高知県を代表する老舗かまぼこ店「永野蒲鉾店」(本社・高知市はりまや町1丁目、寺尾正生社長)が11月末で閉店する。
明治11年の 創業から136年 市民の食卓を支え、贈答品の人気も高い県内食品業界の優良企業として知られてきたが後継者がいないことや、近年の“練り物離れ”などから自主廃業を決めた。
永野蒲鉾店は高知市朝倉町(現南はりまや町1丁目)で創業。旧高知スーパー創立者としても知られる3代目の故永野寅太郎さんが発展させた。 戦後、“高知市民の台所”とも言われる大橋通商店街に本店を置き、はりまや町に支店と工場を開設 1967年、播磨屋橋の北側に「はりまや橋名産センター」を構え、1973年には高知県食品工業団地(高知市大津乙)に工場も建設した。
その後、故永野寅太郎さんの長女、津智美さん(現社主)が4代目社長に就き、近海の新鮮な魚にこだわった高級かまぼこ「乙女ねえやん」など 贈答用を中心に業績を伸ばしてた。
大橋通本店や高知大丸地下の店舗は、総菜や揚げ物など高知ならではの“おかず”が毎日たくさん並び、多くの消費者に頼りにされてきた、今は 量販店内にも売り場を持ち、高知龍馬空港やJR高知駅でも販売している。
1999年に5代目社長となった津智美さんの長男、一夫さんが2009年に急逝し、親族で建設会社社長の寺尾氏が3年前から 永野蒲鉾の社長を兼務してきた、いそ天、ししゃもちくわ、卵の入った太丸…. 子どもからお年寄りまで、たくさんの品々が世代を超えて親しまれてきた。
寺尾社長が子どものころ、年末の大橋通本店は閉店が夜の10時、11時になることも。寺尾社長は「紅白歌合戦が見られないぐらい、社員みんなが 忙しかった」と振り返る。
ただ、食生活の変化の中、練り物業界の環境も厳しさを増し、永野蒲鉾店の売上高も1990年代をピークに少しずつ減少。「今後の経営を考える 過程で事業を任せられる人材を探したが、後継者に恵まれなかった」(寺尾社長)という。
事業譲渡の打診も受けたが「同じ味を維持していくことは難しい」『永野』の名前で味が変わり、お客さんの信用をなくすようなことは耐えられない」と売却は断り悩んだ末に「どこにも迷惑を掛けず、きれいな形で閉める」ことを選んだという。
従業員はパートも含め約80人。閉店を視野に従業員数を抑えてきており、「年末の繁忙期にお客さんに迷惑を掛けたくない」と、年の瀬を迎える前の閉店(大橋通本店は11月28日、他店は11月30日)にした。
現在、従業員の再就職先探しなどに当たっている寺尾社長は「県民の皆さんに長年お世話になって本当にありがたく申し訳ない。閉店まで静かに見守ってもらえたら」と話している。
(高知新聞記事より)
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買って帰ろうと思ったら既に閉店していた。
母も好きな味だったので前年でなりません。
ちなみに母は御年九十二歳で今日も元気ですw