2017年8月20日
第192回 歩こう会は炎天下京都伏見区にある
「黄桜」伏水蔵を訪ねた。
会員は各自JR姫路、三宮、芦屋,大阪から乗り込み、
参加者は8名 雨は降らなかったが暑い一日であった。
JR大阪から 京橋で京阪特急中書島で下車。黄桜の送迎バスに乗り伏水蔵に到着。
大きな食堂で一同昼食を取った。ゲストの野村氏が数十年前に一倉ダムに参加した大西氏を連れてきた。
TVでよく見た黄桜のコマーシャルは懐かしかった。黄桜は創業大正14年。昭和代の我々はコマーシャルの変化に
なじみ深い。カッパの絵もよく見た。
幕末の騒動 旅籠寺田屋も見学 千石船は水位が干上がり開店休業で乗れなかった。
大阪駅中でビールをのんで打ち上げ帰路に着いた。
第172回歩こう会
12月13日参加者5名JR伊丹駅集合9時
伊丹に住んでいる浜田氏の案内で昆陽池に向かう。平成18年9月に一度おとずれている。
その当時のレポートは下記URLからご覧ください。
URL 兵庫支部NEWS
今回は昆虫館は省いた。道に迷うこともなく現地を知り尽くした浜田氏のあんないで近道
旧西国街道をとおり3時間で12キロ弱。
小西酒造横の長寿蔵で昼食をとった。
昼食後旧岡田家、石橋家をみる。3時ころ全員阪急伊丹で浜田氏に
別れを告げ、楢崎さんとは「塚口」で別れた。阪急は駅がすくないので普通でも早く感じる。
二宮)が参加した。

三宮を午前零時前出発明石海峡、鳴門海峡を越え徳島道を通過まずは最初の目的地道後温泉 で朝風呂をあびる。温泉入浴開始の太鼓の音で木戸が開いた。入浴後浴衣でくつろぐ。外は雨が降り出し、肱川の水量が多ければ鵜飼が中 止となるのを心配し、気が気でならない。
大正天皇が入浴された 玉座、夏目漱石の坊ちゃんの間の説明を聞く。
温泉近くのホテルで朝食をとり伊予大洲へ向かった。昼前に旅館に到着。その後「伊予大洲城」を見学。明治時 代の廃藩置県で城が取り壊されていたが、20億円をかけた完全復元の大洲城を見学、二宮氏が寄付した1枚2千円の瓦も葺かれているら しい。大洲市が誇る 「臥龍山荘」はミシュランが星ひとつつけているらしい。一同歳をとったせいかワビ・サビの利いた文化財に興味を 持つよになったようだ。
由来
「蓬來山が龍の 臥す 姿に似ている」ことから加藤泰恒(第3代大洲藩主)が臥龍と命名したといわれている。清流肱川河畔でも優れたこの景勝の地に初 めて庭園を造ったのは、文禄の昔、藤堂高虎の重臣渡辺勘兵衛です。其の後、この地をこよなく愛した泰恒公は吉野の桜、龍田の楓を移植 し、庭に一層の風致を加えました。幕末まで歴代藩主の游賞地でしたが、ことさらに、補修もされず、自然荒れて行くままでした。現在の 山荘は、明治の貿易商 河内寅次郎が10年かけて築いたものです。(臥龍山荘パンフより)

鵜飼見物前に時間があり薬の神社「少名彦神 社」の世界危機遺産を見に行った。FBにアップされている。そのあ と冨士山(とみすやま)にのぼ
り大洲の街並みを俯瞰する。そのあと、40数年前全国に話 題をまいた「おはなはん」のロケのあった「おはなはん通り」を散 策。オーストリアからの観光客が人力車を楽しんでいた。


さて本番の鵜飼は肱川の水量が心配でやきもき していたが船頭が船を出すことに決定。のんびり、ゆったり肱川をバスで特別コースまでのぼり、遊覧船で 川を下る、あゆの料理で一満足。鵜匠が操る手綱捌きを数米眼前で見た。 天候が落ち着かず見物客は4艘の船が出ただけでゆったりと見物できた。高速をあまり休まずぶっ飛ばしたので皆疲れてTV「官兵衛」を見ながら眠りにつく。
。
>翌朝9時すぎ伊予大洲に別れをつげ国道56号線を松山へむかう。途中古い 町並みの残っている「内子」にたちよる。芝居小屋も残っていた


12月歩こう会 例会は 修法ヶ原池から森林植物園朝10時JR元町集合
メンバー4人とゲスト2人(篠塚親子)は先ず「しんしん」で謝さんにあいさつ豚饅をかう。あつい蒸したてをたべる。諏訪神社は急傾斜で遠慮。50m先のゆるい坂道を通る。渓谷ぞいに灯篭茶屋を通過。猩々池で一休み。
そこから大竜寺は直ぐ近く。修法ヶ原池はちらほらハイカーが来ていた。安徳さん持参のガスコンロと3基でおでんを加熱。メンバーの持ってきた熱燗の日本酒であたたまる。急に雲がわき、さっきまでの陽光が姿をくらます。昼食後予定通り森林公園に向けて出発。公園まで時間かかるかと心配していたが難なく到着。帰りのバスの時刻を心配していたので早めに進行。紅葉はすでに遅く散ってしまっていた。例年この公園はおそくまであるのだがベストスポットでは見られなかった。同窓の女性参加を期待してゆるやかなコースを選定したが少し寒く時期がおくれた。今回3-4回目だったが、次はこれるだろうか?


8日は昼まで雨で中止した。あとからやっても良かったのではないかとの意見もあったが中止は正解であった。山道は雨後はとても歩けない状態である。
名越、安徳、二宮の3名でJR加古川線で8時24分粟生で乗り換え合流。住吉を7時06分発を6時
登山口までバスは途中でなくなり、そこから歩いても8-10キロある。タクシーで行くことに決定はやめに登山口についた。雨上がりで雨水がひどかったことを物がたる山道をのぼる。すれちがうひとは皆無、われわれ3人のみであった。大天井、小天井、を通過鎌倉山に到着すると丁度昼。昼食をたべる。鎌倉山は452.7m見晴らし最高、双眼鏡も設置されている。無料だ。播磨平野が一望できる。西の
矢野、川嵜は仕事のため不参加、元田は前日転倒して手首が腫れ上がり欠席表明。
46分で早めに出て加古川でそばでもたべようかとおもったが時間なくやめた。
覗きの岩に石仏の彫り物があり摩崖仏とよばれている。鎌倉寺を通過後九重折れの道がまだかまだかとふもとにおりてゆく。ヤット麓におりてこれから喫茶店 鈴 でビールをのめると期待して到着すると本日定休日トホホ!今朝のタクシーの運転手の珍名さん 荊尾さんを呼んでもらい待つことしばし。丁度よく北条鉄道まっていてくれた。安徳さんがセイキョでビールを買ってきてよばれる。列車のなかで静かに飲んだ。本番の歩こう会9月例会が無事終了した。


博多山笠「追い山」をみた後一行は大宰府にいった。
なんと50年ぶりだ。当時の「飛梅」は健在、名物「梅ヶ枝餅」の店が門前町にたちならんでいる。台湾、泰国、中国の観光客がたくさんいた。そのあと近くの温泉、昼食付で格安の 「みかさの湯」ホテルグランティア太宰府 でひと風呂あびてかえる。
2013.09.01
対馬・博多2泊3日
7月13日ー15日対馬・博多2泊3日の旅行にいった。初めての対馬行きで、なんでも見てやろうのワクワク感であった。7月中旬で海は荒れず博多よりジェットフォイル(水中翼船)で10時25分発壱岐を経由ここで船客がほとんど半分以上下船した。帰省、海水浴客が多かったのであろう。対馬には13時到着した。グループ一行のうち一人がこの対馬出身であり、レンタカー運転、ホテル手配、すべておせわになった。到着後レンタカーが運ばれており、すぐ「しまや」とゆう料亭に行く。厳原の名所韓国がもうすぐ56キロくらいとゆう浅茅湾の見える烏帽子岳展望所にのぼった。韓国の観光客が多く本土からの観光客はみあたらなかった。夜はまた料亭でうまい刺身をたべた。宿泊先は「西山寺」昼間あちこち観光したので皆つかれてしらぬまに10畳の大広間でねてしまった。翌朝宗家代々の墓のある萬松院へゆく。樹齢何百年の大木があった。


2014年1月第149回歩こう会が12日行われた。新神戸の裏トンネルを15分で通り抜け神鉄箕谷駅9時37分のバス「衝原湖」行きのバスにのる。メンバーは5人丹生神社前鳥居で下車。登山口から2.8キロで516m頂上に丹生神社がある。衝原湖から登ってきたパーティも11人某大手のOB山岳会昼食に鍋をやりはじめた。丁度調味料がなく、支部長が頼み込み味噌をもらってきた。味がしまる。生ラーメン、白菜、かしわ肉で暖をとった。日本酒も熱燗でうまかった。昼食に時間をかけすぎ、40分くらいで帝釈山568.lmに到着。ここでコーヒーブレーク。写真中央は明石海峡の向こうに淡路島が浮かんでいる。
そのあと急傾斜の道を下り、R428におりてきた。日没がちかくなり、稚児墓山596.4mは次回に持ち越し。長いR428をくだる。無道寺への道を横手に下山、バス停があり時刻予定しておらず便がないとおもっていたが10分くらいの待ち時間で4じ40分発があり、徒労をせずにすんだ。
2014.03.04
大雪
2月8日は近年まれにみる大雪で高速道路はあちこちで通行止めとなり交通機関は乱れた。
写真家のトッシーさんの写真展を見に昔の仲間竹下氏を車にのせて三木に行く予定であった。雪で通行止めを予想して電車で行くことに変更した。案の定、電車は鈴蘭台から銀世界、トッシーさんの出迎えの車で会場にゆく。
北海道の知床の斜里岳、摩周湖ほか数々の写真をみた。昔、大台ヶ原、大山、奈岐山、三室山、段ヶ峰、藤縄山、後山、雪彦山、剣山、伊吹山、などに連れて行ってもらった事を思い出す。 トッシーさんは全国の60名山を踏破している。