「今はただ恨みもあらじ諸人の命にかはる我が身とおもへば」・・・・・・。戦国時代、東播磨を支配した別所長治の辞世である。
織田信長の命により、秀吉は別所氏の居城・三木城を兵糧攻めにした。2年にも及ぶ籠城戦の末、長治はじめ別所一族は降伏して自害する。その際の条件が、残った城兵たち全員の助命だった。戦いの恨みを超越し、多くの人の命と引き換えに自らの命をさしだした長治像は、どこまでもさわやかだ。
三木で育ち。三木城址を遊び場としていた著者は、子供のころから長治の辞世をそらんじていたという。それは彼女だけではないのだろう。おそらくいまでも、三木の人々の心の中には、別所長治を誇らしく思う気持ちがいつ”いているのだと思う。あとがきにも
三木の町で出会う人は、みんながみんな、語り部だったとある。
ただ歴史は敗者の側に立って語られることは少ない。この戦いにしても、「三木の干し殺し」と呼ばれ、秀吉得意の「戦わずして勝つ」という戦術を語る時には必ず持ち出される。一方、敗者のドラマは置き去りにされていく。それにあがらい、何とか別所氏の思いを伝えたいと願う著者の思い入れが、隋所にちりばめられているようだ。
ストーリーは、黒田官兵衛が送り込んだ希久とゆう女間者の数奇な運命を絡めながら展開していく。戦いがいかに悲惨なものだったか、降伏を決意するに至る葛藤がどのようなものだったか。重苦しいテーマを扱っているはずなのに暗い印象はなく、かえって色彩豊かに感じられるのは、播磨の風土が、愛情をもって丁寧に描写されていることもあるだろう。また各章が、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7章に分かれ、それぞれの章の背景には、その色が感じられるとゆう凝ったしかけも施されている。
一味違う繊細な歴史小説といえるのではないだろうか。
この戦いで別所氏は滅ぶわけだが、著者は滅んだことにしていない。淡い虹を、時を越えてつながる希望のかけ橋として、
いつまでも余韻をのこしてくれる。
評者 山下景子・作家( 神戸新聞 2014年4月6日号より)
織田信長の命により、秀吉は別所氏の居城・三木城を兵糧攻めにした。2年にも及ぶ籠城戦の末、長治はじめ別所一族は降伏して自害する。その際の条件が、残った城兵たち全員の助命だった。戦いの恨みを超越し、多くの人の命と引き換えに自らの命をさしだした長治像は、どこまでもさわやかだ。
三木で育ち。三木城址を遊び場としていた著者は、子供のころから長治の辞世をそらんじていたという。それは彼女だけではないのだろう。おそらくいまでも、三木の人々の心の中には、別所長治を誇らしく思う気持ちがいつ”いているのだと思う。あとがきにも
三木の町で出会う人は、みんながみんな、語り部だったとある。
ただ歴史は敗者の側に立って語られることは少ない。この戦いにしても、「三木の干し殺し」と呼ばれ、秀吉得意の「戦わずして勝つ」という戦術を語る時には必ず持ち出される。一方、敗者のドラマは置き去りにされていく。それにあがらい、何とか別所氏の思いを伝えたいと願う著者の思い入れが、隋所にちりばめられているようだ。
ストーリーは、黒田官兵衛が送り込んだ希久とゆう女間者の数奇な運命を絡めながら展開していく。戦いがいかに悲惨なものだったか、降伏を決意するに至る葛藤がどのようなものだったか。重苦しいテーマを扱っているはずなのに暗い印象はなく、かえって色彩豊かに感じられるのは、播磨の風土が、愛情をもって丁寧に描写されていることもあるだろう。また各章が、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7章に分かれ、それぞれの章の背景には、その色が感じられるとゆう凝ったしかけも施されている。
一味違う繊細な歴史小説といえるのではないだろうか。
この戦いで別所氏は滅ぶわけだが、著者は滅んだことにしていない。淡い虹を、時を越えてつながる希望のかけ橋として、
いつまでも余韻をのこしてくれる。
評者 山下景子・作家( 神戸新聞 2014年4月6日号より)
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