あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

真の和合を求めて

2024-01-09 | 奮闘中

人は対立する勢力や思想の、

どちらかを選択するものと

思ってきた。

対立の極みが「戦争」。

「自分にとって最もピンと

来ないのは戦争だ」という

人がかつていた。

私はなぜか「戦争」「戦」を

リアルに感じる。

強い感情を伴うこともあるので

意外だった。

自分とゼンゼン違うと思った。

戦争が無益だと多くの戦争

体験者が口を揃えて言う。

「無駄死にだった」と

悲しみをこらえ

吐き捨てるように言う証言者を

テレビで目撃した。

なのに戦争が始まった。

戦争は始めるよりも

終わらせる方が難しいと言われる。

裏では収束させる為の策が

なされているのだろうが、

まだ終わらない。

イスラエル側から発射された

1発の爆弾で100人近い人が

亡くなった。

それは能登半島地震が起きた

その当日か翌日のことだ。

片や行方不明者を悼み、

片や死者数を戦争の成果と

とらえるむきもある矛盾した世界。

同じ命のはずなのに不思議だ。

と、ニュースを見ながら思った。

そんな対立を終わらせるのは

日本(日本人)の役目だと

色々な人が色々な角度から

同じ結論を発信している。

日本人の中でも特に女性かな~

と最近思う。

戦争を始めるのはいつも男だから。

「女の闘い」が地球全体を

巻き込むレベルには発展しない

気がする。

そんなことを考えていたら、

私が苦手と思っていう人、

まず出会うことはないと

思っていた人3人に遭遇した。

「もやっとした気持ち」が

「この人嫌だ」という気持ちと

同時に沸き起こった。

3人とも別々の場面だが、

続けて出会ってからはっとした。

苦手感情がわくのは

「クリアしていない」と宇宙から

言われた気がした。

そんな大げさな~って話だが

歌をツールに人類救済という

ミッションを意識して活動を

してきた。

方向性を迷い「一時休止」が

凄く長かったけれどまた

やる気になっている。

「人類」にはあの人もこの人も

苦手な人も勝手に私が毛嫌い

している人も含まれる。

それでもミッションやりますか?

と聞かれた気がして可笑しかった。

少し考えてみた。

答えはイエスだ。

毛嫌いする自分は何様か。

毛嫌いするのは自分自身を

相手に投影しているからだ。

自分をどこかで許せない。

自分を許してあの人もこの人も

まとめて救済(笑)

誰か知らない人なら救えるもので。

身内を放置しても被災支援は

できるものかもしれない。

一時期、源平の和合なんていう

途方もないテーマで仲間と

活動したこともある。

「本当の和合」をめざすなら

自分が和合されていなくては

ならない。

実はそれこそが最も困難だと

宇宙に教えられた気がする。

空を見上げてため息をつけば

あの人もこの人も

私がどんな人間かを教えて

くれたんだろうと思えた。

「眠れる歌」は私にとって

「人類救済の歌」でもあるが、

煮詰まっている。

出来ない・・できないと

呪文を唱える。

出来ないのは自分の和合が

出来ていないという証拠だ。

授かれる身になれるように

天の配在が機能しているらしい。

私ごときに宇宙が動く。

有難いことだ。

それはあの人の為にも、

この人の為にも宇宙は動く

ということでもある。

視点を上げながらも自己の

深いところへ下げるという

二方向のイメージだ。

その為の資金が実は降って来た。

このタイミングなのね・・と

思った。

やるしかない。

いくつか詩を書いたが

出来た気がしない。

「生かされて」のタイトルが

降ってきた時のようにできたら

「これだ」と分かるはずだ。

 

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