大きな震災と災害に見舞われた日本。
何度も外国や歴史の中で起こってきた大災害。
それが同じ国で起こってたくさんの方やふるさとに・・・。
私にとって大切なものは?
限られた時間を誰とどう過ごしたいのか?
このままこうしてはいたくないと、私の中での声が増していくころ、
当時勤めていた派遣会社の方から支社‘移動’のお話しがありました。
私は仕事をもう辞めてもいいよという意味だと感じました。
その日迎えに来てくれた主人に会社からのお話しを伝えると
「お前は何やってもあかんな。」と、こちらがそう言う前に言い、
「ちょうど良かったやんけ。
畑をするから辞めさせてもらいますって、笑って辞めたらいいねん。
時期もいいし、忙しくやりますって。」
と言いました。
そして私は次を決めることなく、春に退職することになりました。
自ら望んでいたものの、(社会で)自分はいらないんだろなと
前向きになれないときに主人は、
「土臭い人間になったらいいねん。」と言ったのでした。
たくさんの人は何にもなくなって、
努力して積み重ねてきたものも流されてしまった。
私の周りは変わっていなくても、
確実に繋がったところで起こっている。
これから何にもない私にもできることは何だろうか?
命の糧、作物を育てたいという思いはあるものの、
土地も、お金も、資材も、
強い体力も能力も人脈もない。
ましてや智恵も洞察力も実行力も記憶力も。
真剣に考えて、子供たちを守る上で大切な主食を作ることで
それを学んでいけたらいいなと決めました。
こうして丸腰で畑に行く日々が始まりました。
心を決めていくようになったとたんに
周りの畑の方も、受け入れてくださるようになりました。
だんだんと農家の格好をするようになっていきそれが心地よく、
たくさんの方の輪にいれていただくようになっていきました。
S一族やH一族の方、そしてY家など、
気づくととんでもない人達に、
新米夫婦が助けていただいているのです。
そして主食の米を作りたいという思いの強かった私を
休耕田の田んぼづくりをしてくれて助けてくれた主人。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/d5/122640cd472084b3816e1d27fd415572.jpg)
地域の方々には、機械を使わずに半日ごとに黙々楽しみながら
田んぼや畑を作っていく主人を
頼もしく思ってくださったりしながら見守っていただく中、
主人の仕事の仕方や人柄を
いろんな方に知っていただくきっかけとなりうれしかったです。
また無農薬で肥料も育て方も
農家の方には規格外のようなことだったため、
心配したり、楽しみにもしてくださっていました。
この間もどれだけの人にサポートしていただいたでしょうか。
農地を貸していただいたお宅のおばあさんは
亡くなった私の祖母と同郷で同級生だそうで、
一度昔からのお話を、長い間聞かせてくださったことが
ありました。
ご先祖さまに、夢である
お米を作れるように導いていただいている
サポートしていただいているんだと感じずにはいられませんでした。
またこのことはお空や、ときに(いつも?)私たちと共にいる
ご先祖や見えない存在の思いでもあるような気もしてきたものでした。
何だか一緒に叶えているような。
そして、私たちの願いは、
どうもそうしたサポートの中で叶えられるのではないか?
神様のもとに帰られたご先祖が助けてくださっていると
感じられるようになった気がするのです。
また畑に行くたび温かく声をかけてくださったのは、
両親のお友達や祖父母の代からのお付き合いの先輩方が多く
親やご先祖の恩恵でこのようにしていただけるのだろう、
また人の繋がりのとても強かった地域だからこそだろうと感じました。
傍を通ると、畑の先輩からいろんな野菜の苗を分けていただき、
それらの苗に導かれて植え場所を耕し、
土や苗に呼ばれるようにお世話をし、
周りの皆様に教わったり調べたりしていうちに
衰えていた私の記憶力は回復していったのでした。
自然相手で読めない世界に関わることで、
鈍った感覚を呼び起こされるようなことは
この他にもたくさんありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/d6/6b4a55f1ba526eca515b3e6e7cb458df.jpg)
何もなかったとしてもできることを子供たちのために、
と思ってしていたことが、
結局は私たち夫婦の人生に、新しい扉を開けさせてくれたと、
大げさではないくらい、田んぼをしてからいろんなことが変わりました。
私たちを土と結びついた生き方へ返し、
米を中心にした人との繋がりへのスタートができた
2011年だったと感じ、感謝いたします。
何度も外国や歴史の中で起こってきた大災害。
それが同じ国で起こってたくさんの方やふるさとに・・・。
私にとって大切なものは?
限られた時間を誰とどう過ごしたいのか?
このままこうしてはいたくないと、私の中での声が増していくころ、
当時勤めていた派遣会社の方から支社‘移動’のお話しがありました。
私は仕事をもう辞めてもいいよという意味だと感じました。
その日迎えに来てくれた主人に会社からのお話しを伝えると
「お前は何やってもあかんな。」と、こちらがそう言う前に言い、
「ちょうど良かったやんけ。
畑をするから辞めさせてもらいますって、笑って辞めたらいいねん。
時期もいいし、忙しくやりますって。」
と言いました。
そして私は次を決めることなく、春に退職することになりました。
自ら望んでいたものの、(社会で)自分はいらないんだろなと
前向きになれないときに主人は、
「土臭い人間になったらいいねん。」と言ったのでした。
たくさんの人は何にもなくなって、
努力して積み重ねてきたものも流されてしまった。
私の周りは変わっていなくても、
確実に繋がったところで起こっている。
これから何にもない私にもできることは何だろうか?
命の糧、作物を育てたいという思いはあるものの、
土地も、お金も、資材も、
強い体力も能力も人脈もない。
ましてや智恵も洞察力も実行力も記憶力も。
真剣に考えて、子供たちを守る上で大切な主食を作ることで
それを学んでいけたらいいなと決めました。
こうして丸腰で畑に行く日々が始まりました。
心を決めていくようになったとたんに
周りの畑の方も、受け入れてくださるようになりました。
だんだんと農家の格好をするようになっていきそれが心地よく、
たくさんの方の輪にいれていただくようになっていきました。
S一族やH一族の方、そしてY家など、
気づくととんでもない人達に、
新米夫婦が助けていただいているのです。
そして主食の米を作りたいという思いの強かった私を
休耕田の田んぼづくりをしてくれて助けてくれた主人。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/47/48/a5ed5e4eafde86378656bd6fae244b50_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/d5/122640cd472084b3816e1d27fd415572.jpg)
地域の方々には、機械を使わずに半日ごとに黙々楽しみながら
田んぼや畑を作っていく主人を
頼もしく思ってくださったりしながら見守っていただく中、
主人の仕事の仕方や人柄を
いろんな方に知っていただくきっかけとなりうれしかったです。
また無農薬で肥料も育て方も
農家の方には規格外のようなことだったため、
心配したり、楽しみにもしてくださっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/46/b0/dd5e5eef957246c772a5cbb27b2b8be3_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/9a/dec475f34939fb772e8e8e414835d797_s.jpg)
この間もどれだけの人にサポートしていただいたでしょうか。
農地を貸していただいたお宅のおばあさんは
亡くなった私の祖母と同郷で同級生だそうで、
一度昔からのお話を、長い間聞かせてくださったことが
ありました。
ご先祖さまに、夢である
お米を作れるように導いていただいている
サポートしていただいているんだと感じずにはいられませんでした。
またこのことはお空や、ときに(いつも?)私たちと共にいる
ご先祖や見えない存在の思いでもあるような気もしてきたものでした。
何だか一緒に叶えているような。
そして、私たちの願いは、
どうもそうしたサポートの中で叶えられるのではないか?
神様のもとに帰られたご先祖が助けてくださっていると
感じられるようになった気がするのです。
また畑に行くたび温かく声をかけてくださったのは、
両親のお友達や祖父母の代からのお付き合いの先輩方が多く
親やご先祖の恩恵でこのようにしていただけるのだろう、
また人の繋がりのとても強かった地域だからこそだろうと感じました。
傍を通ると、畑の先輩からいろんな野菜の苗を分けていただき、
それらの苗に導かれて植え場所を耕し、
土や苗に呼ばれるようにお世話をし、
周りの皆様に教わったり調べたりしていうちに
衰えていた私の記憶力は回復していったのでした。
自然相手で読めない世界に関わることで、
鈍った感覚を呼び起こされるようなことは
この他にもたくさんありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/d6/6b4a55f1ba526eca515b3e6e7cb458df.jpg)
何もなかったとしてもできることを子供たちのために、
と思ってしていたことが、
結局は私たち夫婦の人生に、新しい扉を開けさせてくれたと、
大げさではないくらい、田んぼをしてからいろんなことが変わりました。
私たちを土と結びついた生き方へ返し、
米を中心にした人との繋がりへのスタートができた
2011年だったと感じ、感謝いたします。
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