今日は久々に考える事について書いてみます。
先週の日曜日に、私はとあるハンバーグ屋さんに友達と旦那と3人で行きました。
今までに、色々な人に出会い色々な親子を見てきました。
道端で見かける親子もたくさんいました。
親子に限らず、人間って本当に色々なタイプの人がいます。
私があの日出会った場所は、トイレでした。
友達と二人で、帰る前によったんです。
そこは、3つトイレがあり奥は閉まっていて真ん中と手前が空いていました。
奥のトイレに友人が進んだら、
「びっくりしたっ。扉あいてるから・・・。笑」
といい、私の目に小学生の低学年ぐらいの男の子がとびこみました。
すぐにその子は、扉を閉めました。
そして、鏡の前で(用を済ませて手を洗っていたんだと思う)髪の毛を
気にしている女性がいたのが目に入りました。
そのとき、私は彼と彼女は関係ないのかと思いました。
友達とトイレを譲る会話をしていたら。
「はよせぇやっっ!!!!!!」
と、その女性が良く聞く汚い関西弁でお腹の底から声を出し大きな声でいいました。
愛情というものを感じ取れるはずは全くなく、彼女はとにかくイライラ。
そこで、友人が出てきて私の番になったので入りました。
「もう、何もいわんといたってや・・・」
「もう聞きたくない」
私はそう思っていました。
そしたら、彼女は彼に(おそらくお腹が痛かったみたい)
「はよしろや!もぉええ!ちょっとドアあけろ。はよあけろやっ」
といい、彼のいるトイレに入っていったのです。
(この時まだ私はトイレにいます)
「気安く大人にはなしかけんなっ!!!!!」
「お前はここに何しにきとんねん。飯食いにきたんか?しゃべりにきたんか?」
「飯食いにきたんやろがっ」
怒りに満ちて、歯を食いしばりながら言うような本当に恐ろしい声としゃべり方で彼女は彼にこう続けました。
「トイレはご飯の前に・・・・・・・・・・」
この後は、彼女はもう声にならないほど太く低い声で彼を叱り続けます。
そして・・・。
「パチンッ!!バチンッ!!!ドスッ!!」
低い声で何かを言いながら彼を叩きながら叱り続けます。
1回や2回じゃないんです。その時は恐らく5回以上手を上げていたと思いました。
私は、無意味に不愉快になり、そしてとても辛くなり怖くなりました。
手を洗いながら、胸がドキドキして仕方なかったです。
そして、一瞬扉があきかけました。
すると、すぐにまたしまりました。
「ボコッ!!バチン!!!バチン!!!ドスドス!!!」
先ほどのとは比べ物にならないほど、何かを言いながら彼を殴ったのです。
聞こえてくる音や声は、イラついて仕方の無い彼女の声にならない声と彼の
「はい・・・」と必死に応えるか細い声と、殴られる音だけでした。。
彼女の腕が、振り上げたときに扉に「ガタンっ」とあたったのが分かりました。
すごい力だったんだと思いました。
*************************************************************************
「言葉の暴力」「虐待」
まさに、それを目の当たりにしたのです。
悔しくて、悲しくて、辛くて、言葉に出来ませんがその時私の目からはなぜか
涙が出てきました。
「同情」
そう思われる人がいたら、それは否定は出来ませんがもちろんそんなつもりはありません。
人が人として生きるということを、自分を中心に考え、自分の周りを「普通」だと
思っていました。
でも、世の中には「愛されるはずの」親から言葉の暴力や虐待を受けて育つ子供が
こんなにもありふれた日常にいるということを知りました。
皆さんはどう思いますか?
または、この場面に遭遇したときにどう思うと思いますか??
私は、言いも悪いも考えずに真っ先に
「そんなにいやなら、産まなきゃ良いのに」という言葉が出てきました。
もちろん、この言葉はとても卑怯なものだと思います。
私がもし、理性をなくして彼女に何かを言ったとします。
それは心の底から「伝えたい」「良くなって欲しい」と思っていることが前提です。
彼を擁護するような発言をしたところで、その場でたまたまであった私の発言なんて無責任にもほどがあるというもんです。
きっと、彼女の怒りや羞恥心は彼へとぶつけられるのだろうと推測できます。
「虐待をなくしたい」
誰もがそう思っているのに、「しつけ」「教育方針」という言葉があまりにも
あいまいすぎて誰も助けてあげる事が出来ない。
人として、絶対に良くないと分かっているのに。
ここにこうして書いても、その場の状況は空気は伝わらないですよね。
(文才もなければ、表現力も無い私を恥じます。)
私が今まで生きてきた中で、最も衝撃的な事でした。
でも、私はあくまでも「超客観的に」見て、感じて、考えています。
それはつまり、彼の立場ではないって事。。
彼からしたら、「それでも親」なんですよね。
もしかしたら、「大好きな親」なのかもしれません。
私が一瞬みたその時が、そうだっただけなのかもしれませんし。。。
私が思ったのは、「人の無関心さと無力さ」でした。
たまたまであったこの親子に、教えられたというほうがいいのでしょうか。
「いじめ」も同じ事。
絶対駄目って誰でも考えたら答えは一つなのに、解決できない。
本当に辛い事実だと思います。
うまくまとめれませんが、最後に私が思ったこと。
それでも彼女がしばらくたって、彼への態度について行き過ぎた事があったかな?とか
手を上げてしまったことを冷静になって考え反省してくれてるだろうか?
こう思う事で。。
二度と会うことはないかもしれないあの親子に対して、少しでも救われる気がしたんです。
先週の日曜日に、私はとあるハンバーグ屋さんに友達と旦那と3人で行きました。
今までに、色々な人に出会い色々な親子を見てきました。
道端で見かける親子もたくさんいました。
親子に限らず、人間って本当に色々なタイプの人がいます。
私があの日出会った場所は、トイレでした。
友達と二人で、帰る前によったんです。
そこは、3つトイレがあり奥は閉まっていて真ん中と手前が空いていました。
奥のトイレに友人が進んだら、
「びっくりしたっ。扉あいてるから・・・。笑」
といい、私の目に小学生の低学年ぐらいの男の子がとびこみました。
すぐにその子は、扉を閉めました。
そして、鏡の前で(用を済ませて手を洗っていたんだと思う)髪の毛を
気にしている女性がいたのが目に入りました。
そのとき、私は彼と彼女は関係ないのかと思いました。
友達とトイレを譲る会話をしていたら。
「はよせぇやっっ!!!!!!」
と、その女性が良く聞く汚い関西弁でお腹の底から声を出し大きな声でいいました。
愛情というものを感じ取れるはずは全くなく、彼女はとにかくイライラ。
そこで、友人が出てきて私の番になったので入りました。
「もう、何もいわんといたってや・・・」
「もう聞きたくない」
私はそう思っていました。
そしたら、彼女は彼に(おそらくお腹が痛かったみたい)
「はよしろや!もぉええ!ちょっとドアあけろ。はよあけろやっ」
といい、彼のいるトイレに入っていったのです。
(この時まだ私はトイレにいます)
「気安く大人にはなしかけんなっ!!!!!」
「お前はここに何しにきとんねん。飯食いにきたんか?しゃべりにきたんか?」
「飯食いにきたんやろがっ」
怒りに満ちて、歯を食いしばりながら言うような本当に恐ろしい声としゃべり方で彼女は彼にこう続けました。
「トイレはご飯の前に・・・・・・・・・・」
この後は、彼女はもう声にならないほど太く低い声で彼を叱り続けます。
そして・・・。
「パチンッ!!バチンッ!!!ドスッ!!」
低い声で何かを言いながら彼を叩きながら叱り続けます。
1回や2回じゃないんです。その時は恐らく5回以上手を上げていたと思いました。
私は、無意味に不愉快になり、そしてとても辛くなり怖くなりました。
手を洗いながら、胸がドキドキして仕方なかったです。
そして、一瞬扉があきかけました。
すると、すぐにまたしまりました。
「ボコッ!!バチン!!!バチン!!!ドスドス!!!」
先ほどのとは比べ物にならないほど、何かを言いながら彼を殴ったのです。
聞こえてくる音や声は、イラついて仕方の無い彼女の声にならない声と彼の
「はい・・・」と必死に応えるか細い声と、殴られる音だけでした。。
彼女の腕が、振り上げたときに扉に「ガタンっ」とあたったのが分かりました。
すごい力だったんだと思いました。
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「言葉の暴力」「虐待」
まさに、それを目の当たりにしたのです。
悔しくて、悲しくて、辛くて、言葉に出来ませんがその時私の目からはなぜか
涙が出てきました。
「同情」
そう思われる人がいたら、それは否定は出来ませんがもちろんそんなつもりはありません。
人が人として生きるということを、自分を中心に考え、自分の周りを「普通」だと
思っていました。
でも、世の中には「愛されるはずの」親から言葉の暴力や虐待を受けて育つ子供が
こんなにもありふれた日常にいるということを知りました。
皆さんはどう思いますか?
または、この場面に遭遇したときにどう思うと思いますか??
私は、言いも悪いも考えずに真っ先に
「そんなにいやなら、産まなきゃ良いのに」という言葉が出てきました。
もちろん、この言葉はとても卑怯なものだと思います。
私がもし、理性をなくして彼女に何かを言ったとします。
それは心の底から「伝えたい」「良くなって欲しい」と思っていることが前提です。
彼を擁護するような発言をしたところで、その場でたまたまであった私の発言なんて無責任にもほどがあるというもんです。
きっと、彼女の怒りや羞恥心は彼へとぶつけられるのだろうと推測できます。
「虐待をなくしたい」
誰もがそう思っているのに、「しつけ」「教育方針」という言葉があまりにも
あいまいすぎて誰も助けてあげる事が出来ない。
人として、絶対に良くないと分かっているのに。
ここにこうして書いても、その場の状況は空気は伝わらないですよね。
(文才もなければ、表現力も無い私を恥じます。)
私が今まで生きてきた中で、最も衝撃的な事でした。
でも、私はあくまでも「超客観的に」見て、感じて、考えています。
それはつまり、彼の立場ではないって事。。
彼からしたら、「それでも親」なんですよね。
もしかしたら、「大好きな親」なのかもしれません。
私が一瞬みたその時が、そうだっただけなのかもしれませんし。。。
私が思ったのは、「人の無関心さと無力さ」でした。
たまたまであったこの親子に、教えられたというほうがいいのでしょうか。
「いじめ」も同じ事。
絶対駄目って誰でも考えたら答えは一つなのに、解決できない。
本当に辛い事実だと思います。
うまくまとめれませんが、最後に私が思ったこと。
それでも彼女がしばらくたって、彼への態度について行き過ぎた事があったかな?とか
手を上げてしまったことを冷静になって考え反省してくれてるだろうか?
こう思う事で。。
二度と会うことはないかもしれないあの親子に対して、少しでも救われる気がしたんです。