の昔からの市街地の中心部を一直線に貫く大道筋(だいどうすじ)の中央に敷かれた、阪堺電車の軌道に、上屋付きの細いホームが取り付けられています。
車道に挟まれた軌道を、南へと走り去ってゆく電車を見送ります。
この停留場から、徒歩1、2分程の場所にある、和菓子屋さんの「かん袋」へと赴きました。
寺地町停留場附近の大道筋の歩道にあった、堺の歴史まちめぐりの、案内地図。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
地図の右側が北の方向で、色が薄くなっているエリアが、かつて南蛮貿易で栄えた自治都市の頃の市街地の範囲と思われます。
その中心エリアの中央を、大道筋が南北に貫いている様子や、大道筋の中央を走る阪堺電車の路線も、よく分かりますね。
大道筋の歩道に立っていた、街灯。
目に留める人もありませんでしたが、シンプルながら中々味のある意匠の、スマートな街灯でした。
寺地町停留場から、600m程大阪方面へ1つ戻った宿院(しゅくいん)停留場の近くにあった、与謝野晶子生家跡のモニュメント。
くるみ餅をいただいた「かん袋」から、芥子餅を買い求めた「本家 小嶋」への移動途中にて。
「本家 小嶋」の近くにありました。
堺は、明治から昭和に掛けての歌人・作家である、与謝野晶子の出身地。
実家は、老舗和菓子屋であったとのことです。
堺の都心部の、いい場所に生家があったのですね。
今は、モニュメントの背後を、阪堺電車がのんびり通り過ぎていきます。
宿院停留場の前の交差点で、横断歩道を渡る時に、阪堺電車の軌道の大阪方向の眺めを撮影。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
ずっと彼方まで一直線に延びていくレールの眺め…爽快な気分になれますねw
阪堺電車の大道筋の区間は、道路の中央部とはいえ、軌道は道路とはしっかりと区切られていて、半ば専用軌道のようにも見えます。
宿院の交差点で、大道筋と交差している大きな通りが、フェニックス通り。
戦災からの復興時に、幅50mの通りとして整備され、中央分離帯にフェニックスが植樹されています。
通り名は洋風なフェニックス通り、宿院交差点の東側には、何故か巨大な石灯籠が…。
通り名とのギャップも味わい深いw、フェニックス通りの眺めでした。
堺市(合併した美原区(旧美原町)を除く)は、歴史的経緯から、独特の住所の呼称を今日も採用しています。
それが、「丁」を用いた住所の呼び方。
明治5年(1872年)の町名改正で、それまでの町名に変わって、大道筋に面した町名を基にして、大道筋の東側を「××町東○丁」、同様に西側を「××町西○丁」と、大道筋から離れる程、「○丁」の数字が大きくなるようにしたとのことです。
この「丁」は、それまでの町名に相当するものであり、1つの「町」を細分する「丁目」の呼称は、馴染まなかったそうです。
その後、都心部から離れた市内でも、都心部とは異なり「町」を細分する「丁目」に相当する場合も、「丁」との混在が紛らわしい為、本来「丁目」とすべきところを「丁」として、住所を統一したとのこと。
昭和初期には、「目」を付けるかどうか、市議会で議論されましたが、結局由緒ある「丁」を使用することに落ち着きました。
今日でも堺市には、固定資産税の納付書などに記載される住所について、「○丁目の「目」が抜けている」との問合せが、時々寄せられるそうです。
この日のお昼は、宿院の交差点にほど近い、堺山之口商店街にあるレトロな洋食屋さんの、「れすとらん 浪花亭」でいただきました。
昭和20年(1945年)創業の、老舗洋食店です。
お昼時には混み合いそうに思えたので、11:30の開店直後に伺って、少し早い目にランチをいただき、一休みしました。
ランチの内容については、別の記事で挙げようと思います。
昼食後、宿院停留場から阪堺電車に乗車して、堺の街を更に南へ。
阪堺電車の堺方の終点、浜寺駅前を目指します。
やって来た電車は、奇しくも、午前中に天王寺駅前から寺地町まで乗車した電車と、同じ車両(番号が602)でした!
私が和菓子をいただき、買い求め、ランチをしている間に、浜寺駅前から折り返して天王寺駅前へトンボ返り、そしてまた浜寺駅前を目指して走ってきたのですね^^
宿院から約15分、終点の浜寺駅前へ到着しました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
本来のホームの部分よりかなり手前の、道路脇のような場所で、乗客は降ろされました。
電車の停止位置は一応、道路脇がホームのような造作にはなっているようですね。
このような場所で降ろされたのには、もちろん理由があり…。
下車した電車の前方にある、本来のホームには、別の電車が出発を待っていたのでした。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
阪堺電車の活性化支援策として、堺市と国の補助により、平成25年(2013年)から平成27年(2015年)にかけて3編成が導入された、「堺トラム」こと1001形電車です。
今風なスタイルの、低床タイプの電車には、たくさんの乗客が既に乗車していました。
停車中の電車は現代風なデザインでも、ホームや建物には昭和の雰囲気そのものを纏わせた、浜寺駅前停留場。
(下の画像はクリックで別ウィンドウが開きます)
ホーム端でレールも途切れていて、小さいながら、終着ターミナルとしての空気に満ちています。
ここまで来たお目当ては、停留所正面に建つ和菓子屋さんの「福栄堂」で販売している、「松露だんご」でしたが、その前に、すぐ近くにある歴史的建築物を訪ねます。
その歴史的建築物とは、南海電車の浜寺公園駅の駅舎。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
浜寺駅前停留場からは、停留場前を東へ歩いてすぐの場所が、浜寺公園駅となっています。
事実上、同じ駅といってもいいと思います。
この木造駅舎は、明治40年(1907年)に建てられた、現存する私鉄駅舎中最古のものとされています。
設計者は、東京駅等も手掛けた、辰野金吾。
柱や斜材等を隠さず、装飾としても利用する、ハーフティンバー様式で建築され、今日でも装飾の美しさに魅かれる駅舎は、平成10年(1998年)に、国の登録有形文化財に登録されました。
浜寺公園駅は現在(平成30年/2018年)、高架化工事中であり、この工事にあたり、木造駅舎は解体されずに、元々立っていた場所から30m程曳かれてこの場所へ移設されました。
高架化は2028年に完成の予定であり、この木造駅舎は高架駅の玄関部分になるとのことです。
木造駅舎のすぐ北隣に建つ、浜寺公園駅の仮駅舎。
10年後の高架化完了までは、この仮駅舎なのでしょう。
高架化完了後に生まれ変わる駅の姿が、楽しみです♪
浜寺駅前停留場のすぐ西側には、日本最古の公立公園(大阪府営)として、明治6年(1873年)に開園した、浜寺公園が広がっています。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
園内の、約5,500本もの松林で名高い公園の入口は、開園当時を偲ばせる、レトロな意匠。
左側の門柱んび隣接する建物も、和洋折衷な建築様式で、面白い建物ですね。
福栄堂で「松露だんご」も首尾良く手に入れて、浜寺駅前から阪堺電車で、大阪の天王寺駅前まで戻る帰途に就きます。
天王寺駅前行のこの電車に乗車して、出発を待ちます。
浜寺駅前を出発した電車は、ホームの空くのを手前で待つ後続の電車とすぐにすれ違い、堺の街中そして大阪を目指して、走り始めます。
車内では、最後部の座席に陣取り、後方へと流れ去る風景に見入ります。
下手な動画を、また撮影してみました。
堺市内の東湊から大道筋の中央へと進入、この日天王寺駅前からの電車で最初に下車した寺地町を経て、宿院までの区間の様子です。
動画の終わり近く、寺地町~宿院の区間は、信号待ちの関係で、停車している時間がかなり長くなっています;
宿院出発後の、大道筋の風景。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
気持ちの良い、ずっと一直線の眺めが、後方へと流れていきます。
この後、電車は大道筋から離れて専用軌道へ。
大和川を渡り、堺市から大阪市へと入り、天王寺駅前を目指して、北上します。
住吉大社の鳥居のすぐ傍にある、住吉鳥居前から松虫までの区間の、動画です。
道路上の併用軌道と専用軌道とが、結構頻繁に入れ替わる、変化に富んだ眺めを楽しむことができました。
松虫到着時に、指がカメラの動画ボタンに触れてしまい、撮影が終了してしまったのは、内緒です(爆)
…という訳で;、気を取り直し、松虫から終点の天王寺駅前までの区間を、改めて動画で撮影。
松虫出発直後に、電車はあべの筋の路上中央へと進入。
松虫の次の阿倍野からは、軌道敷が緑化されていますね。
この緑化された軌道敷を、電車は天王寺駅前へ向け、ラストスパート。
天王寺駅前へ近付くと共に乗客も増えていき、いつしかほぼ満員となった状態で、終点の天王寺駅前停留場へ到着しました。
ここでは、降車時に車内では精算せず、改札口に設置してある精算機を利用します。
浜寺駅前から天王寺駅前までの所要時間は、50分程。
14km弱の、のんびり気分を味わった、阪堺電車の旅でした。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
既に折り返しの浜寺駅前行として、乗客を車内へ乗り込ませている電車に、別れを告げます。
本当は、もっと阪堺電車沿線の、歴史ある堺の中心部を色々と訪ね歩きたかったのですが、この日も朝からの猛烈な蒸し暑さで気力も萎えてしまい、下車した2、3の停留場周辺をちょろっと歩き回るのが、限界でした;;
それでも、個性的な繁栄の歴史を歩んできた堺の、どこかノスタルジックな印象を帯びた空気を堪能して、楽しくプチ旅を過ごすことができました。
凌ぎ易い時期になったら、またぶらりと、堺を訪れてみようと思います。
今回の堺探訪の関連記事
・堺の和菓子に誘われて
・堺の老舗洋食店でランチタイム
大阪の南のターミナルである天王寺の駅前から、大阪の住宅街をのんびりゴトゴト走り抜けて大和川を渡り、堺へ。
堺市内の沿線も、和菓子屋さん以外の老舗や、歴史のある建築物が残り、ノスタルジックな雰囲気を纏っていました。
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休日・朝の京都は三条駅から、京阪電車の特急に乗車して、堺行スタート!
まずは、大阪の天満橋へ向かいます。
三条から所要50分程で、天満橋へ到着。
天満橋で、大阪メトロ谷町線に乗り換えます。
谷町線には10分程乗車して、天王寺へ。
天王寺で谷町線を下車して、地上へ。
阪堺電車のターミナルである、天王寺駅前停留場は、天王寺駅前を南へ向かう、あべの筋の路上中央にホームを構えています。
この、ホームの両外側は、車道となっています。
入線してきた浜寺駅前行の、この電車に乗車して、堺を目指します。
天王寺駅前から、住吉大社の前を通り、大和川を渡って、堺市内へと至る阪堺電車。
文字通り、大阪と堺とを結んでいます。
天王寺駅前から35分で、堺の街中の停留場である、寺地町へ到着。
堺の昔からの市街地の中心部を一直線に貫く大道筋(だいどうすじ)の中央に敷かれた、阪堺電車の軌道に、上屋付きの細いホームが取り付けられています。
車道に挟まれた軌道を、南へと走り去ってゆく電車を見送ります。
この停留場から、徒歩1、2分程の場所にある、和菓子屋さんの「かん袋」へと赴きました。
寺地町停留場附近の大道筋の歩道にあった、堺の歴史まちめぐりの、案内地図。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
地図の右側が北の方向で、色が薄くなっているエリアが、かつて南蛮貿易で栄えた自治都市の頃の市街地の範囲と思われます。
その中心エリアの中央を、大道筋が南北に貫いている様子や、大道筋の中央を走る阪堺電車の路線も、よく分かりますね。
大道筋の歩道に立っていた、街灯。
目に留める人もありませんでしたが、シンプルながら中々味のある意匠の、スマートな街灯でした。
寺地町停留場から、600m程大阪方面へ1つ戻った宿院(しゅくいん)停留場の近くにあった、与謝野晶子生家跡のモニュメント。
くるみ餅をいただいた「かん袋」から、芥子餅を買い求めた「本家 小嶋」への移動途中にて。
「本家 小嶋」の近くにありました。
堺は、明治から昭和に掛けての歌人・作家である、与謝野晶子の出身地。
実家は、老舗和菓子屋であったとのことです。
堺の都心部の、いい場所に生家があったのですね。
今は、モニュメントの背後を、阪堺電車がのんびり通り過ぎていきます。
宿院停留場の前の交差点で、横断歩道を渡る時に、阪堺電車の軌道の大阪方向の眺めを撮影。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
ずっと彼方まで一直線に延びていくレールの眺め…爽快な気分になれますねw
阪堺電車の大道筋の区間は、道路の中央部とはいえ、軌道は道路とはしっかりと区切られていて、半ば専用軌道のようにも見えます。
宿院の交差点で、大道筋と交差している大きな通りが、フェニックス通り。
戦災からの復興時に、幅50mの通りとして整備され、中央分離帯にフェニックスが植樹されています。
通り名は洋風なフェニックス通り、宿院交差点の東側には、何故か巨大な石灯籠が…。
通り名とのギャップも味わい深いw、フェニックス通りの眺めでした。
堺市(合併した美原区(旧美原町)を除く)は、歴史的経緯から、独特の住所の呼称を今日も採用しています。
それが、「丁」を用いた住所の呼び方。
明治5年(1872年)の町名改正で、それまでの町名に変わって、大道筋に面した町名を基にして、大道筋の東側を「××町東○丁」、同様に西側を「××町西○丁」と、大道筋から離れる程、「○丁」の数字が大きくなるようにしたとのことです。
この「丁」は、それまでの町名に相当するものであり、1つの「町」を細分する「丁目」の呼称は、馴染まなかったそうです。
その後、都心部から離れた市内でも、都心部とは異なり「町」を細分する「丁目」に相当する場合も、「丁」との混在が紛らわしい為、本来「丁目」とすべきところを「丁」として、住所を統一したとのこと。
昭和初期には、「目」を付けるかどうか、市議会で議論されましたが、結局由緒ある「丁」を使用することに落ち着きました。
今日でも堺市には、固定資産税の納付書などに記載される住所について、「○丁目の「目」が抜けている」との問合せが、時々寄せられるそうです。
この日のお昼は、宿院の交差点にほど近い、堺山之口商店街にあるレトロな洋食屋さんの、「れすとらん 浪花亭」でいただきました。
昭和20年(1945年)創業の、老舗洋食店です。
お昼時には混み合いそうに思えたので、11:30の開店直後に伺って、少し早い目にランチをいただき、一休みしました。
ランチの内容については、別の記事で挙げようと思います。
昼食後、宿院停留場から阪堺電車に乗車して、堺の街を更に南へ。
阪堺電車の堺方の終点、浜寺駅前を目指します。
やって来た電車は、奇しくも、午前中に天王寺駅前から寺地町まで乗車した電車と、同じ車両(番号が602)でした!
私が和菓子をいただき、買い求め、ランチをしている間に、浜寺駅前から折り返して天王寺駅前へトンボ返り、そしてまた浜寺駅前を目指して走ってきたのですね^^
宿院から約15分、終点の浜寺駅前へ到着しました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
本来のホームの部分よりかなり手前の、道路脇のような場所で、乗客は降ろされました。
電車の停止位置は一応、道路脇がホームのような造作にはなっているようですね。
このような場所で降ろされたのには、もちろん理由があり…。
下車した電車の前方にある、本来のホームには、別の電車が出発を待っていたのでした。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
阪堺電車の活性化支援策として、堺市と国の補助により、平成25年(2013年)から平成27年(2015年)にかけて3編成が導入された、「堺トラム」こと1001形電車です。
今風なスタイルの、低床タイプの電車には、たくさんの乗客が既に乗車していました。
停車中の電車は現代風なデザインでも、ホームや建物には昭和の雰囲気そのものを纏わせた、浜寺駅前停留場。
(下の画像はクリックで別ウィンドウが開きます)
ホーム端でレールも途切れていて、小さいながら、終着ターミナルとしての空気に満ちています。
ここまで来たお目当ては、停留所正面に建つ和菓子屋さんの「福栄堂」で販売している、「松露だんご」でしたが、その前に、すぐ近くにある歴史的建築物を訪ねます。
その歴史的建築物とは、南海電車の浜寺公園駅の駅舎。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
浜寺駅前停留場からは、停留場前を東へ歩いてすぐの場所が、浜寺公園駅となっています。
事実上、同じ駅といってもいいと思います。
この木造駅舎は、明治40年(1907年)に建てられた、現存する私鉄駅舎中最古のものとされています。
設計者は、東京駅等も手掛けた、辰野金吾。
柱や斜材等を隠さず、装飾としても利用する、ハーフティンバー様式で建築され、今日でも装飾の美しさに魅かれる駅舎は、平成10年(1998年)に、国の登録有形文化財に登録されました。
浜寺公園駅は現在(平成30年/2018年)、高架化工事中であり、この工事にあたり、木造駅舎は解体されずに、元々立っていた場所から30m程曳かれてこの場所へ移設されました。
高架化は2028年に完成の予定であり、この木造駅舎は高架駅の玄関部分になるとのことです。
木造駅舎のすぐ北隣に建つ、浜寺公園駅の仮駅舎。
10年後の高架化完了までは、この仮駅舎なのでしょう。
高架化完了後に生まれ変わる駅の姿が、楽しみです♪
浜寺駅前停留場のすぐ西側には、日本最古の公立公園(大阪府営)として、明治6年(1873年)に開園した、浜寺公園が広がっています。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
園内の、約5,500本もの松林で名高い公園の入口は、開園当時を偲ばせる、レトロな意匠。
左側の門柱んび隣接する建物も、和洋折衷な建築様式で、面白い建物ですね。
福栄堂で「松露だんご」も首尾良く手に入れて、浜寺駅前から阪堺電車で、大阪の天王寺駅前まで戻る帰途に就きます。
天王寺駅前行のこの電車に乗車して、出発を待ちます。
浜寺駅前を出発した電車は、ホームの空くのを手前で待つ後続の電車とすぐにすれ違い、堺の街中そして大阪を目指して、走り始めます。
車内では、最後部の座席に陣取り、後方へと流れ去る風景に見入ります。
下手な動画を、また撮影してみました。
堺市内の東湊から大道筋の中央へと進入、この日天王寺駅前からの電車で最初に下車した寺地町を経て、宿院までの区間の様子です。
動画の終わり近く、寺地町~宿院の区間は、信号待ちの関係で、停車している時間がかなり長くなっています;
宿院出発後の、大道筋の風景。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
気持ちの良い、ずっと一直線の眺めが、後方へと流れていきます。
この後、電車は大道筋から離れて専用軌道へ。
大和川を渡り、堺市から大阪市へと入り、天王寺駅前を目指して、北上します。
住吉大社の鳥居のすぐ傍にある、住吉鳥居前から松虫までの区間の、動画です。
道路上の併用軌道と専用軌道とが、結構頻繁に入れ替わる、変化に富んだ眺めを楽しむことができました。
松虫到着時に、指がカメラの動画ボタンに触れてしまい、撮影が終了してしまったのは、内緒です(爆)
…という訳で;、気を取り直し、松虫から終点の天王寺駅前までの区間を、改めて動画で撮影。
松虫出発直後に、電車はあべの筋の路上中央へと進入。
松虫の次の阿倍野からは、軌道敷が緑化されていますね。
この緑化された軌道敷を、電車は天王寺駅前へ向け、ラストスパート。
天王寺駅前へ近付くと共に乗客も増えていき、いつしかほぼ満員となった状態で、終点の天王寺駅前停留場へ到着しました。
ここでは、降車時に車内では精算せず、改札口に設置してある精算機を利用します。
浜寺駅前から天王寺駅前までの所要時間は、50分程。
14km弱の、のんびり気分を味わった、阪堺電車の旅でした。
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既に折り返しの浜寺駅前行として、乗客を車内へ乗り込ませている電車に、別れを告げます。
本当は、もっと阪堺電車沿線の、歴史ある堺の中心部を色々と訪ね歩きたかったのですが、この日も朝からの猛烈な蒸し暑さで気力も萎えてしまい、下車した2、3の停留場周辺をちょろっと歩き回るのが、限界でした;;
それでも、個性的な繁栄の歴史を歩んできた堺の、どこかノスタルジックな印象を帯びた空気を堪能して、楽しくプチ旅を過ごすことができました。
凌ぎ易い時期になったら、またぶらりと、堺を訪れてみようと思います。
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